先日紹介した小川絵美子女史の論文によれば、ラーフー神はチェンマイの守護神であるという。そのラーフー神を祀る儀礼が行われているようだが、詳細が分からずにいる。北タイ情報誌<ちゃ~お>で特集にしていただければ幸いである。
儀礼は、天体の配置図の中で、月と太陽とラーフー星の位置が同じ宮に入る時(時には月食や日食が起きる)を選び、一年に一度行われる。
ラーフーは4本の腕と1本の尾をもつアスラ(阿修羅)。乳海撹拌のあと、神々とアスラは不死の霊薬アムリタをめぐって争い、アムリタは神々の手に渡った。神々は集まってアムリタを飲んだが、その中にラーフーが神に化けて、アムリタを口にした。それを太陽と月が見つけて、ビシュヌ神に知らせた。ビシュヌ神はチャクラを投げて、ラーフーの胴(首ともいう)を切断したが、すでにアムリタを口にしたラーフーは不死になってしまった。そして天に昇り、告げ口したことをうらんで太陽と月を飲み込んで日食や月食を起こすと云う。
インド占星術や東南アジア諸国では、ラーフーは月食、日食とともに不吉なものとして、捉えられているが、タイではアムリタによって不死となったラーフーをプラ・ラーフー、すなわちラーフー神と呼び崇めている。
もともとアスラの出身であることから、秩序を乱したり、悪事を働くこともある。そのため然るべき方法で祭祀儀礼が必要になるという。これが転じてラーフー神は不運や悪運を幸運に転じる力や、事故を跳ね返す力があると信じられ、護符に描かれることが多いと、小川絵美子女史はその論文で説明している。
写真のスケッチは、タイでもっとも有名であろうナコンチャイシーのワット・シースラトンのラーフーで、腰から上の像で月なのか太陽なのか、丸い天体を飲み込む像である。う~ん、悪者を神に押し上げるタイ人。何でもありのタイ人にとっては驚くに値しないことであろうか?
それにしても、チェンマイの街を守護するというが、チェンマイでラーフーを見ないのは何故であろうか?見られた方がいらっしゃれば教示願いたい。
儀礼は、天体の配置図の中で、月と太陽とラーフー星の位置が同じ宮に入る時(時には月食や日食が起きる)を選び、一年に一度行われる。
ラーフーは4本の腕と1本の尾をもつアスラ(阿修羅)。乳海撹拌のあと、神々とアスラは不死の霊薬アムリタをめぐって争い、アムリタは神々の手に渡った。神々は集まってアムリタを飲んだが、その中にラーフーが神に化けて、アムリタを口にした。それを太陽と月が見つけて、ビシュヌ神に知らせた。ビシュヌ神はチャクラを投げて、ラーフーの胴(首ともいう)を切断したが、すでにアムリタを口にしたラーフーは不死になってしまった。そして天に昇り、告げ口したことをうらんで太陽と月を飲み込んで日食や月食を起こすと云う。
インド占星術や東南アジア諸国では、ラーフーは月食、日食とともに不吉なものとして、捉えられているが、タイではアムリタによって不死となったラーフーをプラ・ラーフー、すなわちラーフー神と呼び崇めている。
もともとアスラの出身であることから、秩序を乱したり、悪事を働くこともある。そのため然るべき方法で祭祀儀礼が必要になるという。これが転じてラーフー神は不運や悪運を幸運に転じる力や、事故を跳ね返す力があると信じられ、護符に描かれることが多いと、小川絵美子女史はその論文で説明している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/2f/8f2d12bfccc9c7cb7728ac1d4b1f7201.jpg)
それにしても、チェンマイの街を守護するというが、チェンマイでラーフーを見ないのは何故であろうか?見られた方がいらっしゃれば教示願いたい。
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