「羅生門」の授業をしていて、思い付きで「きりぎりす」がいなくなったのは下人が食べてしまったのではないかと言った。「きりぎりす」は現在のコオロギだと教科書の注には書いてある。下人は飢えている。そんな下人ならばコオロギを食べても不思議ではない。
ありえないという批判もあるだろうが、思い付きもふくめて「読解」である。無視されてもいいが、言って悪いということもあるまい。最終的に否定されてもこういう雑音は、読解の幅を広げる。少なくても「飢え」を知らない高校生には「飢え」を意識させる効果はある。 とは言え冗談から始まったものなのでまともに論じるのも気が引ける。
ちょっと調べてみると、「食用コオロギ」というのがあるのだそうだ。しかも健康によくわりと本格的に売られている。驚いた。
となるとやっぱり下人は「きりぎりす」を食べてしまったのではないかと思ってしまう。