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〇積石塚の源流は北西騎馬民族の故地
前方後円墳に似た石積み古墳が、北朝鮮北部で発見された。日本では3世紀中頃から築造され始めるが、北朝鮮のそれは紀元前後で、日本のそれより200-300年遡る。
(前方後円形積石塚・慈江道楚山郡雲坪里 『騎馬民族の道はるか』NHK出版より)
それは、鴨緑江左岸の慈江道楚山郡雲坪里、慈城郡松岩里の二つの遺跡群で都合九基にのぼると云う。四隅突出墳丘墓の原形と思われる墳丘も確認されたと云う。前方後円墳も四隅突出墳丘墓も、騎馬民族・扶余に始まる可能性を全浩天氏は指摘している。
(四隅突出墳丘墓・出雲市西谷墳墓群)
積石塚は歴代の中国王朝の墓制には存在せず、騎馬民族独特のものである。積石塚として知られているのは南シベリアのパジリク古墳群(前3―前2世紀)、北モンゴルのノイン・ウラ古墳群(下限は後1世紀:匈奴の墳墓と云われている)そして鴨緑江河畔、いずれも騎馬民族の墓である。
(オランオーシング遺跡:四隅突出墳丘墓の源流か?)
(高松市石船塚:積石塚式前方後円墳)
時代は下り4世紀頃の積石塚が、日本でも幾つも発見されている。その数は約1500基にのぼる。弥生時代中期の四隅突出墳丘墓の突出部及び墳裾の配石列と、その上方斜面の貼石は、積石塚の変形であろう。
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