世界の街角

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北タイとミャンマー・カウミュー窯のMON陶

2018-01-13 17:53:46 | 東南アジア陶磁

残念ながらシンガポール大学付属NUS博物館のミャンマー陶磁展に行くことができず、不本意ながらパンフレットの内容を先に紹介した。気になる陶片が紹介されていた。再度その陶片を紹介する。

(カウミュー窯址出土陶片)

これは七光芒の日輪以外の何物でもなく、カベットの放射状の刻みは鎬状で何やら北タイ陶磁を思わせる。

写真は当該ブロガーのコレクションの1点であるが、数年前のネット・オークションから人伝えに入手したものである。南海堂・島津法樹氏の解説書付きで、氏はサンカンペーンと表記されていた。これは11光芒の日輪刻花文盤である。サンカンペーンは低くて幅細の僅かな高台をもっているが、本品の底に高台は無く、土味はMONに似ていることからシーサッチャナーライ前期のMON陶ではないかと、個人的には考えている。数年前チェンマイ国立博物館の一画にあるタイ芸術局第8支所のMr.Saiklangに写真持参で尋ねると、彼は10中8,9パヤオとの宣告である。

確かにパヤオにこの手の日輪文は多い。写真はサーヤン教授著作のCeramics in LANNAのPage118で、パヤオの文様を紹介している。

最下段左は8光芒、右は11光芒である。特にカウミューとサーヤン教授紹介のパヤオの文様は、光芒数は異なるものの極似している。過去にも紹介したが、パヤオがランナー朝の覇権下に入る前は、MON族世界であったことが濃厚である。

カウミュー窯 もMON族陶工の手になるものである。津田武徳氏は『ラオス、ミャンマー陶磁概説』で以下のように指摘しておられる。”パガン朝ビルマの王は、モンの文化に尊重の念を抱いていたし、モン人技術者を自らの文化を築くにあたって徴用した。パガンのパゴダに見られる低火度釉を施したタイルは、おそらくモン人陶工の手によるものであったろう。マルタバン壺を含め、下ビルマの陶磁器は、モン人により焼かれたものと考える。19世紀のイギリスの刊行物によれば「マルタバンやペグーの陶工は民族的には、すべてモン人であって、陶磁器生産に関する用語は、ほとんどモン人の言葉からきている。」”・・・という。う~ん、以下のトライアングルはMON族の関与が濃厚であろう。

北タイではMONのベースの上に、メンライ以降タイ族が陶磁生産に浸透したであろうとの仮説を考えている。それはラオスに残る『クン・プロム伝承』で伺い知ることができる。これは漢族から追われた、タイ族拡散の様子を表したものと思われ、ムアン・テーンに降下したクン・プロムを始祖とし、その7人の息子が散っていった先を示している。それは北西ベトナム、ラオス、北タイ、下ビルマに及ぶ広大な範囲でMON族を追い払い、或いは交じり合って拡散したであろう。

 この手の話は伝承から来る推論で、未解明な部分の多い北タイ陶磁と相まって、多くの謎を秘めている。

 


邪馬台国(3)

2018-01-13 08:21:32 | 古代と中世

<続き>

4.である。「銅鏡百枚―略―賜う。皆装封し難升米・牛利に付す」・・・魏志倭人伝には魏の天使から銅鏡100枚を下賜されたとある。これに対し古田氏は三角縁神獣鏡は中国から1枚も出土せず、日本の古墳からのみ出土することから、中国製の鏡ではなく、日本列島で古墳時代に作られたとする。言わずもがな、この三角縁神獣鏡の見解を巡り、それは伝世鏡だとする日本の考古学会を憂うとまで言い放つ。そこまでおっしゃるのなら、日本製だとする根拠を示して欲しいがそれはない。

泉屋博古館・廣川守氏の「Spring-8を利用した古代青銅鏡の放射光蛍光X線分析」なるレポがある。三角縁神獣鏡8面を分析し、微小元素であるアンチモン/錫・比と銀/錫・比を比較したものである。結果は6面が三国・西晋時代の分布に収束し、2面が古墳時代の日本鋳造鏡の分布であったという。これから導き出されるのは・・・

①  中国鋳造鏡輸入説

②  中国輸入原料、日本鋳造説

③  日本鋳造品も存在した

・・・となる。従って古田氏恣意説も完全否定はできないが、中国産原料が使われている事実は何がしらの、可能性を示唆しているとも思われる。

古田氏のことばかり述べるようで、気が引ける面もあるが、あまりにも自己中心の解釈をされておられるようなので、最後に一言・・・氏は『邪馬台国はなかった』で、以下のように記述されている。“かれらおびただしい学者群のあとで、とぼとぼひとり研究にむかったわたしの、とりえとすべきところがもしあるとするならば、それはたった一つであろう。陳寿を信じとおした。-ただそれだけだ。わたしが、すなおに理性的に原文を理解しようとつとめたとき、いつも原文の明晰さがわたしを導きとおしてくれたのである”・・・このダブル・スタンダード振りには開いた口が塞がらない。陳寿を信じとおしたのなら、陳寿は魏の天子が卑弥呼に銅鏡百枚を下賜したと、倭人伝に記載している。それを信用できないと氏は云うのである。

以上長々と、最近読み返した古田武彦氏の著作の矛盾点を記載してきた。本題はそのようなことではないが、前置に比較し本題があまりにも短いことをお断りしておく。本題とは邪馬台国の位置である。

 

                          <続く>