おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

寒ーい!

2013年11月24日 07時46分56秒 | 日記


この朝の冷たさは何だ

室温で5度。外は霜で真っ白

昨日強烈な寒さと霜でとうとう皇帝ダリアが死滅凍りついた花弁、葉は温度が上がっても元に戻らなかった。萎れて項垂れて見ると哀れな姿。

しかし、今年はよく頑張って咲いてくれた。花が10個は咲いて、畑の一角を華やかにしてくれた
ありがとう、皇帝ダリアー

でも何で「皇帝」なんだろう?

昨日は地元の婦人部(女子会さくらという)がイベントを開いた。トラクターの体験乗車・・・藁を飼料作製用機械でボール状にする見学会。そしてだご汁とおにぎりを提供していた。セットで500円。これに抽選券がついていた。

この場所はいつもは生ゴミを収集する場所。組合の農業機械を収蔵している場所。こじんまりとしたイベントでどちらかというと主催者を除けば参加者はほんの数組、20人もいただろうか・・・

小さな試みだが、村にはこういう懇親の機会が懲りずに続けられてこそコミュニティーの融和が形成されていくのだろう。

お昼をこのセットにして、知り合いとおしゃべりして帰ったが、夕方、預けていた抽選券が当たったといって、女子会の人がわざわざ賞品を届けてくれた。

これをみるとお昼のだご汁セット、たこ焼きの代金よりも多い額の賞品だった。申し訳ないなあ・・・ありがとうございました

「頑健な体」という過信が悲劇生む

2013年11月23日 07時31分48秒 | 日記


昨日、親友の家にお悔やみに行ってきた。

阿蘇から水俣まで高速を使って2時間足らず。

家は母校である水俣第一中学の近くですぐわかった。

1時過ぎに伺ったのだが、よく気の利く奥様でお昼まで用意して下さっていた。「ありがたいのですが途中で昼は済ませてまいりました、ありがとうございます」と丁寧に辞退。

気持ちだけを頂いた。

先ずは仏壇に線香をー

葬儀で飾ったのだろう大きな額に入った友人の笑顔が迎えた。しかし、その顔が見れない

周囲への心配りが細やかな男で、引っ張っていく力も強かった。私達中学バレー部のキャプテンだもの。

勉強も私より少しできた。いい男だし、こういう男のことをマルチ人間というのだろう。

高校ではサッカーで全国大会に行った。この高校以来サッカーはまったく振るわない。大学ではボート部で活躍した。
私が大学で書道部に入り、フォークソングに熱中していた「軟派」と進む方向性が少しずつ変わって行った。

日本専売公社に入社。

55歳で早期退職するのだが、奥様の話で事情が知れた。

彼は親孝行で年老いた親の面倒を見るために東京本社の高い地位を捨てふるさとへの帰還を選んだのだった。親類も彼に頼りきっていて、よく面倒を見ていたという。

まったく知らなかった。かれは年に2度、南阿蘇へ一家親類を連れて遊びに来ていたという。

私のことを話しながら「この辺に住んでいるのだろう・・・」と。

男ってなんでこうなんだろう。私も彼が倒れた9月水俣の叔母の家に野菜を持って行った。帰りに立ち寄る時間はたっぷり作れたのにー

職場で一番お世話になった先輩の死も葬儀の後で知った。酒を飲みながら文学の魅力を熱く語り、難しい文芸評論の話を聞いた。亡くなって家に伺うと自分の本は後輩の私に上げてくれと奥様に伝えてあった。

彼にも退職後一度も会っていない。そう死ぬまでー

またしばらくは「死」を見つめる時間が長くなるだろう。

当世若者考

2013年11月22日 07時14分55秒 | 日記
寒さと霜にもよく耐え頑張って咲いている皇帝ダリア!

あまり嬉しくないニュース。今年も去年に続いて文芸賞は入選に終わった

今年こそはと思っていた作品だったのだが・・・悔しい



話題を切り替えてー

今家の建て増し工事をしている。妻の部屋として8畳の間一間の普請なのだが、だいぶ出来上がった。

昨日フローリングも貼り付け、屋根瓦も一部残してできた。一部というのはこの地方ならではの「雪止め」の特殊瓦を入れる。

さて大工さんが通常二人、今瓦職人が二人、四人とも30台の前半で若い。一見怖そうな面体の子もいるのだが話してみるとみんな気持ちのいい人ばかりで、一緒にお茶を飲む時間が楽しくてならない。

8時半に来着。まず熱いお茶。10時に休憩でコーヒーを出す。この時、お菓子もー

このコーヒータイムと午後3時のティータイムを一緒する。

昨日は妻がいなかったので全部私が世話した。お昼には妻が作っていたぜんざいの汁に小麦粉を練って団子を作って火にかける。もちろん団子は別に湯掻いて煮えたら一緒に交ぜてさらに熱を加える。味は妻がつけている。

これを蓋のついた椀に注ぎ4人に出す。団子が柔すぎたのが気懸かりだが・・・

3時のティータイムの会話。これが面白かった。久しぶりに腹を抱えて笑った。

笑ったのは「下ネタ」だがこれは省く。

この日2人がニッカポッカを穿いてきた。独特のブカブカズボンだ。まず「それって動き易いのですか?」

「見た目と違ってとても動き易いんですよ

一番下のところに小さなベルトがついていてしっかり締めるようになっている。昔の女子が着けていたブルマーをずーっと下にひっぱたような感じ・・・?

若者が少し苦渋の声音で「でも大きな現場に行くと『見苦しいから』穿くな」と叱られるという。でも自分はこれが好きだ。

私、「昔は作業現場の男達はみなニッカポッカはいていた様に思うけど、これは一つの文化伝統と思うけどなあ」。

若者、「これを最近の入ってくる『若い子』は嫌うんですよ」ときた。

うーん・・・

このニッカポッカ、1本1万円以上するという。これには驚いた私が今はいている農作業用のズボン「ダイレックス」で特価498円

彼らが言う。「安い品物は生地が硬くて、或は薄くて『パンツ』が透けて見えてしまいますよ。硬いのは動きにくいのでだめ!」

彼らは顔に無精ひげを生やし、強面で怖そうなのだが話してみると気さくでとても好感が持てる。昨日作業を終えると暗くなっているのに現場をきれいに掃き掃除までして帰って行った。頭が下がる

見た目で判断したら絶対に間違うってことだ


親友の死

2013年11月21日 10時59分51秒 | 日記


昨日待ち望んだ文芸賞の知らせは届かなかったけど、悲しい知らせが届いた。

中学でバレー部のキャプテンだったYが急死したということを知らせる葉書だった。それには9月に親友が亡くなり、翌月には実母が亡くなられたという。

なんとも辛い話だ。

バレー部では当時9人制で前衛のセンターに私、中衛のセンターにY、後衛のセンターにNこの3人が特に仲が良かった。

Nは中学卒業してすぐ集団就職で都会に出て行った。その出発する蒸気機関車を見送りに水俣駅に言った覚えがある。あれからそろそろ半世紀になる。

Yは熊本市内に進学校に進み、私は鹿児島の高校へと進路は3人それぞれ分かれてしまった。しかし、Yとは大学で再会することになる。

私は教員養成学部へ、彼は法文学部へ。鹿児島で交友が再開した。

大学卒業後はYは東京へ。私は熊本市内の高校へ就職。以降は疎遠になっていたが、還暦同窓会で再開したばかりだった。

東京に住んでいた彼は子供たちの巣立ちをみて水俣に帰郷。

晴耕雨読の生活をしていた。奥様の話では普段から血圧が高かったそうだが、体を鍛えているので自信があったのだろう。病院へ行かなかったという。

検査も普段の服薬(特に降圧剤も)もしていなかったのだろう。それは突然に彼を襲った。

心筋梗塞

大動脈解離があったらしい。これは死後解剖で確認されたという。

どうしても信じられない!お母さんは93才、認知症があって通常会話ができなくて施設に入所していた。奥様は息子の死を知らせなかったという。

一月後に逝ってしまわれたというが親孝行のYが天国で再び孝行しているのではないだろう。

昨日奥様に電話してお悔やみを述べ、週末にはお線香をあげに伺いますと伝えた。

心がずーっと沈んでいる。




心中穏やかならず

2013年11月20日 07時34分49秒 | 日記
今収穫できる野菜ー葱、ラディッシュ、春菊、小カブ。

もう何度目になるだろうか?県文化懇話会、県、市、県教委、市教委、熊本日日新聞社が催している「県民文芸賞」に今年も出品した。

これまで小説部門で1回入選、あとノンフィクション・評論部門で1席を1回、2席を2回、昨年の入選を含めて2回。

小説は何回か出したのだけれど、どうもだめみたいだ。

結果の発表が11月中旬ということで今毎日が緊張の連続。入選者には新聞発表の前日に封書で結果の知らせが届くことになっている。去年が11月21日に新聞発表された。

とすると今日結果が送られてくることになる。まさか新聞発表があっているのではないかと(知らせなくて発表されたら落選ということになる!)ハラハラドキドキで新聞を見たら、載ってない。

さて今日、郵便が届くかどうかー

今年は久しぶりに生命倫理・生殖医療の現在についての評論を書いた。時宜は得ていると思うのだが・・・

仕事を退いて「毎日が日曜日」になっている自分の気持のハリになってる。去年は地元阿蘇の修験道について調べて書いた。自分ではかなり史料も読み、古刹も探訪し考察の末に書き上げた自信作と思ったが、それでも深め方が足りなかったのだろうー「入選1位」という4番目の成績だった。

さて今年はどうか?