映画『マンチェスタ・バイ・ザ・シー』の脚本で知られるケネス・ロナーガンの戯曲作品『ロビー・ヒーロー』を見ました。「うそ」はどこまで許されるのか。そもそも「うそ」とは何か。「うそ」を生み出す「空気」とは何か。そして人間の弱さと強さを考えさせられる映画でした。アメリカでもやっぱり「忖度」ってあるということがわかります。
【作】ケネス・ロナーガン
【翻訳】浦辺千鶴
【演出】桑原裕子
【出演】中村 蒼、岡本 玲、板橋駿谷、瑞木健太郎
【あらすじ】
ニューヨークのマンションのロビーに警備員のジェフが働いている。真面目で向上心のある上司ウィリアムは、弟が殺人罪に問われて心配していた。見回りに来た有能な警察官ビルと相棒の女性新人見習いのドーン。ふたりは男女の関係に発展しそうである。ビルはとあるマンションの部屋に用があると言ってエレベーターを上る。ロビーで待っているドーンに、ジェフはビルの訪問先は女性だと口を滑らしてしまう。動揺したドーンは、勤務時間中の行動を上に報告するとビルに噛みつくが、本採用させないぞと逆に圧をかけられてしまう。
翌日。弟のアリバイを偽証したウィリアムに対して、自分が何をすべきか悩むジェフ。ドーンは本当のことを話すのがあなたの責任だと説得する。しかしウィリアムはそれに対して反論する。
この作品ではニューヨークの警察が戯画化されています。女性は差別され、男性職員の性的な対象となっています。実際にはそこまでひどいことがないのだとは思いますが、現実の社会ではまだまだそういう「空気」は残っていても不思議はない。そして単なる警備員は警察官から差別されます。警備員は底辺で生きる人間だという「空気」が現実にはあるのです。今日でも黒人差別が消えないアメリカの現実がそこにはあります。
差別が歴然とある社会の中では自分は自分で守らなければなりません。警備員の上司の弟に凶悪犯の容疑がかけられます。弟が本当に犯罪を犯したのかははっきりしません。また底辺社会の住民を弁護士が本気で弁護しません。そこで警備員の上司は、犯行が行われた時間、弟は自分と一緒にいたと証言してしまいます。弟のために嘘をついてしまうのです。確かに嘘はいけません。しかし差別が明確な社会の中で、これはしょうがないことなのではないか。それが嘘をついた理由です。
いびつな社会では嘘が横行します。真実が見えない社会の中で我々は生きています。それを思い知らされる劇でした。
あまり期待していなかったのですが、とてもおもしろい演劇でした。
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