以下、Wikipediaからの引用である。野方遺跡(のかたいせき)は、福岡市西区野方にある弥生時代後期・古墳時代前期の遺跡である。早良平野の西端、背振山地北東部の叶岳東麓にある標高17 - 22mの扇状地に位置する。伊都国の所在地と推定される現在の糸島市域と、奴国の所在地と推定される現在の春日市周辺との中間部に位置し、交通の要所であったと考えられている。
遺構としては長径約100メートルの楕円形の大きな環濠、一辺約25mから30mの方形の小さな環濠、竪穴建物跡94基、甕棺墓3基、土坑墓1基、木棺墓1基、箱式石棺墓10基などが検出されている。弥生時代には上記の大小各1か所の環濠から成る環濠集落が形成され、大きな環濠の内側には約10軒の竪穴建物が建てられ、小さな環濠の内側には高床倉庫が建てられていたと推定される。環濠からは土器・石器・鉄器・貝・魚骨・獣骨などが出土している。古墳時代には弥生時代の環濠は埋められ、住居と墓地を分けた集落が形成され、約100棟の竪穴建物が建てられていたと推定される。古墳時代の墓地の箱式石棺墓・木棺墓から副葬品として中国製の獣帯鏡・内行花文鏡や鉄刀・管玉・ガラス玉などが出土している。
ということで、以下現場で目にしたことを紹介するが、残念ながら出土品は一部の展示で、展示物目当ての訪館は肩透かしである。土器類が展示されていた。
見どころは建物跡で、出土遺物の展示が僅少であることから、弥生時代の彼方に想いを馳せるのも一興であろう。
<了>
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