おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

晴耕雨読ー濡れながら作業、寝ながら読書

2011年05月29日 07時16分20秒 | 日記
風雨が強まってきた。雨を乗せた東からの風が窓を叩いている。昼頃には暴風域に入るという。

さてどうなることか?不安であり、どこか初めての経験なので(この土地ではー)興味もある。

懐中電灯3機?用意し、これから雨戸も閉める。畑や庭の果樹は運を天に任せるしかない。

昨日熟したイチゴは風雨でどうにかならないうちに千切って食べた。

全身がずぶ濡れになったので、シャワーを浴びて着替えた。ここでは下着もまだ長袖のシャツだ。パッチは穿いていないがー
この数日暖房も入れている。

昼食を終えるとすることがないので、ベッドで本を読むことにする。
精神が弛んで来た所為か、読書は布団の中か、風呂で読む時間が多い。ベッドの脇のテーブルには赤鉛筆も置いている。

小檜山博の「光る女」は痛快だった。奥野健男が「時にはこのような破天荒な物語も純文学の世界にあってもよい」と評している。

ジャンルの問題ではないように思う。面白かった。原始人のような豪快で野生的な男が東京に熊皮のチョッキを着て、競馬用の短ズボン履いて、しかも裸足で現れる。
からんでくるヤンキー10人を簡単にふっ飛ばしてしまう。185cmの大男で、お金の使い方も大胆。いつも背負っているナップザックに土方で稼いだ現金を百万単位でビニール袋に入れていて、飲み屋でこれを惜しげもなく使ってしまう。

別の本で「近代とは何か」という社会学的に分析した固いものを読んでいるが、都会的生活=近代に対して北海道の山奥からやってきた野生人の話は繋がっている。

野生人は雑誌社に勤めるインテリの女と恋をして、引っさらう様にして北海道に「俺の嫁」として連れ帰る。

清水幾太郎の「ジョージ・オーウェルの『1984年』への旅」(文藝春秋)も読み終えた。
ジョージ・オーウェルの原作はまだ読んでいないが、清水のこの本で概要は掴めた。

村上春樹の「1Q84」の執筆動機になっているらしいことはわかっていたが、その点に関してはじっくり考えてからまたいつか機会を作ろうと思う。

一つ言えることは60年安保、70年安保を潜って来たものだけが体感的にわかるものが両者に存在する。
ソ連は崩壊したけれども中国があり、北朝鮮が日本の政治に大きな影響を持ち続けている。

いずれ「体制」は崩壊の道を辿るだろうが、スターリンとトロツキーの相克の問題は永遠のテーマであり、日本の現状を考える際にも示唆に富む。

読後感想として、清水の本はよくわかったし、おもしろかった。

新しい本を取り出して読み始めたのは、片山恭一の「君の知らないところで世界は動く」。
なかなか滑り出し順調だ。

今日もまた雨読かなー