<続き>
謹賀新年。今年はクアラルンプールの約20km南方のサイバージャヤで新年を迎えた。昨31日は珍しく晴天であったが、本日は残念ながら曇天で、初日の出は残念ながら望むことはできなかった。『迎春接福』とは、当地の英字紙『ニュー・ストレート・タイムス』掲載の華人系企業の新春広告に記載されていた。四字熟語にあるのかどうか不勉強で分らないが、福に接するとは・・・なにか良さそうなので借用した。
さて前回の続きである。今回は字面の羅列で恐縮であるが、ご勘弁願いたい。
トワンテと南東アジアの陶器の研究
東南アジアに施釉陶磁が存在することが、1880年代から学者の間で知られるようになった(Aymonier 1901)。 シンガポールに本部を置く東南アジアセラミックス協会(SEACS)とシンガポールのブキッ・ティマ(Bukit Timah)にある大学の最初のキャンパスである、マラヤ大学(Malaya Museum)の創設者・ウィリアム・ウィレット(William Willetts)は、これを学問的に研究開始した。当協会は、東南アジアの陶磁に特化した展覧会の最初のカタログを発表した(Willetts 1971)。ウィレットの学生の一人であるRoxanna Brownは、東南アジアの陶器に関する最初の包括的調査報告を書いた(Brown 1977、1988; Rooney 2009)。SEACSは、1981年にクメール陶磁に関する最初の本を出版した(1981年)。 一年後には、ベトナムの施釉陶磁に関するもう一つの重要な本を出版した(Young et al 1982)。
ミャンマーの陶業地域
ミャンマーは陶磁研究に於いて、東南アジアで最後の国であり、釉薬を用いた陶磁生産の伝統が研究されている。バガン、マンダレー、バゴー、イラワジ・デルタ、モッタマ(Mottama:Martabanとも云う)地域、およびシャン州の古い王都の中または近くに、陶磁器の窯が築かれたことが明らかになってきた。
施釉陶磁を製造するには、窯が1000℃以上になる必要があり、器表面の大気中の酸素量を制御し、徐々に温度を下げることができる窯を築くことが必要である。急速冷却は、器を急速に収縮させ、熱衝撃やひび割れを誘発する。ミャンマーの初期の窯のほとんどは、横焔式窯と云われている。それらの窯が地面に築かれ、(垂直に上昇するのではなく)高温の空気を水平に送ったことを意味している。ミャンマーの窯は、東南アジアの他のどの地域よりも、より多くより広く分布していることが明らかになっている。
トワンテはヤンゴンの南西にあるトワンテ運河の土手にある大規模な町である。トワンテ地区は、少なくとも千年前に存在していた。近くのムアンデでのバガン期の仏塔の発掘中に、アノーラタ王の時代(1044-1077)を記したテラコッタの磚が発見された(Myo Thant Tyn and Thaw Kaung 2003:298)。 Di Crocco(1999)氏は、ムアンデ・パゴタから出土した、23の無釉磚を研究し、13世紀のものであろうとした。
(出典:NUS博物館パンフレット)
1918年に書かれた「ビルマの陶器」に関する記事によると、トワンテの陶工は窯構造から、石炭よりも高価な木材を使用する方が適していると述べている(Morris 1918:213 )。 これはトワンテの人々が非常に古い様式の窯構築のノウハウを保存していたことを示しているかもしれない。
(出典・NUS博物館パンフレット)
写真は現代まで受け継がれている半地下式?の横焔式単室窯で、今日使用されているかどうか?である。
<続く>