朝日新聞の「折々のことば」より。加藤典洋さんの言葉である。これに対して鷲田清一さんは次のように言う。
短縮したり圧縮したりできないもの、どうしても省くことができないものが、経験にはある。人生においては暗中模索が続く思春期がそれだと、文芸評論家は言う。作文もそう。書くことに抵抗というかつかえのようなものがあって、書くうちそれが自分と「のっぴきならない関係」になる。そんな「ギクシャク」を経てはじめて文章は「色づく」と。『言語表現法講義』から。
思春期のあの苦しみは誰もが経験する。あれがあるからこそ人間でいられる。あの時代を楽に生きてきた人間はどうなるのだろうか。人の痛みがわからない人間になるのではないか。
そして文章を書くことも苦しいことだらけだ。それでもその苦しさに向かう。文章と格闘し、自分と無理矢理に向き合うしか自分が自分として生きていけないからだ。
生きていくのが疲れるのは当たり前なのだ。疲れなければ自分の人生はないのだから。