とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

少子高齢化と移民の受け入れ2反対意見

2016-10-21 16:47:54 | 国語
 国語の授業で「少子高齢化による労働力不足の解消のために移民の受け入れを進めるべきだという意見に賛成か、反対か。」という小論文課題を出題した。パラグラフ・ライティングで小論文を書かせる。その解答例。今回は反対意見。

 私は移民の受け入れを進めるべきだという意見に反対する。急激な移民の受け入れは自国の文化の破壊を招く危険性があるからだ。
 世の中の急激な変化には大きな犠牲が伴われる。明治維新によって西洋文化が日本に大量に流入した。その時夏目漱石は、「日本の開化は外発的であり、神経衰弱に陥る。」と警鐘をならした。漱石の言葉は現実のものとなった。西洋に無理やり追い付こうとするために、日本の社会はいびつな成長をとげることになる。そしてそのいびつな成長が軍国主義につながったのである。今回の移民受け入れの案も思い付きだけの案にしか思えない。日本は他国の人との共存に慣れていなく、急激に移民を受け入れれば社会が分裂するだけだ。確かに移民の受け入れは必要かもしれない。しかし急激な受け入れは土台になる日本の社会を崩壊してしまうのだ。
 国家というのは伝統ある文化の上に成立している。だから文化を破壊するような急激な変化には反対する。


 文字数だけでは400字である。
 【序論パラグラフ】
  ①「問題提起」はすでに問題になっているので省略。
  ②「意見」は、「反対」。
  ③「論拠」は、「急激な移民の受け入れは自国の文化の破壊を招く危険性があるから。」
 【本論パラグラフ】
  ①「トピックセンテンス」は、「世の中の急激な変化には大きな犠牲が伴われる。」この一文によって、急激の変化によって社会が乱れることを説明をするのが本論パラグラフの意図であることを示す。
  ②「根拠」は、漱石の警句の部分と日本が軍国主義に陥ってしまったこと。ここは事実である。「論拠」の裏付けとなる事実の部分である。
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少子高齢化と移民の受け入れ

2016-10-20 15:35:51 | 国語
 国語の授業で「少子高齢化による労働力不足の解消のために移民の受け入れを進めるべきだという意見に賛成か、反対か。」という小論文課題を出題した。パラグラフ・ライティングで小論文を書かせる。その解答例。今回は賛成意見。

 私は移民の受け入れを進めるべきだという意見に賛成する。労働力不足の解消になることはもちろんだ。同時にこの機会に日本が真の国際化を目指すべきだと思うからだ。
 日本の真の国際化は現状ではまだまだである。日本には他国に比べて移民が極端に少ない。大和民族以外の人が極端に少ないのだ。他国を見るとアメリカは人種のるつぼである。欧州でもどんどん移民が増えている。中国人や韓国人はどんどん外国に進出している。日本はもちろん制度上鎖国しているわけではないが、現実には鎖国しているのと同じなのだ。これからの時代、我々は否応なく国際化の中に放り込まれる。このままでは日本人は国際化に対応できない。その不安を解消するために今のうちに移民の受け入れを始める必要があるのだ。
 確かに他国でも移民の増加によるトラブルがある。しかしこのままの状況では日本に未来はないのだ。トラブルを乗り越えて国際化に向けてスタートを切る必要がある。

 文字数だけでは399字である。
 【序論パラグラフ】
  ①「問題提起」はすでに問題になっているので省略。
  ②「意見」は、「賛成」。
  ③「論拠」は、「この機会に日本が真の国際化を目指すべきだと思うから。」
 【本論パラグラフ】
  ①「トピックセンテンス」は、「日本の真の国際化は現状ではまだまだである。」この一文によって、国際化がまだまだだということの説明をするのが本論パラグラフの意図であることを示す。
  ②「根拠」は、「日本には他国に比べて移民が極端に少ない。大和民族以外の人が極端に少ないのだ。他国を見るとアメリカは人種のるつぼである。欧州でもどんどん移民が増えている。中国人や韓国人はどんどん外国に進出している。」の部分。ここは事実である。「論拠」の裏付けとなる事実の部分である。
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『べっぴんさん』の視聴率が伸びない

2016-10-19 19:48:17 | TV
 NHKの朝の連続テレビ小説の『べっぴんさん』の視聴率が20%を切ったとニュースになっていた。まあそうだろうなという感想である。といってもこれは今の段階では悪い意味で言っているのではない。

 ここしばらくの朝の連続テレビ小説は軽いものばかりが続き、漫画的なものとなっていた。朝のドラマなのだからそのほうがいいのだとも思うが、そればかりではドラマの幅がどんどん狭くなってくる。そろそろ少し冒険したくなるころだ。そこでリアリティをだそうとしてみた。『べっぴんさん』では役者がリアリティのある抑えた演技をしている。だから見ているほうからすれば暗くて疲れるのだ。しかしこれまでの流れに抵抗しちょっとがんばってみたんだろうなと、その勇気には共感するところがある。

 ただし、それにしては気になるところがある。戦時中なのにいろいろなものがきれいすぎるのだ。服も家も新品のようなきれいさである。リアリティがない。演技はリアリティのあるのに、セットや衣装にリアリティがないのだ。この違和感は大きい。

 今は戦争直後を描いているのでしょうがないかもしれないが、この後も暗い展開だったらやっぱり厳しいだろう。主役の芳根京子さんも明るさに魅力がある女優なのでこれから明るい方向に向かうことを期待するし、そうなった時、このドラマの本当の良さがでてくることを願っている。やっぱり朝のドラマは明るいほうがいい。
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新潟県知事選挙

2016-10-18 17:29:06 | 社会
 新潟県知事選新人で内科医師の米山隆一氏初当選した。米山氏は、東京電力柏崎刈羽原子力発電所の再稼働問題に慎重な姿勢をとっている候補である。

 この選挙はいろいろな面でうさん臭さが漂っている。

 根本的にはなぜ新潟県に東京電力の原発があるのかだ。新潟県は東北電力の管轄地域であり東京電力の発電所があることが筋違いである。同じように東北電力の管轄地にあった福島の原発があのような重大事態に陥り、柏崎原発も中越地震で危ない目にあっている。再稼働に慎重なほうが当然なのだ。しかし再稼働に持っていこうとする勢力がある。前知事が出馬を取りやめたのも解せない。なんらかの力が働いているとしか思われない。「闇の巨大権力」が人々に圧力を加え続けているのである。

 一番いけないのはメディアでさえ、その圧力に屈しているということである。特にマスメディアは情けない。スポンサーのご機嫌伺なのか、このニュースはできるだけ深くはふれないようにしている。もはやこの国のマスメディアは終わったと言っていい。彼らは生き残りしか考えていないのだろう。

  沖縄の問題、原発の問題、危険なものはすべて地方に押し付け、首都圏だけは人とお金で潤っている。日本という国はそういう下品な国なのだ。あさましく自分だけの生き残りを考える人たちの集団がこの国なのだ。

 沖縄で翁長知事が当選し、今回新潟で米山氏が当選したことは、日本が下品な国になってはいけないという良識者の意思表示である。これからも様々な得体のしれない圧力が、見える形、見えない形で襲ってくる。マスメディアが報じなくなった今、我々は自分の目でしっかり見るしかない。

 「魔女狩り」に与しないように自分をしっかりと保っていかなければならない。

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劇評『るつぼ』(10月16日 シアターコクーン)

2016-10-17 16:09:53 | 演劇
 作:アーサー・ミラー 演出:ジョナサン・マンビィ 
 出演:堤真一、松雪泰子、黒木華、溝端淳平、他

 心と頭を揺さぶるすばらしい舞台だった。
 
 アビゲイルと少女たちが全裸で踊っているのを牧師のパリスに発見される。神への冒涜である。しかも、少女の一人で牧師の娘ベテイが意識不明となってしまう。パリスはただうろたえるばかりで何も対処できない。そのうち、町の有力者パトナム夫妻が「悪魔を呼んだからだ」と言いだし、少女たちは町の人々を魔女として告発してしまう。

 少女たちは嘘を言っているのか。嘘を真実と思いながら主張しているのか。いずれにしても少女たちに言葉にみながだまされてしまう。そして自分を「魔女」であったと認めなかった者、つまり正直者が神への裏切り者として次々に処刑されていく。

 現代でも同じであろう。さまざまな虚像を根拠に人々が人々を攻撃する。政治的な様々な問題、ワイドショー的な問題、学校のいじめの問題、さまざまな攻撃が得体にしれないことを根拠に行われているのである。そしてそのような「魔女狩り」に口を挟めば、逆にその人間が攻撃される。このおそろしい世の中で自分を保ち正義を貫くことが本当に可能なのか。芝居の後半ではずっと見る者の心に問いかけ続ける。

 緊張感のあるセリフの連続でありながら、役者がしっかりとしているので集中力が切れることはなかった。演出も芝居の流れをしっかりと作っていた。踊りも自然に取り入れられ、身体表現に心を映していた。舞台美術も転換もみごとであり、印象にのこるものであった。

 名舞台である。
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