ショーン・ホームズが演出、段田安則が主演を務める『リア王』を見ました。斬新な演出で、緊張感が持続する舞台でした。
幕が上がると白い背景、舞台の上には蛍光灯が点灯し、不思議な現代的な空間が現れ意表をつく幕開きとなりました。登場人物も現代的な衣装を着ています。人物の区別がつきやすく、大げさな歴史性が捨象されているために、セリフの意味がストレートに伝わってきます。人物関係もわかりやすくなっているような気がします。おそらく後半のごちゃごちゃした箇所が省略されていたので、すっきりしているのではないかと思われます。
いろいろな考え方はあると思いますが、私はシェークスピア作品をそのままの形で、現代に、しかも日本で上演するのは無理があるように思います。とくに『リア王』はあまり上演されることがなく、観客も準備ができていません。ある程度、台本に手を入れるのはいいことなのではないかと思います。そのおかげで内容に無理なく入っていくことができたような気がします。
私が小学生か中学生の時、国語の教科書に『リア王』が載っていました。もちろんごく一部です。三姉妹のリア王に対する愛を語る部分です。私はその時とても違和感を覚えました。コーディリアがなぜリア王への愛を語らなかったのか、それが逆に偽善のように感じたのです。教科書の意図は、嘘はいけないというものだったのかもしれませんが、そんなに単純なものではないと子どもながらに考え込んでしまったことを記憶しています。
コーディリアがリア王を愛していたことは確かだし、それを何も飾らぬ言葉で語ってもよかったのではないかと思ったのです。それができなかったがためにリア王の人生は狂い、一族の運命が破滅に到るのです。コーディリアがすべての原因だったということになるのです。この理不尽な展開が子どもの私には理解できなかったのです。しかし今回あらためて見てみると、こういう不条理こそが人生そのものなのだと感じました。年をとるということはこういうことを受け入れるということなんだなと不思議な気持ちになりました。
それにしても、昔は演劇がちゃんと教材になっていたことが今考えれば驚きです。ほかにも『ジュリアス・シーザー』のアントニーの演説も授業で学びました。教科書にあったのです。昔は余裕があったのですね。演劇は表現を学ぶいい教材です。国語教育に積極的に取り入れることを期待します。
主な出演者は段田安則、小池徹平、上白石萌歌、江口のりこ、田畑智子、玉置玲央、入野自由、前原滉、高橋克実、浅野和之。実力者ぞろいの大作でした。
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