おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

「1本15万、1本15万♪」

2010年07月16日 07時29分19秒 | 日記
夕方空を見ると西南方向の外輪山が茜色に染まっている。なんともいえない美しさですぐ携帯に撮ったが、実物の何十分の一も表せていない。

いよいよ梅雨が明ける象徴ではないか。いよいよ暑い夏の到来だ!

昨日は街(熊本市内)へ下りた。毎月恒例の病院通いとハローワーク。病院3軒。
先ずはぶどう膜炎の診察をするために大学病院へ。雨で遅れたので順番は85番でいつもより遅い。眼科は2階。出来るだけ歩く。エスカレーターは使わない。いつもなら眼科到着1番か2番なのだが、この日はすでに20人以上はもう長椅子にでんと陣取っている。「しまった遅れを取った」
案の定待たされた、じっくり1時間。遅れたとはいっても、もちろん予約時間よりも1時間は早く来ているのに・・・
こういう時には、詰め所に顔を出して、「もう随分待たされているけど、まだ順番来ないんですか」と聞く事だ。そうすると、看護婦が診察室に入っていって、確かめてくる。「次がおやまさまの順になっています」。
いつもこうなのだから、どうも怪しい。カルテを置く順番を間違えることがよくあるので、文句いえば「次に順」に入れ替える。
何だかなあ・・・そういうのを見切ってしまっている自分がなんか嫌・・・、

診察は3分。「炎症はおさまっていますので、目薬1本減らしましょう。ではまた1ヵ月後にー」

この後、ハローワークに寄って、求職活動をしていることの確認印を貰う。これは1分ほどしかかからない・・・

そして歯医者へ。予約時間少し過ぎている。ここは待合時間なし。すぐ治療へ。歯はよく磨く方だが、磨けばいいってもんじゃない丁寧に力を入れず、角度を考えて、しっかり磨かないといけない。磨いているから安心しているといつの間にか歯周病にかかって、顔が変形するぐらい腫れたりする、ついには葉を抜かなくちゃならなくなる。

この後、心臓の薬を貰うために行きつけの病院へ行ったら、先生こんなことをノタモウタ。
「わたしは葉を磨く時、呪文を唱えながら磨いています。」「何という呪文ですか?」
「1本15万、1本15万・・・・・・」だと。
葉を抜かなくちゃならなくなったら、その後をインプラントで入れ歯するしかない。これが1本15万円。2本で30万。
えらいこっちゃ今日から歯磨きはこの呪文唱えることにしようぜ「1本15万、1本15万

帰りに釣り用のゴムボートを予約しようと妻に相談したら、やはり予想どおりいい顔しない。
ゴムボートは車に積んでいくんでしょう。「私の車は魚臭くなるのでダメよ
そうか今私の車買い換えようとしているところなんだ。忘れていたボートどころではない、車は車検がせまっている。10年点検でしかも動くけれど故障していて調子が悪い。
ボートはいったん棄却して、中古車だ。方向転換して、中古屋へ

結果、高くてこの日は諦めて帰った。車って高い、中古車といっても程度のいいのを求めようとすると、100万位になる。そんなあ・・・ボートの予算は3万円なのに、がっくり

ある「株主」の悩み

2010年07月14日 07時10分37秒 | 日記

また雨だ。しかも大雨洪水警報まで発令中。

今新聞で気になる紙面がある。それは株価の動向アラカンに至る今日まで、競馬、競輪、競艇などの賭け事、マージャンだってしたことがない。そして証券、株などの投資も別世界の話であった。だから細かい数字が並ぶ株価の欄なんて見たことがなかった。
ところが、まるで「棚ボタ」、入っている生命保険会社からの連絡で株券を贈呈するという。「キツネに摘まれた」ような話でよくわからない・・・

先日、保険会社から担当の女性が家にやって来た。60歳になって、保険の毎月の支払額がベラボウに上がるというのだ。それで保険の内容を精査しなおして、提案してくれとお願いしたところ。その時に、この株券の話が出た。「うそ」ではなかった。長年保険に掛けている顧客へのサービスというか、奉仕というか、客に対して株主になってもらうという。すごい美味しい話だ。さっき誰かのブログに、株式の上場を記念してと出ていたが、そりゃなんのこっちゃ
株の分配は事実であるが、今でもその意味がわからない。
美味しい話には必ず「裏」があるとこれまでずっと用心してきた。だから・・・

雨にも負けず、風にも負けず、巧妙な詐欺にも引っかからず・・・

ほんの数株に過ぎないのだが、ちょっとした金額になるし、車の買い換えようにちょうどいいと思って、売り時を狙っているのだがどっこいそうは問屋が卸さない
この保険会社の株価が落ち続けているのだ。見始めたときから既に15万円くらいは損をしている計算になる。

大きな会社なのに、営業成績が落ち込んでいるのだろうかそれとも企業戦略?
庶民の穏やかな日常を掻き回すのは止めにしてもらいたい

「僕には夢があり、希望があり、そして持病がある♪」の会社に乗り換えるぞ

チクタクチクタク・・・

2010年07月13日 07時45分14秒 | 日記
大雨が降り続いた。水捌けがいい私の畑も流石に処理しきれないで、畝間に溜まっている。   
今朝も小雨状態。「やんなっちゃう」

さて、書斎にネットのYASHOOオークションで買った柱時計がいい音を鳴らしている。

「チクタクチクタクボーンボーン」ってやつ。もう少し大型のものがほんとは欲しかったのだが、そうなると値がはね上がる。 これは安価で程度も良好。音が実にいい。狭い部屋なので、「音が」常にあり、恰も自分の存在感を誇張しているかのようでもある。不思議なものでこれが苦にならない。昔は時計って時の刻みを音で表現していた。30分経つボーン」と忘れずに1回鳴り、6時になれば6回、7時には7回鐘を打つ。先週の土曜日、大工さんに濡れ縁を作ってもらった序(つい)でにこの時計を設置してもらったのだが、取り付けが終わってなにか捜している。「何ですか?」と問うと「スイッチを入れないと動かないと思って・・・」
「これはゼンマイ仕掛けですよ」左右の穴に専用のネジで巻き上げる。これが懐かしいのだ。若い大工は知らない。時代が違う。今はみな電池。クオーツとか太陽電池とかエコとかエロとか・・・違うかっ 

何で年を取るとアンティークとか骨董とか古いものを求めるようになるんだろう。懐古趣味って、この年齢にならなければわからないな。妻は7歳下なのだが、はじめ母屋の中心部にと思って買ったのだったが「こんなものリビングには置けないわよ」とにべもなく却下された。仕方なく離れ書斎に安置。いいよ私が大事にするから。ゼンマイで動くこの時計、ほぼ正確に時を刻んでいる。「今何時だっけ?」と時計を見る。柱時計の針を見るのだが、その後目は机の上にあるクオーツの置き時計のデジタルの数字を見る。無意識に正確な数字(時間)を確認しているのだ。嫌だな、近代人ってゆったりとした「時間」をとっくの昔に失ってしまったのか。2,3分の違いいいじゃないの。朝になるとお日さんが東の空を朱に染めながら昇ってくるのだし、夕方になると「夕焼け小焼けで日が暮れて、やーまのお寺の鐘が鳴る」と有線が童謡を流してくれる。

身の周りを耳を澄ましてみると、いろんな音に囲まれているのだ、人間の日常はー。
チクタクチクタク、窓を開けているので雨のザーザーいう音、遠くに谷川の増水して流れ下る「ゴーゴー」という不気味な轟き。私の部屋にはギターがあり、シンセサイザーがあり、リズムボックスがあり、ラジオがあり、携帯が時どき鳴る。

不可思議也、人の出会い

2010年07月12日 09時02分55秒 | 日記
一昨夜から阿蘇南郷谷は強風が吹き荒れている。家の西隣りが背の高い杉林でこれが風に煽られゴーゴーと悪魔の雄叫びの如く響いてくるので、気色が悪い。不気味なので雨戸まで引いて、音をシャッタウトして寝ている。

雨の合間に畑に下りてみると、育ちつつある作物の一部の苗が風に倒されている。茄子、しし唐、トマトなど、その復旧と支柱を入れて麻紐で補強を施した。
そしてまだ残っているジャガイモを4畝、収穫。

ジャンボサイズからミニまで、ジャガイモは後1畝残すのみ。昨夜はじゃがバターで食べたが流石採り立ては美味い                                                   
午前中仕事して、シャワーで汗を流し、昼食は近くで高校の先生だったという方がパスタの店をしていて麺の茹で方に工夫があり美味しいということを近所の仲良しに聞いていたので、出かける事にした。なにしろスパゲッティー大好き人間。海鮮のトマト味のパスタが一番好きなのだが、さてどんなパスタ食べさしてくれるのだろう?場所はわが家から3キロほど離れているだろうか、大体の様子は聞いてわかると思った意外あっさりと見つかった。しかし、日曜日というのに静かで誰のいない。ドアは鍵が掛かっている。諦めて帰ろうとすると、「どうぞ入ってください。お作りしますよ。」という声が掛かった。挨拶していると妻が「どこかでお会いしたことがあります」と言い出した。いろいろ話しながらその接点を探っていると、見つかった。阿蘇に来る前に、住んでいた家が私の両親が以前住んでいた「向う三軒両隣」の向こう側に住んでいらしたのだ。私の母は生前時々、その家にお邪魔していたというし、妻も何度か遊びに言ったことがあるという。「お顔をどこかでお見かけしたことがあると思いましたが、なんとまあ」驚天動地である。                                  

南阿蘇移住の先輩であり、同じ高校教員出身。考え方(第二の人生の過し方)が似ていて、ここを紹介してくれた近所の仲良しさん(兵庫から移住されている)やさらに隣の西原村で沖縄の陶器を専門にお店をやっているMさん(もう10年来の友人)みな繋がっている。こうして人と人とのネットワークが形成されていくのだ。珍奇なる出会いでもあったし、そのパスタも自分で栽培した野菜をふんだんに使って(残念ながらトマト味ではなかったが)、麺も私の好みにあって美味かった。パスタの後に前菜サラダが出てきたがそれはご愛嬌。食後のデザートは手作りロールケーキとコーヒー。セットで1200円、値段も納得できる。気分よく食事して会話に花を咲かせ、車を見送ってもらいながら帰った。これから深い付き合いになるだろう。そんな予感がする。

この外輪山から吹き降ろす風の強さは途轍もない。心配なのはいろいろあるが、特にたった1個生っているリンゴが心配だ。
まだ直径5cmほどなのだが、正真正銘のリンゴだ。

ぶどうも生ったのがたった一房。これも風で千切れてしまいそう。


♪僕には夢がある、希望がある、そしてー♪

2010年07月11日 07時09分36秒 | 日記
4時に眼が覚めて、いつものように寝床で本を読んだ。

今朝はお医者さんの本2冊。一冊は鳥取の医師徳永進さんのエッセイ。ずーっと以前から彼の文章の愛読者であり、医療とか生きること死ぬことについての考え方に強い影響を受けてきた人。彼の文章(個人情報があるのでフィクション仕立てになっているのだろうがー)=臨床記録を読んでいると何だかそんな生死の哲学的な問題だといって片意地張らないでゆたーっと生きている日常の向こうに死があり、手前に経済価値のない平々凡々たる日常の積み重ねがあり、そこに一つひとつ光りを当てるとぼんやりと仄かに温かさが伝わってくる。なぜだか心が安心するのだ、徳永さんの本。

もう1冊は作家の名前を忘れた。本は枕元にあり、今離れの書斎にはない。ネットで「医者で作家」という条件で検索したら出るは出るは、森鴎外から、チエホフからみ南木佳士、加藤周一、渡辺淳一、カフカやクローニンだってそうらしい、久坂部羊まだまだわが家の書庫をよーく見るとたくさんいるはず。名前も作品名も宙に出てこないその作家の本は短編の小説集。現代医療を扱ったちょっと皮肉と風刺を入れた恋愛小説とでも言うか・・・そうだ永井明という名だった確か。

今朝の阿蘇の表情は鮮明で優しい。
厚い雲の向こうに早朝6時の太陽がある。

最近面白く楽しい、CMソング♪を笑いながら聞いている。
外資系の保険会社のCMで中年というか初老の男優が軽やかに歌う。「僕には夢がある、希望がある、そしてジビョウがある」最後のフレーズ最初何をいってるのかわからなかったが、よく聞いてみるとジビョウは持病だった。夢があり希望があり、その次に来るはずのロマンティックな言辞を誰しも予想する。ところがリアルな現実が顔を出す。この落ちがアイロニーが効いていて実にいい。「うまい」って思う。
親父達は持病を一杯持ちながら頑張っているんだ。しかも一病どころか「多病息災」でー。

狭心症という心臓病を持っているとつねにの動きが気になる。鍬を振るっている時、息が上がると休んで息を整える。
体でまったく健康といえるものは何か「残っている」だろうかと考える。白内障で手術したばかりの目も、治療中の歯、歯茎も歯周病だし、鼻は副鼻腔炎だし、顔はめ一杯膨らんでいるし・・・
そうだ耳が残っているぞ!・・・って、こんなん自慢できるか

パジャマのまま畑に下りて一杯写真撮ってきた。今日のテーマは作物の花。

静かに、そして凛として立っているニラの花。