南海古陶磁に魚文様をみる。多くは双魚文であるが、その双魚が陰陽配置されたものも多々あり、中国の影響と一般的に喧伝されているが、これらはインド伝来の黄道十二宮・双魚宮の影響も考えられる。
一方、単魚文も多々存在する。南海各地の窯で単魚文を見ることができるが、スコータイ陶磁に多いように感じる。その単魚文とともに、三魚文も目にすることができる。多くを紹介はしないが、代表的な三魚文を以下紹介してみたい。
この盤を京都・北嵯峨の東南アジア陶磁館で、館長から見せていただいた時はびっくりした。カベットには右向きで回遊するように三匹(尾)の魚文とともに見込み中央には草文が描かれているが、その頭部(見込み下部)は魚で、厳密に云えば四魚文である。この意匠はサンカンペーンにあっては出色である。
横道にずれたが、カベットの三魚文は他にも存在する。下はシーサッチャナーライの三魚文である。
(バンコク大学付属東南アジア陶磁館にて)
紹介事例は少ないが、北タイにはこのような事例が存在する。その三魚文はミャンマー陶磁にもみることができる。
ミャンマーの遺跡から出土(多くは盗掘のようであるが)する彩色磚は時代幅があるが、下の三魚文磚は15-16世紀頃と思われる。
(ネット・オークション出品磚)
このような磚は、一般的に一対の動物戦士像や一対の女性像などが多いが、なぜか三匹の魚文である。
以上、極一部の三魚文を紹介した。それらはタイとミャンマー陶磁であり、クメールと安南陶磁では三魚文を見た記憶がない。・・・これは何故だとの疑問と共に、なぜ三魚文かとの疑問が湧く。次回はその謎に迫りたい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます