第2章:北タイの土俗信仰
1.聖なる峰の被葬者
タイ族には、古来からサイヤサート①と呼ぶ土俗信仰がある。それはインド古来の自然を超越した神への世界観を基盤にしたもので、もろもろの霊崇拝、吉凶の占いなどに基づいた神秘性を帯びた信仰であるが、それに準じたアニミズム的葬送を山上の墳墓に埋葬する以前から行っていたと考えられる。
また雲南の南詔王国や大理王国にも火葬による埋葬例があるところから、タイ族の祖先はもともと火葬を行っていたか、またはその影響下にあったとも考えられる。南詔や大理、そして上ビルマ、ピュー族の火葬の習慣を受け継いでいたビルマ族と、もともと火葬を行っていたクメール貴族の影響もあったはずである。
タイ平原に躍り出たタイ族にとって、先進国に囲まれた東西の文化的恩恵は多様で多大であったと思われる。その風習を受け継ぎ土葬、火葬によって墳墓の世界を出現させたのではないか。
シーサッチャナーライ古窯の発掘で、下層部の窯址から炻器の大壷群が出土している。それは灰骨を残らず砂と共に納める大壷ではなかったか。また中世にビルマ族とクメール族との狭間にあって、タイ族も火葬であった可能性が濃厚である。
これらの大壷に埋納されていた サンカローク焼博物館61番窯にて
それがパガン、アンコール両大国の没落と共に、14世紀、ペグー王国の興隆で、インド起源の天体宇宙観と仏教の輪廻思想の影響を受け、土葬が多くとり行われるようになったと思う。それはタイ族社会に施釉陶が出現し、急増する時期と微妙に合致する。古来から現在までタイ人は墓をもたないと云われているが、上述のように聖なる峰の被葬者はタイ族であろう。
(ドイ・インターノン頂上の墓碑)
(チェンマイ・チェットトン朝の第7代・インタウィチャヤーノン王の墓地がタイ最高峰であるドイ・インターノンの頂上に存在する。タイ最高地点と表示された看板の後方に、第7代・インタウィチャヤーノン王の遺骨を納めた祠というか墓がある。第7代王の娘でラーマ5世王に嫁いだダーラーラッサミー妃が、父である第7代王の遺骨を天国に最も近い場所に埋葬するために、自ら歩いて運んだとの伝承が残っており、現にその墓には献花が絶えないでいる。中世ではなく、19世紀末から20世紀初頭に、聖なる峰への埋葬が存在していたのである。これが中世もそうであったろうとの、タイ人埋葬説の根拠の一つである。)
2.ローイクラトン
11月の満月の夜のローイクラトンは。古くからのサイヤサート信仰が根源である。チェンマイ市街を南北に流れるピン川には、数えきれないほどのバショウの葉で蓮花をかたどった灯篭(クラトン)が浮かび、ローソクの淡い灯を水面に映して、ファンタスティックな光景となる。仏に感謝して熱気球(コムローイ)が、風に揺れながら夜空に次々と舞い上がる。古い歴史をもつこの祭りは、水を司る女神プラ・メー・コンカー②に感謝する供物を水に放ったことに由来する。
このようにタイ族の精神世界は東方中国の影響より、タイ族が古来から信ずる土俗信仰と共に西方インドの影響を受けていることになる。これらのことどもが、北タイ陶磁の文様に影響を与えていることはたしかである。それらの事どもについては後章にて触れたいと考えている。
*① サイヤサート:サイヤサートとは、自然を超越した神秘的な力に頼ろうとする信念、認識である。具体的にはピー(精霊)、サーン(霊)、クワン(魂)、テーワダー(神)、そして種々の占い等々への信仰、信心である
*② プラメーコンカー:ヒンズー教では、ガンジス川を擬人化した神とされ、ガンジスでの沐浴は罪を軽減させ穢れを取り除き、悟りと信仰に信じられている。ローイクラトンでは、ピン川を司るのはプラメーコンカーと信じられている。
参考文献
東南アジアの古陶磁9 富山市佐藤記念美術館刊
東南アジアの古美術 関千里 めこん社
The chiangmai chronicle (チェンマイ年代記) David K
Ceramics from the Thai-Burma Border Sumitr Pitiphat
Ceramics in LanNa By Sayan Praichanjit
<続く>
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