おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

気候変動なのかなあ

2011年05月10日 07時00分22秒 | 日記
台風1号が接近中とのこと。耳を疑う。今年発生した第1号が上陸するかもしれない。すでに東南アジアで暴れて死者も出しているようだ。

去年はここには台風は来なかった。台風の余波といえるようなものはあったけれど、「接近」、「通過」はなかった。

よもや今年は台風の当たり年?

今年は年初めから大雪に見舞われ、寒さで被害もあった。我が家でもミモザが枯れたし、シマトネリコも枯れて殆ど葉っぱのない
無残な姿を晒している。

しかし、発見した。そのシマトネリコ決して死んでいなかった。もう今年は青々と茂れるそして「南風(はえ)」を感じさせるような静かな中に、誇らしげな姿が見れないのかと諦めていたら、枝に小さな芽が出てきているのを見つけた。
根が死んでなかったら植物は再生するんだという大いなる自然の力を見た。

畑の隅に自生していたウドを庭に移植したのだが、大雪ですべて枯れた。ところがこのウドも新たに芽を吹き出したのだ。


東北で大震災に見舞われ大津波がすべてを呑み込んで人間が営々と築き上げてきたもの全てを流し去った。

それでも生き残った桜が艶やかな花びらを開いたという。

この地でマイナスから出発といった人がいた。いや違う、やはりゼロからの出発なのだ。自然はこの大地震も大津波もその脅威なる力の中に含まれている。何十万年もそれを繰り返してきた。人間が「ホモサピエンス」と産声をあげる前からー

それが今回一度に全てを流し去ってしまった。それはゲーム機のリセットを思わせる。ゼロのこの地点から立ち上がらなければならない。
この「悲劇」はいつどこに来てもおかしくはない。

ここ熊本で変な噂が流れているという。「6月23日か24日に破壊的な大地震がやってくる」

みなが不安を感じているのだ。この悲劇は決して東北だけのものではないということを。

今朝は好きな作家の一人真保裕一の「奇跡の人」を一気に読んでしまった。
同じ現代の人気作家東野圭吾の「容疑者Xの献身」を数日前に読んで、感想でケチョンケチョンに貶してしまったけど、あれって直木賞もらっていたの知らなかった。誰だ選考委員は??

この「奇跡の人」は長編で読み応えがあった。ずしりと重い印象と余韻に今包まれている。事故、重度の脳の損傷、記憶喪失。
失われた記憶=過去の自分を取りすための旅に出る。そして自分の過去との出会い。

これがフィクションなのだ。記憶喪失者が自分の自己同一性を取り戻すためにどういう行動を取るのかはわからないし個別性があるのかもしれない。主人公克己は自分を、自分の過去を知るために危険を顧みず、心配をしてくれる周囲の愛情を裏切っても過去に遡上していく。そして過去の自分の恋人に出会う。

エピローグが少し安易かな・・・と感じないでもないが、面白かった。