過去、『魏志倭人伝にみる柏手跪拝と神の降臨』(ココ参照)と題して一文をupdateした。今回は、その続編である。
吉野ヶ里遺跡北内郭の主祭殿の内部を御覧になった方々は多いであろう。そこには巫女が神の降臨を仰ぐ姿がジオラマで想定復元されている。先ず、その場面を御覧頂きたい。
祭壇と云うほどでもないが、主祭殿の3階の祭殿の間の奥に、榊と思われる常緑樹に『青銅鏡・剣・勾玉』のいわゆる3種の神器が掛けられている。巫女は青笹を振りかざして神の降臨を仰ぐ。神は3種の神器を依代として降臨する場面である。神とは祖先神であろうと考えられる。
魏志倭人伝は『見大人所敬、但搏手以當跪拝』と記す。巫女が神の『詔(のり・みことのり)』を仰ぐ。その御託宣を下写真の背を向けている男性経由、魏志倭人伝で云う卑弥呼の男弟に伝える。男弟はそれを衆議に諮るのが、主祭殿の2階のジオラマ場面である。つまり魏志倭人伝の邪馬台国における、卑弥呼とその男弟の祭祀と政治場面を想定復元している。
(巫女の横に座っている男性が、巫女の御託宣を政治の主宰者(卑弥呼の男弟)に伝える役目の人物と思われる。巫女とは、この場面では卑弥呼であろう)
ここで重要なことは、反対側でこちらを向いている男性が弦付琴を弾いているのか、いないのか。いずれにしても神が降臨する場面に琴を登場させていることである。誰?学者の助言による登場か? 神は鳴り物入りで登場したのである。
神のお告げを聞いた男弟王は、そのことの次第を有力者に諮る場面である。
・・・と云うことで、魏志倭人伝に登場する卑弥呼と、その男弟の政治の様子を切り口にジオラマ構成されているが、そこに神の降臨場面が展示されている。魏志倭人伝の時代に3種の神器を構成する、鏡・剣・勾玉は存在したが、それが3種の神器として認識されていたかどうか、更にそれらに神の依代との認識が存在したのか・・・やや疑問に感じなくもないが、弥生時代には既に神(と云っても祖先神を中心とするアニミズムの類であろうが)という認識は存在していたものと思われる。
<了>