とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

映画『ホールドオーバーズ』を見ました。

2024-08-20 19:01:53 | 映画
1970年から1971年にかけてのクリスマスホリデイに、事情があって家族のもとに帰ることができず、寮で過ごさざるを得ない犯行気味の高校生と、嫌われ者教師の交流を描くアメリカ映画『ホールドオーバーズ』を見ました。正直期待せずに見に行ったのですが、アメリカ映画の良心を感じさせる切なく温かい映画でした。

生真面目でがんこもので学生や同僚からも嫌われている教師ポールは、クリスマスホリデイに家に帰れない学生の監督役を務めることになる。その役割も校長から罰として与えられたもので、しかもその校長は、ポールの若いころの教え子なのである。家に帰れない学生はアンガス。母親が再婚したために休暇の間も寄宿舎に居残ることになるのだが、アンガスには納得できない。これは観客も同じだろう。心が荒れてもしょうがない。そしてもうひとり、寄宿舎の食堂の料理長として学生たちの面倒を見るメアリーの3人だけがクリスマスを寄宿舎ですごすことになる。メアリーは一方で、自分の息子をベトナム戦争で亡くしている。

この先の展開が1970年代のアメリカ映画を思い出させるのだ。ベトナム戦争を背景とし、心のつながりの大切さを訴えるのである。だめな人間なんかいない。助け合い、ともに生きて行くことの意義を感じるいい映画だった。

メアリー役のダバイン・ジョイ・ランドルフが第96回アカデミー賞で助演女優賞を受賞した。
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オリンピックは終わったのに

2024-08-16 18:13:03 | 社会
 オリンピックは終わった。それなのにいまだに騒がしい。潮時もわからない人たちだらけだ。

 SNSが普及してから、もはや言論は崩壊したといっていい。オリンピックで活躍した選手を称賛するような発信ならいいが、特定の選手や関係者を批判する発信もある。もちろん、それが、根拠が明確であり、絶対的に悪で非難すべきものならばいいのだが、ただ気分だけで批判しているものも多い様に思われる。それが不特定多数によって発信されるために死ぬまで許さないとでもいうような雰囲気になる。非常に腹立たしい。

 オリンピック競技は人が真剣に勝負をする場である。その中で様々なトラブルが生じるのは当たり前であり、それに対する対応について一方的に責め立てたってしょうがない。というよりも責めてはいけないはずである。意見ならいいが、誹謗中傷になってはいけない。

 戦争の真っ最中にそれを隠蔽するように行われたオリンピックである。戦争の当事者にもっと世界は非難を与えなければいけない。攻撃の対象を間違えてはいけない。
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岸田総理総裁選に出馬せず。

2024-08-15 18:12:45 | 政治
 岸田総理が次期総裁選に出馬しないことを表明した。予想通りと言えば予想通りだ。彼の評価だが、期待した割には何もしないで言葉だけが躍っていた。裏金問題以降はすべてをごまかしてしまっていた。いろいろな出来事があって不運だともいえるのだが、最悪の総理だったのは確かである。

 私が一番彼を評価しないのは、少子化対策である。少子化対策といえばその根本は教育改革であるはずだ。しかし「異次元」とばかり言っていて、バラマキはするけれども、根本の教育予算の大幅な増額は行わなかった。教師は過酷なままで、教師の成りてはいなくなる一方である。外国人労働者を移入しようとしているが、日本語教師の数も質も足りていない。彼の言葉は、空気よりも軽く、宙に消えて行った。

 東京は金が余っているからなんでもできる。しかし東京に金が集まる構造を作り上げたのが自民党政治である。それを改革しようともしないで裏金に沈んでいった。本当に情けない総理大臣だった。

 最初は丁寧な議論ができる総理だと思っていたが、言葉の数が増えたけれども「異次元」という言葉を多用し、異論に対しては「当たらない」と言っていただけであり、かみ合う議論は何もできなかった。

 器の小ささだけが目立った総理だった。

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森秋彩さんに興味津々

2024-08-13 08:49:43 | スポーツ
 オリンピックは熱心にではないけれど、テレビでずっと流れていたのでかなり見た。その中で、とても興味のある人物を発見した。スポーツクライミングの森秋彩さんである。

 森さんは出場選手の中で明らかに身長も小さいし、体重も軽い。言い方は失礼かもしれないが子ども体型なのである。とは言え年齢は20なので、ずるいわけもなんでもない。体が小さいと言うことが彼女の個性なのである。その体の軽さを利用して競技で成績を残してきたと言って良い。

 とは言え、彼女が努力しなかったわけではない。彼女は彼女なりのハンディもあった。今回のオリンピックの決勝では、身長が低すぎてスタートのホールドに届かなかった。これはさすがにかわいそうだ。しかも森さんの戦略はほかの選手の戦略と全く違うものになるために、毎回、方策を発明していかなければならないのである。もちろんたの選手の方策を真似ることはできないのではあるが、経験上全く違う方策を取らざるを得ない森さんは大きなハンディを背負っていると言ってもいいのではないだろうか。

 森さんのすごいところは、そういうものを全て受け入れて、自分のできることをやればいいと考えているところである。想像の範囲を超えたクライミングにチャレンジする、その姿はかっこいい。勝ち負けよりも自分の挑戦に価値を見出しているところがいい。

 新時代のヒーローである。尊敬してしまう。
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長崎市長のメッセージを支持します。

2024-08-10 10:08:33 | 社会
8月9日の長崎市の平和記念式典における長崎市長のスピーチは、非常に勇気のある大切なメッセージだった。

鈴木市長は平和宣言で核保有国などに向けて「核兵器廃絶に向け大きくかじを切るべきだ」と訴えた。そして核保有国と核の傘の下にいる国の指導者に向けて「核兵器が存在するが故に人類への脅威が一段と高まっている現実を直視し、核兵器廃絶に向け大きくかじを切るべきだ。どんなに険しくても軍拡や威嚇を選ぶのではなく、対話と外交努力により平和的な解決への道を探ることを求める」と訴えた。その通りだと思う。いくら理屈を捻じ曲げても、罪のない一般市民まで命を落とすようなことがあってはならないはずである。

ロシアのウクライナ侵攻や、イスラエルのガザ地区への攻撃など、世界情勢が混とんとしている中、平和を叫ぶ声さえも権力によってつぶされつつある。論理は捻じ曲げられ、平和を叫ぶことだけでも左翼扱いされ、攻撃される。この言論統制とも呼んでいいような状況の中で、毅然とした態度で、平和を訴える長崎市長のスピーチは感動的でさえあった。

平和を訴える行動は絶対に守らなければならない。こんな当たり前のことが大きなニュースになってしまう現在の状況は憂うべきことである。堂々と平和を主張することができる世の中にならなければならない。
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