タケミカヅチは天孫族であるが、これを大和とするには多分に根拠不足であるものの≒の関係としておく。そのタケミカヅチは、出雲の稲佐の浜で出雲族のタケミナカタを投げ飛ばした。結果としてタケミナカタは諏訪まで逃れることになった。投げ飛ばしたとの伝承から、これを古代相撲として取り上げた。
第二幕は、垂仁天皇の時代に當麻蹴速は、出雲の野見宿祢と天覧相撲をとり、宿祢に腰を踏み折られて亡くなったとの伝承がある。これは間違いなく出雲族が大和を倒した事例である。
(安本亀八作・相撲生人形 明治23(1890)年 出典・熊本現代美術館HP)
大和は相撲発祥の地とかで、三輪山の麓に相撲神社が鎮座している。そこには野見宿祢の記念碑が立つというが、先般三輪神社には参拝したが、相撲神社はスルーした。
野見宿祢は大和国出雲郷の出身であるとの伝承もあるようだ。出雲族の神々が大和国出雲郷に蟠踞しているが、野見宿祢も一役かっているようだ。
<了>
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