第四章から少し間が空いてしまいましたが、今回は第五章
【「語り手」の意識】
小説の語り手は事実をそのまま書いていくわけにはいかない。語り手の意志によって省略したり、説明したり、様々な手法を駆使する。
第五章の冒頭につぎのようにある。
「二十四時間の出来事を漏れなく書いて、漏れなく読むには少なくとも二十四時間かかるだろう。いくら写生分を鼓吹する吾輩でもこれは到底猫の企て及ぶべからざる芸当と自白しざるを得ない。」
漱石が「語り」を小説における語りを意識していたことを示す文であろう。
【泥棒の出現】
苦沙弥の家に泥棒が入る。犯罪小説の雰囲気があるが、やはり猫が情けないので締まらない。犯罪小説のパロディになってしまう。
この泥棒、なんと「寒月」とそっくりなのである。これは後半の何かの伏線になっているのではないかと思っていたら、結局何の意味もなかったようである。
【落語】
警察が何が盗まれたのかについて告訴状を書くように命じられる。その時の夫婦の会話は落語調である。読んでいておもしろい。
【多々良三平】
多々良三平という知人がやってくる。もともとは苦沙弥の家の書生であったが、今では法科大学を卒業して会社勤めしている。実業家の卵だ。泥棒に盗まれた山芋をくれた人物である。泥棒が入っても何の役にも立たない猫を食ってやるという。
【鼠との対決】
食べられるわけにはいかない。そこで「吾輩」は猫を取らなければならなくなった。しかしうまくいかない。猫と鼠の対決は戦争小説のパロディといったところなのかもしれない。「トムとジェリー」みたいで読んでいておもしろい。