弘化谷古墳は装飾古墳として名高い。築造は6世紀中頃とされ墳丘径39mの円墳で、周濠・周堤を含めると約55mの大型墳となる。
古墳発見時、石室の三分の一は破壊されていたと云う。石室の奥壁には、同心円文・鋸歯文・靫(ユギ)・双脚輪状文が赤と緑で描かれている。双脚輪状文と云えば、天理市荒牧古墳出土の双脚輪状文埴輪が著名で、絵画・埴輪ともにその出土例は極めて少ない。その一つが和歌山・大谷古墳出土の双脚輪状文埴輪(ココ参照)で、それは人物埴輪の頭部に被せられていた。その様子から悪霊が侵入するのを防止するための癖邪文と考えている。装飾古墳の壁画では、王塚古墳の双脚輪状文(ココ参照)が著名である。そこにも多くの癖邪文と共に描かれており、当該弘化谷古の双脚輪状文も同様な意味を持つものと考えられる。
出土品は、耳環・管玉・鉄鏃・土器等で、墳丘の規模などから被葬者は筑紫君磐井を支えた有力者と考えられ、内部施設が肥後系であることから、被葬者は肥後とのつながりが想定される。それにしても壁面を覆い尽くすように描いたものだ。想像ではあるが石室を築いた後に描いたものと考えられるが、明かりはどうしたであろうか・・・・等々空想するのも面白い。
<了>
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