世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

ワット・クータオで見たもの:北タイの霊獣文と装飾技法

2018-06-18 18:11:37 | チェンマイ

礼拝堂入り口上部の浮彫装飾である。何と豪華絢爛であろうか。日本で云えば日光・東照宮並であろう。正面中央は羽を広げた孔雀で蛇が好物とか・・・。左右には向き合う雌雄の孔雀。羽の部分部分に色ガラスを嵌め込んでいる。孔雀の上部にはハムサ(北タイでホンと呼ぶ)等の聖獣が浮き彫りされている。

更にその上部は交わるナーガで荘厳されている。ナーガの一般的な姿は、人頭蛇身の精霊で、男女の交合からエネルギーを発生させ、生命を創りだす。上半身を人間の姿で表し、下半身を蛇として描く構図もあるようだが、多くは龍頭蛇身のようである。写真の交合する姿を見ると、『女媧と伏羲』を思い出す。それは人頭蛇身で人類を創り、文化を与え、洪水などの厄災から人々を守るという。

交合する蛇身の背後は塔のように見える。これは須弥山頂上の善見城である。何か立体曼荼羅のように見えなくもない。

この種の浮彫というか造形物を、日本では鏝絵と呼んでいる。当該ワット・クータオの浮彫の下地は何であろうか? モルタルか漆喰か知る由もないが、日本では鏝を使って漆喰で造形するが、この鏝絵職人は絶滅に向かっている。当地では新たに建立される寺院に多様されており、後継者はたくさん存在するようである。そういえば漆芸や竹芸職人が多々存在している。それらの伝統芸で生きていける世の中が、北タイに存在していることが嬉しい。

<了>

 


ワット・クータオで見たもの:ハムサ柱が在るではないか!

2018-06-18 09:16:38 | チェンマイ

過去に『日本すきま漫遊記』なるブログを見た。ブロガーは若い人のようで、ミャンマー・カレン州のパアンに足しげく出張しておられるのか、それとも滞在中の方と思われる。そのブログを丹念に見ていると、先端に鳥が載る石柱の写真が掲載されていた。アショカ王柱に倣ったものなのか、それとも鳥竿か?

ブロガー氏によると、この鳥はオシドリ(ヒンダ)で釈迦の前世の生まれ変わりと記されている。ジャータカには釈迦の前世譚が記され、多くの鳥に生まれ変わった。生まれ変わった鳥は孔雀、雉、鵞鳥、鷲、鸚鵡、鵜、烏、キツツキとオシドリである。当該ブログでこの石柱の鳥を見たときは驚きを覚えた。寺院により1本の石柱と2本の石柱があったり、1本の石柱でありながら2羽の鳥が載っていたり単鳥もある。写真を掲載したいが無断と云う訳にいかないので、スケッチを掲げておく。

向かって左が孔雀、右がヒンダないしはヒンタ(ハムサのことでハンサとも云い、タイでホンと呼ぶ)で2羽の異なる鳥が載っている。それと同じ意味であろう、ワット・クータオの礼拝堂の東側に、一羽のハムサが柱に載り、その柱が2本立ち並んでいる。

向かって右柱上のハムサは東北を向き、左は東北東を向いており、その角度が微妙に異なる。これに意味があるのかないのか? 東北の方角は夏至の日の出の方角である・・・これにも意味があるのかないのか?

先に紹介したミャンマー・カレン州の『鳥が載る石柱』。カレン州はモン(MON)州に隣接する。タイ・ヤイ(シャン)族菩提寺のワット・クータオとミャンマー・カレン州の『鳥が載る石柱』で一致した背後には、モン族の翳を見る想いがする。このハムサはミャンマーでは先に紹介したようにヒンダないしはヒンタと呼ぶ。

ペグー朝は、13世紀末よりミャンマーのペグーを都として、ワーレルー王が建国した王朝である。ワーレルー王はシャン族の人間であるが、事実上モン族国家であった。ハムサワディー・ペグー朝が正式名称のようで、ハムサ(ハンサとも云う)はハムサのことで、ペグー朝の建国神話によると雌雄2羽のハムサが降り立った地・・・(その地はヒンタゴンの丘と命名)に建国された。

チェンマイは1558年、東方への領土拡大を狙った、ミャンマー・タウングー朝のバイナウン王の侵攻に遭い、その覇権に入りランナー王国は終わりを告げた歴史がある。当該ワット・クータオはその歴史と無縁ではないと思われる。してみると、城壁に囲まれた旧ランナー王都をさけて、チャンプアック門の北側にワット・クータオを建立したのは、シャン族の拠点として建立したものであろうが、シャン州にもハムサ(ヒンダ)伝承が存在するのか?・・・との感慨を巡らした次第である。

<了>