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【金田家の刺客】
「吾輩」は金田家に偵察にいく。探偵のようであるが、「吾輩」は「凡そ世の中に何が賤しい家業だと云って探偵と高利貸程下等な職はないと思っている。」と言う。矛盾していておもしろい。夏目漱石の資本主義に対する反感も出ている。
金田家に苦沙弥先生と知り合いの鈴木藤十郎が来ている。金田家では、鈴木君に苦沙弥と話をしてもらい、娘と寒月の結婚話を前にすすめるように願う。鈴木君は苦沙弥の家に来てその話をする。そこに迷亭がやってくるからやはり話は混乱する。しかし、迷亭から寒月が論文を書き始めたことが明かされる。論文を書くという事は博士になるということであり、生活が安定しそうだ。結婚話が進展していきそうな気配が生まれる。
【会話の書き方の変化】
この章から会話文で、カギカッコごとに改行が行われている。これは現在の小説では当たり前のことなのだが、『吾輩は猫である』ではこの場面まではカギカッコも改行がおこなわれず書かれていたのである。どういう事情なのか。
【極楽主義】
「極楽主義」という言葉が出てくる。引用する。
「鈴木君は利口者である。いらざる抵抗は避けらるるだけ避けるのが当世で、無要の口論は封建時代の遺物と心得ている。人生の目的は口舌ではない実行にある。自己の思い通りに着々事件が進捗すれば、それで人生の目的は達せられたのである。苦労と心配と争論とがなくて事件が進捗すれば人生の目的は極楽流に達せられるのである。鈴木君は卒業後この極楽主義によって成功し、この極楽主義によって金時計をぶら下げ、極楽主義で金田夫妻の依頼をうけ、同じくこの極楽主義でまんまと首尾よく苦沙弥君を説き落として当該事件が十中八九まで成就したところへ、「迷亭」なる常軌をもってりっすべかららざる、普通の人間以外の心理作用を有するかと怪しまるる風来坊が飛び込んできたので少々その突然なるに面食らったのである。」
現代を見ていると「極楽主義」がはびこっている。誰がどう考えても間違っていることでも議論をしない。とにかく事を運べばいい。真面目に考える人が阻害される時代だ。当時の状況と現代は同じだ。個人主義の時代に全体主義が幅をきかせている。漱石にとって苦痛だったにちがいない。
今私たちは「快楽主義」に陥っている。大切なことは議論されず、「お上」の言いなりだ。そして「空気」が言論の自由を奪うという仕掛けが出来上がる。本当に大丈夫なのだろうか。
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