昨日に続いて今日も朝から小雨が降り続いている。
家畜の伝染病が宮崎で発生し、「異常事態宣言」なるものが出された。そのまんま知事がインタビューで記者を赤い目をして怒鳴りつけていたので、確かにその緊迫感が伝わった。
口蹄疫、英語でFOOT AND MOUTH DECEASE というらしい。足(蹄とは足のひづめのこと)と口に症状が端的に表れることからこう名付けたものと素人ながら想像できる。
要はウィルス感染なのだ。人間にはあまり影響がないというが、本当に大丈夫なのか専門家ではないのでわからない。わからないから、不安になって食べるのを控えたりする、そのことを噂話をする。これが風評被害につながるのだろう。TVで感染した牛や豚が殺処分されていく模様を見るとやはり人は恐れを抱いてしまう。涎を垂らしながら、処分場に連れられていってる牛の訴えるような、悲しそうな目を見るとあれは「今私は殺されに行くんだ」ということをどう動物的な勘というかどこからともなく知らせる本能の呼び声で察知しているのだ。
同じ「生き物」という次元でいうとドイツファシズム政権下でおこなわれたユダヤ人大量虐殺を想起する。人間を殺すために作られた分厚いコンクリート壁に囲まれたガス室に送られる裸にされた人々の列。貨物車で強制的にナチ収容所に送られていたユダヤ人。そこでは人間の尊厳が根こそぎ奪われていた。
多くの写真が残っている。人間の大量虐殺。そして牛・豚の大量殺処分。ある意味、近代の象徴とも見える。
昨年の新型インフルエンザの流行と社会的パニックを思い出す。これも同じウィルス感染が原因。インフルエンザは家畜にも感染する。あの時の感染の拡大状況を思い出すと、今回の口蹄疫、果たして宮崎だけに封じ込めることが出来るだろうか。すでに鹿児島と熊本の県境えびのまで来ている。感染予防のためにこの地域を移動する車の消毒する模様がニュースで流れているが、夜活動する小動物、風で舞うほこりは阻止できない。
残念ながら時間の問題かなと一人心配している。
この事件の底流には、文明の抱えた病根というものが存在する。私達はより便利(使い勝手があり、スピーディー、画一的品物が大量に出回る)で、清潔、見栄えがいいものを志向してきた。一方で不衛生なもの、動きののろいもの、不均一で不恰好なものを排除してきた。このツケが今、人間に試練を与えているのではないかー。
野菜を作っているが、素人なので栽培が下手だから、格好が悪い。スーパーでは均一な商品しか販売しないので、不恰好な作物はどことなく不気味で美味しくなさそうで、失敗作だと捨ててしまいそうになる。けれど、ここで踏 み止まって、いや待て!格好が悪いだけで、味は変わらない(いやかえって旨いと生産者は思う)のだから、 ジュースにしたり、細かく刻んで食べたら一緒。
病院に行くと今でも検査室、診察室に入る前に手を念入りに消毒しなけれしばならない。レストランに行っても、スーパーやどこにもスプレー状、ジェル状の消毒液が設置されている。防疫を徹底するという方向性は今や否定できないのかもしれないが、もっと前の段階で、人間の免疫力の向上のためにはどうすればいいのか、考えるべきことなのではないだろうか。消毒、清潔、品質(形の均一化を含め)の向上、大量生産消費というコンセプトをもういっぺん見直す時が来ているのではないか?!!
家畜の伝染病が宮崎で発生し、「異常事態宣言」なるものが出された。そのまんま知事がインタビューで記者を赤い目をして怒鳴りつけていたので、確かにその緊迫感が伝わった。
口蹄疫、英語でFOOT AND MOUTH DECEASE というらしい。足(蹄とは足のひづめのこと)と口に症状が端的に表れることからこう名付けたものと素人ながら想像できる。
要はウィルス感染なのだ。人間にはあまり影響がないというが、本当に大丈夫なのか専門家ではないのでわからない。わからないから、不安になって食べるのを控えたりする、そのことを噂話をする。これが風評被害につながるのだろう。TVで感染した牛や豚が殺処分されていく模様を見るとやはり人は恐れを抱いてしまう。涎を垂らしながら、処分場に連れられていってる牛の訴えるような、悲しそうな目を見るとあれは「今私は殺されに行くんだ」ということをどう動物的な勘というかどこからともなく知らせる本能の呼び声で察知しているのだ。
同じ「生き物」という次元でいうとドイツファシズム政権下でおこなわれたユダヤ人大量虐殺を想起する。人間を殺すために作られた分厚いコンクリート壁に囲まれたガス室に送られる裸にされた人々の列。貨物車で強制的にナチ収容所に送られていたユダヤ人。そこでは人間の尊厳が根こそぎ奪われていた。
多くの写真が残っている。人間の大量虐殺。そして牛・豚の大量殺処分。ある意味、近代の象徴とも見える。
昨年の新型インフルエンザの流行と社会的パニックを思い出す。これも同じウィルス感染が原因。インフルエンザは家畜にも感染する。あの時の感染の拡大状況を思い出すと、今回の口蹄疫、果たして宮崎だけに封じ込めることが出来るだろうか。すでに鹿児島と熊本の県境えびのまで来ている。感染予防のためにこの地域を移動する車の消毒する模様がニュースで流れているが、夜活動する小動物、風で舞うほこりは阻止できない。
残念ながら時間の問題かなと一人心配している。
この事件の底流には、文明の抱えた病根というものが存在する。私達はより便利(使い勝手があり、スピーディー、画一的品物が大量に出回る)で、清潔、見栄えがいいものを志向してきた。一方で不衛生なもの、動きののろいもの、不均一で不恰好なものを排除してきた。このツケが今、人間に試練を与えているのではないかー。
野菜を作っているが、素人なので栽培が下手だから、格好が悪い。スーパーでは均一な商品しか販売しないので、不恰好な作物はどことなく不気味で美味しくなさそうで、失敗作だと捨ててしまいそうになる。けれど、ここで踏 み止まって、いや待て!格好が悪いだけで、味は変わらない(いやかえって旨いと生産者は思う)のだから、 ジュースにしたり、細かく刻んで食べたら一緒。
病院に行くと今でも検査室、診察室に入る前に手を念入りに消毒しなけれしばならない。レストランに行っても、スーパーやどこにもスプレー状、ジェル状の消毒液が設置されている。防疫を徹底するという方向性は今や否定できないのかもしれないが、もっと前の段階で、人間の免疫力の向上のためにはどうすればいいのか、考えるべきことなのではないだろうか。消毒、清潔、品質(形の均一化を含め)の向上、大量生産消費というコンセプトをもういっぺん見直す時が来ているのではないか?!!