とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「ら抜き言葉」と可能動詞2

2016-11-01 12:20:55 | 国語
「ら抜き言葉」は容認されるべきか

 最近になって「ら抜き言葉」はもはや定着しつつあり、容認すべきではないかという意見が出ています。わたしも賛成です。「ら抜き言葉」が単なる言葉の乱れだったのならば、そう簡単に容認すべきではないと思うのですが、「ら抜き言葉」を使ってしまう合理的な理由があるからです。

 文化庁の「国語に関する世論調査」で、ら抜き言葉についてどちらの用法を使うかの調査結果は次の通りです。上が従来正しいとされてきた用法で、下が「ら抜き言葉」で従来正しくないとされてきたものです。数字は%

  こんなにたくさんは食べられない。  60.8
  こんなにたくさんは食べれない。   32.0

  朝5時に来られますか。       45.4
  朝5時に来れますか。        44.1

  彼が来るなんて考えられない     88.6
  彼が来るなんて考えれない。      7.8

  今年は初日の出が見られた      44.6
  今年は初日の出が見れた       48.4

  早く出られる            44.3
  早く出れる             45.1
 
 動詞によって、あるいは使い方によって許容の差がかなりあることがわかります。そして年齢層が下がるとさらに「ら抜き言葉」容認派が増えるそうです。

 先に「ら抜き言葉」には合理性があると書きましたが、「ら抜き言葉」の合理性というのはどういうものでしょうか。それは1つは、五段活用の動詞の場合も可能の時に可能動詞となったように、可能の場合は他の受身や尊敬と別の表現になることのほうが自然に感じるようになったということです。可能と受身が別の表現になったほうが、表現の曖昧性が減るのでこれは合理的な変化です。もうひとつは可能動詞でも「書ける」「飛べる」のようにエ段に「る」がついています。すると「ら抜き言葉」の「見れる」「出れる」のほうが共通性があり、自然に思えてしまいます。

 規範意識が高かった時代は「ら抜き言葉」を使ってはいけないと誰もが思い、それが自然になっていました。しかし「ら抜き言葉」に合理性があったので次第に誤用が増えてきました。そしていつの間にか「ら抜き言葉」のほうが自然に感じられる人が増え、「ら」を抜く方向に、時代ともに変化してきたのです。

 続きます。

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