<続き>
1月4日、孫が体調を崩し内科で点滴である。予てより沖縄県立博物館と県立埋蔵文化財センターへ行ってみたかったが、断念せざるをえない。2度目の沖縄では、龍譚沿いにあった県立博物館を見学したが、現在は新都心のほうに移転したようである。グーグルアースから埋文と県博の写真を流用し掲げておくが、何れも立派な建物である。
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大航海時代の余波であろう。琉球王国は東南アジア諸国と大いに交易を行った。その交易の中に陶磁器も含まれる。
14世紀後半に中国・明朝に入貢した琉球は、朝貢に基く進貢交易を軸として、日本や朝鮮、さらに東南アジア諸国と交易を行うようになった。15世紀には東南アジアとの交易が盛んになり、この頃もたらされた東南アジア陶磁は、その種類が多様化する。タイ陶磁器は焼締め陶、褐色陶磁、青磁が、安南陶磁では青花や白磁などがあり、多くが首里城・京の内遺跡出土品にみられるという。
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琉球は、中国で需要の高かった高級香辛料の胡椒、漢方薬や染料の材料であった蘇木を東南アジア諸国で仕入れ、中国や日本に輸出した。琉球が往来した東南アジア諸国は暹羅(アユタヤ王国)、安南など8か国であったが、暹羅への渡航が最もおおかった。下の帆船絵図は暹羅船が平戸に寄港したときのもので、平戸・松浦史料博物館で展示している絵図である。このような船が泊りに停泊していたことであろう。
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京の内で出土するタイ陶磁で最も多いのが褐釉の四耳壺でシーサッチャナーライやシンブリーのメナムノーイ窯のみならず、スパンブリーのバン・バンプーン窯やブリラム産の焼物も出土したという。これらは何らかの物産を収めた容器、いわゆるコンテナーとして輸入されたものである。
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安南青花とタイ陶磁の区別はできるが、中部タイの陶磁は素人で、上写真に写る四耳壺の産地同定ができない。
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上は安南青磁碗片で蓮花文が刻まれている碗片も見ることができる。
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これらは安南青花陶磁片で、何故か壺・甕類は含まれず、青花や白磁、青磁に限られている。
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16世紀後半に入ると、琉球の南海交易は衰退に向かう。この時期に出土するタイ産陶磁器はメナムノーイ窯の褐釉陶磁、シーサッチャナーライの鉄絵陶、安南白磁、安南五彩、ミャンマー産の黒釉陶磁となり、以後交易陶磁は見られなくなる。
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左はタイ産褐釉四耳壺(産地が素人には分からず、タイ産としておく)、右は沖縄産の四耳壺である。沖縄の陶工がアユタヤ王朝下のスパンブリーやシンブリーまで出かけたとは思えないが、形を真似ることはできる証左である。
今年(2017年)2月からピーチ・アビエーションが那覇・スワンナプーム間の運航を開始するという。もうこれで沖縄行はなかろうと思っていたが、沖縄経由タイがありそうだ。機会があれば県博と埋文を訪問したい。
<参考文献>
東南アジアと琉球 沖縄県立埋蔵文化財センター刊
蘇る・異国からの宝物 沖縄県立埋蔵文化財センター刊
タイの窯業史 向井亙 堺市博物館・タイの古陶磁所収
堺環濠都市遺跡から出土したタイ陶磁について 續伸一郎 堺市博物館・タイの古陶磁所収
<続く>
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