とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「ひとりの人間のもっとも優れた価値は、その人が所有権を要求できない領域にある(ルイス・カーン)」(朝日新聞「折々のことば」より)

2019-09-20 18:57:04 | 折々のことば
 朝日新聞9月20日の「折々のことば」より。このことばについての鷲田清一氏の解説を引用する。

 私の発想、私の作品などとこだわるところに真の創造性はないと、米国の建築家は言う。私の中にあって私より先に、そしてつねに蠢(うごめ)いているもっと古いもの。そこにこそ創造性の種はあると。着手点(スタート)から前方を見るよりも、むしろその手前にある真の始まり(ビギニングズ)に溯(さかのぼ)れとの提言は人生にも当てはまりそう。『ルイス・カーン建築論集』(前田忠直訳)から。

 「人まねをするな」と言われることがあるが、創作活動をした人間ならだれでもわかると思うが、完全なオリジナルなんてありえない。創作は「人まね」から始まる。過去の作品を土台にして新たなものを作りだしていくのである。それが芸術の本質である。

 だから行き過ぎた著作権は創作活動を阻害するものである。もちろん著作権自体は保証されるべき権利である。しかし死後70年も保護されてはいけない。これは芸術活動が経済活動によって抑え込まれている状態である。

 現代社会は経済論理が強くなりすぎている。経済の発展が人類の発展であるという幻想に支配されている。最近よくこのブログで発言している入試改革も、経済論理によっていびつな改革になっているのはあきらかだ。もちろん貧しさは人間に苦しみを与えるのは確かだ。しかし必要以上の富よりは、文化のほうが幸福を与えてくれる。文化を育て、よりよい教育のためにはもっと経済論理を抑えていかなければいけない。
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『ノーサイドゲーム』はおもしろかった

2019-09-16 06:51:43 | TV
 今期のドラマの一番の話題作であった『ノーサイドゲーム』はとてもよいドラマだった。

 肩のこらない単純明快なストーリーだが、そこに企業スポーツの問題や、統括団体の問題など現実的な問題をからませているので、逆にラグビー業界を敵に回してしまうのではないかと思わせるものだった。単純だからこそ、ごまかしようがない。ワールドカップ前によくこんなことを表現していいのだろうかと少し心配になってしまった。そこがアクセントになって単純な勧善懲悪のレベルを超えていた。

 浜畑役の廣瀬選手もすばらしかった。普通現役スポーツ選手がドラマに出ると、どうしても浮き上がってしまってドラマどころでなくなる。しかし廣瀬選手は違った。まったくの演技素人が存在感をしめしていたのである。これは驚きだった。

 ラグビーシーンの迫力もすばらしかった。

 いよいよラグビーワールドカップの開幕である。その盛り上げにも大きく貢献したドラマだった。
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教育予算の増加が教育再生のはじめの一歩

2019-09-15 07:46:27 | 教育
 今日の朝のニュースで、日本の教育機関に対する公的支出の割合が最下位であったと言っていた。一方では家庭の教育に対する支出が一番多いのだという。経済協力開発機構(OECD)の調査である。

 現在日本の教育は教師に無理な負担をかけ、教師は疲弊している。本来ならば教師や教育機関の職員を大幅に増やし、教師の負担を減らし教育の質を向上すべきなのだ。しかし現在教育改革の影響で教師の負担は逆に増え、それをごまかすかのように「働き方改革」を無理強いさせられている。「働き方改革」というのは職場に長時間いるなということだ。だから家で仕事をするだけになる。こんな無理な状況に教師は追い込まれている。この状況が知れ渡っているいるから、教員志望者が大幅に減っている。誰もが教員になれる時代になっているのだ。これでは教育の質は低下する。

 今回の教育改革においても、教員に改革の対応を無理矢理押し付け、それによって儲けるのは教育産業という構図を作り上げてしまった。教育改革の理念はいいのだ。しかしそれを現実のものにする段階で文科省の役人たちが経済界の思惑に流されるしかなかったのだ。教育に対する信念のかけらもない。自分の出世のためにしか働いていないのだ。文科省の無能ぶりがよく表れている。

 教育は時間はかかるし目立ちはしないが、国家の基盤を作る一番大切な政治課題である。教育に対する予算を増やすことが教育再生のはじめの一歩である。
 
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入試改革の見直しを切に願う

2019-09-14 07:41:20 | 映画
 2020年からの大学入試の変更についての混乱が大きくなってきている。2020年から現在の大学入試センター試験に代わり大学入学共通テストが実施される。国語と数学で記述式問題が導入されるほか、英語では「読む・聞く・話す・書く」の4技能を測るため、民間試験が活用される。しかし記述式試験では採点が公平にできるのかが不透明であるし、英語の民間試験に関しては試験日や場所、大学の活用状況の多くが現在でも未定なのだ。英検では来年度の受験のために予約が必要で予約金まで要求している。しかも民間試験は高額である。住む地域や家庭の経済力による不公平さも指摘されている。

 これに対して全国高校長協会が民間試験導入の延期と制度の見直しを求める要望書を文科省に提出した。これは重大なことである。校長というのは国にやり方に意見することは少ない。それが声を上げたのだ。これだけ混乱が進んでしまっているのだ。導入してしまえば大混乱が予想されるのである。

 今回就任した萩生田光一文科相は英語民間試験の導入について「私の(就任した)時点で見直しや廃止をするというのは大きな混乱になるので、実施を前提に全力を挙げたい」と話したという。大臣の言うことも一理あるが、大学入試の混乱はずっと言われ続けてきたことであり、その不安は解消されるどころか増大し続けてきたのである。見直しをしたほうが混乱が少ないのは明らかだ。

 私は国語の記述式導入にも英語の4技能重視にも賛成である。しかし現在のやり方は無理を承知で突っ走っているだけとしか思えない。これは教育のためというよりも一部の教育産業のための改革でしかないのだ。

 入試に関しては受験生の立場を一番に考えてほしい。決して大人のメンツや損得で進めることにないようにしてもらいたい。
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「折々のことば」より「決して早回しできないものがある」(加藤典洋)

2019-09-10 06:54:34 | 折々のことば
 朝日新聞の「折々のことば」より。加藤典洋さんの言葉である。これに対して鷲田清一さんは次のように言う。

 短縮したり圧縮したりできないもの、どうしても省くことができないものが、経験にはある。人生においては暗中模索が続く思春期がそれだと、文芸評論家は言う。作文もそう。書くことに抵抗というかつかえのようなものがあって、書くうちそれが自分と「のっぴきならない関係」になる。そんな「ギクシャク」を経てはじめて文章は「色づく」と。『言語表現法講義』から。

 思春期のあの苦しみは誰もが経験する。あれがあるからこそ人間でいられる。あの時代を楽に生きてきた人間はどうなるのだろうか。人の痛みがわからない人間になるのではないか。

 そして文章を書くことも苦しいことだらけだ。それでもその苦しさに向かう。文章と格闘し、自分と無理矢理に向き合うしか自分が自分として生きていけないからだ。

 生きていくのが疲れるのは当たり前なのだ。疲れなければ自分の人生はないのだから。

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