とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

映画『オットーという男』を見ました

2023-04-08 02:22:14 | 映画
 トムハンクス主演映画『オットーという男』を見ました。老後の孤独への向き合い方を導いてくれる、感動的な名作です。

 この作品は2015年のスウェーデン映画『幸せなひとりぼっち』のハリウッドリメイク作品だそうです。『幸せなひとりぼっち』は見たことがないのですが、リメイクであろうがなかろうが、すばらしい作品に仕上がっています。

 オットーは頑固者で嫌われています。仕事も首になり、いよいよ頑固も本物になります。しかしオットーが頑固になっていったのは、死んだ妻との歴史があったからだったことがわかります。妻との出会い、そして結婚、妊娠、幸せな生活がバスの事故で崩れてしまいます。妻は一命は取り留めるものの、お腹の中の子供は失ってしまいます。年老いて妻はなくなり、孤独になったオットーは自殺を試みます。

 私も気が付いたら年をとってしまい、死を意識する世代となってきました。自殺する勇気はないのですが、さらに何年かして孤独に苦しめられ、さらに病気で苦しめられたらどうなってしまうのだろうと考えてしまいます。自分を通して生きてきた人間は、他人から嫌われているという思いにどうしてもなってしまいます。そしていつしか他人を信じられなくなり、孤独の罠にはまってしまいます。いつの間にかオットーは私そのものだと思ってしまいました。

 しかしそんなオットーも近所の人たちのつながりが生まれます。オットーにとってはおしつけがましいつながりだったのですが、それがオットーを救ってくれたのです。他人が自分を必要としていることに気がついたオットーは生活が潤い始め、自殺する気持ちもなくなります。

 高齢化社会になり、現代人は否が応でも孤独と向き合う必要があります。しかし孤独をあきらめてはいけません。孤独だからこそ他者を求め、他者に優しくならなければいけないのです。

 人とのつながりが大切なのだということを教えてくれるすばらしい映画でした。
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『ディスカバー・カーペンターズ』に感謝

2023-04-06 18:50:27 | どう思いますか
 NHKラジオで1年間ずっと1組(1人)のアーティストを掘り下げて特集する「ディスカバーシリーズ」を放送している。昨年度はカーペンターズが取り上げられた。4月2日が最終回だった。とても楽しく、学ぶことが多く、そして懐かしい曲をたくさん聞くことができノスタルジックな気分にもなる素敵な番組だった。

 カーペンターズは私が小学生ごろ流行した兄弟グループである。カレンカーペンターの優しさを感じさせる透き通った声と、リチャードカーペンターのアレンジがすばらしく、印象に残る曲が多くある。

 私自身は中学、高校とロックに走ってしまい、しばらく遠ざかっていたが、最近は再びよく聞くようになっていた。古さをまったく感じさせない。きれいで優しいサウンドや声が、ストレスを和らげてくれる。カーペンターズはポピュラーミュージックの代表と言っていい。

 この番組のパーソナリティは平松愛理さん。カーペンターズが好きだという思いが伝わるいい人選だった。

 そしてキーボード奏者、森俊之さんが曲の解説をする。これがすごい。森さんは最近吉田美奈子さんと活動することが多く、私も何度も森さんの演奏を聴いていたが、やっぱりプロのベテランミュージシャンは分析が鋭いと改めてそのすごさを感じた。

 そしてもう一人、ベテランDJの矢口清治さんがカーペンターズと関係のあるミュージシャンを紹介してくれた。これによってまたカーペンターズサウンドがどのような経過でできたのかを理解することができた。矢口さんは私が中学生のころ「アメリカントップ40」の日本のアシスタントDJとして登場した時から聞いている人だ。なんとなく古い友人と会ったような気持ちになる。

 とてもいい番組で終わってしまってさみしい。しかしカーペンターズのすばらしさを再認識することができた。感謝したい。
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『吾輩は猫である』の読書メモ⑫「第十一章の2」

2023-04-05 07:57:17 | 夏目漱石
 『吾輩は猫である』を読んで、メモしていく。今回はその12回目。第十一章で「探偵」をきっかけに近代の個人主義についての論争が巻き起こる。これは作者の思想の表明であり、こういう思想を取り入れることができるのが、「小説」というジャンルの自由さを示している。

【探偵】
 まずは苦沙弥が「探偵」という言葉にかみつく。

 「不用意の際に人の懐中を抜くのがスリで、不用意の際に人の胸中を釣るのが探偵だ。知らぬ間に雨戸をはずして人の所有品を盗むのが泥棒で、知らぬ間に口を滑らして人の心を読むのが探偵だ。ダンビラを畳の上へ刺して無理に人の金銭を着服するのが強盗で、脅し文句をいやに並べて人の意志を強うるのが探偵だ。だから探偵と云う奴はスリ、泥棒、強盗の一族で到底人の風上に置けるものではない。」

 小説家というのは「探偵」のようなものだ。心を読むのが職業のようなものだ。それをひどく軽蔑している。夏目漱石にとっては自己否定である。自分が小説を書くというのは、自分が探偵になるということである。それは自分にとって嫌なことだ。つまり自己嫌悪になることを職業に選んでしまったのだ。

【近代は探偵の時代】
 独仙が質問する。
「探偵と云えば二十世紀の人間は大抵探偵のようになる傾向があるが、どう云う訳だろう」
 苦沙弥が答える。
「僕の解釈によると当世人の探偵的傾向は全く個人の自覚心の強すぎるのが原因になっている。」
 さらに続ける。
「今の人の自覚心というのは自己と他人の間に截然たる利害の鴻溝があると云うことを知り過ぎている云う事だ。そうしてこの自覚心なるものは文明が進むに従って一日一日と鋭敏になって行くから、仕舞には一挙手一投足も自然天然とは出来ないようになる。」
「今の人はどうしたら己の自覚心が強くなるか、損になるかと寝ても覚めても考え続けだから、勢い探偵泥棒と同じく自覚心が強く成らざるを得ない。」

 近代は個人主義の時代だ。つまり「自分」を一番に考えなければいけない時代なのだ。自分を尊重するから他人に勝たなければならない。そのために「探偵」になってしまうのだ。

【「自由」は「不自由」】
 独仙が呼応する。
「昔の人は己を忘れるなと教えるからまるで違う。二六時中己と云う意識を以て充満している。それだから二六時中太平の時はない。」
 苦沙弥が言う。
「とにかくこの勢で文明が進んで行った日にゃ僕は生きていくはいやだ。」
 さらに議論は進み、次のように言う。
「吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果不自由を感じて困っている。それだから西洋の文明などは一寸いいようでもつまり駄目なものさ。これに反して東洋じゃ昔から心の修行をした。その方が正しいのさ。」

 日本人は西洋の個人主義によって「自由」を得た。しかしそのおかげで他人との競争の中に投げ込まれてしまった。これでは生きているのがつらくてたまらない。自然、神経衰弱に陥る。
これは現代まで続く。今の時代の生きづらさはそこに由来している。
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『吾輩は猫である』の読書メモ⑪「第十一章」

2023-04-04 18:36:41 | 夏目漱石
 『吾輩は猫である』を読んで、メモしていく。今回はその11回目。第十一章。この章が最終章である。

【寒月は結婚していた!】
 迷亭と独仙が碁を打っている。そこに寒月と東風も苦沙弥のそばで話をしている。寒月は鰹節を三本持参する。鰹節は少々ネズミにかじられている。船の中でヴァイオリンと一緒に袋の中に入れていたらかじられてたのだ。そこから寒月がどうやってヴァイオリンを手に入れたのかなどヴァイオリンの逸話が語られる。

 夫婦の話になり、東風は次のように言う。
「僕の考えでは人間が絶対の域に入るには、只二つの道があるばかりで、その二つの道とは芸術と恋だ。」

 急展開がある。この小説は寒月と金田嬢との結婚話で進んできたのだが、突然寒月は他の女性と結婚したことが明かされる。鰹節はそのお祝いとしてもらったのだという。そろそろこの小説の連載をやめたくなって強引に幕引きを図ったとしか思えない展開である。

【近代論争】
 この後、登場人物たちの議論が始まる。ここが一番夏目漱石らしい内容かもしれない。そこでこのことは次回に回したい。

【多々良三平が金田嬢と結婚!】
 第五章で登場し、猫を食ってやると言っていた多々良三平が登場し、金田嬢と結婚することになったと告げる。なんとも雑な展開。お祝いでビールを買ってくる。みんなで飲む。

【「吾輩」の死】
 「吾輩」はビールを飲んで見る。酔っぱらって水瓶に落ちてしまい溺れて死んでしまう。なんともあっけない終わり方である。このあっけない終わり方は戯作っぽいのかもしれない。
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『吾輩は猫である』の読書メモ⑪「第十一章」

2023-04-04 18:36:41 | 夏目漱石
 『吾輩は猫である』を読んで、メモしていく。今回はその11回目。第十一章。この章が最終章である。

【寒月は結婚していた!】
 迷亭と独仙が碁を打っている。そこに寒月と東風も苦沙弥のそばで話をしている。寒月は鰹節を三本持参する。鰹節は少々ネズミにかじられている。船の中でヴァイオリンと一緒に袋の中に入れていたらかじられてたのだ。そこから寒月がどうやってヴァイオリンを手に入れたのかなどヴァイオリンの逸話が語られる。

 夫婦の話になり、東風は次のように言う。
「僕の考えでは人間が絶対の域に入るには、只二つの道があるばかりで、その二つの道とは芸術と恋だ。」

 急展開がある。この小説は寒月と金田嬢との結婚話で進んできたのだが、突然寒月は他の女性と結婚したことが明かされる。鰹節はそのお祝いとしてもらったのだという。そろそろこの小説の連載をやめたくなって強引に幕引きを図ったとしか思えない展開である。

【近代論争】
 この後、登場人物たちの議論が始まる。ここが一番夏目漱石らしい内容かもしれない。そこでこのことは次回に回したい。

【多々良三平が金田嬢と結婚!】
 第五章で登場し、猫を食ってやると言っていた多々良三平が登場し、金田嬢と結婚することになったと告げる。なんとも雑な展開。お祝いでビールを買ってくる。みんなで飲む。

【「吾輩」の死】
 「吾輩」はビールを飲んで見る。酔っぱらって水瓶に落ちてしまい溺れて死んでしまう。なんともあっけない終わり方である。このあっけない終わり方は戯作っぽいのかもしれない。
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