今日、日本の学校について話題になました。わたしは日本の学校は「みんなで助け合って、みんなでしあわせになろう」という言説によって成り立っていると発言しました。そこにいた人たちは笑っていたのですが、実際そうなのではないかと思っています。
小学2年の国語の教科書に「スイミー」という作品があります。わたしのころはなかったのですが、いまや誰もが知っている定番です。作者はレオ=レオニという絵本作家です。日本語訳は谷川俊太郎。
あらすじは次の通りです。
スイミーは小さな魚。まわりにいる魚はみんな赤い魚だったのに、スイミーだけは真っ黒だった。泳ぎも得意であり速かった。ある日大きなマグロがやってくる。まわりにいた赤い魚はみんなマグロに食べられてしまったが、泳ぎが得意だったスイミーだけがなんとか助かる。
ひとりになったスイミーはさまざまな海の生き物たちに出会いながら放浪するうちに、岩の陰に隠れてマグロに怯えながら暮らす赤い魚たちを見つける。スイミーは一緒に泳ごうと誘うのだが、マグロが怖いからと小魚たちは出てこない。
そこでスイミーは、マグロに食べられることなく自由に海を泳げるように、みんなで集まって大きな魚のふりをして泳ぐことを提案する。そしてスイミーは自分だけが黒い魚なので、自分が目になることを決意するのだった。かくして小魚たちはマグロを追い払い、岩陰に隠れることなく海をすいすい泳げるようになったのであった。
この教材を小学校では協力することの大切さと教えているというのが定番の教え方のようです。しかし実際どうなのでしょう。小学校の先生はみんなそう教えているのでしょうか。
この絵本を素直に読めば、孤独になったスイミーが海の中でたくさんの個性的な生き物と出合う中で、自分の個性を大切にしようと思う話のように思えます。しかし個性よりも協力の方が学校文化に合っているのです。だからそう解釈されます。
これは日本の伝統的にそういう道徳を土台にしていたのではないでしょうか。戦前日本が戦争に突入していったのも、その言説によっています。「みんな」を日本人、そしてアジア人へと広げて行っただけなのです。「みんな」はみんなのことを指す。それを教えないのが日本の教育なのかもしれません。