箸墓の築造年代と卑弥呼の死亡年(正始九年・西暦248年)と近似していることから、卑弥呼の墓とする説が存在する。邪馬台国畿内説は存在しないと、先日Up-Dateした『黒塚古墳と三角縁神獣鏡』に示した通りである。
この箸墓は、倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)の墓とする見方が定説となっている。大物主命の配偶神である彼女の墓が、何故このように大きいのか?・・・と云う疑問があるが、ここでは触れずにおく。
古天文学者の元東京大学理学部教授・斎藤国治氏によると、古代の皆既日食が西暦248年9月5日に発生したと云う。西暦248年とは正始九年で、卑弥呼が死亡した年である。天照大御神の天の岩戸隠れは、皆既日食であろうとする見方が存在する。卑弥呼も天照大御神も女王ないし女帝で共通点も多い。
この女王や女帝は太陽神で、しかも最高神である。井沢元彦氏は以下のように、その著書『逆説の日本史・古代黎明編』に述べられている。“中国には、天帝という名の天空神はいるが、最高神である太陽神はいない。古代朝鮮にも存在しない。日本文明の幼児期にあたる紀元158年7月13日、紀元248年9月5日の2度皆既日食を経験したため、太陽を最高神とする信仰が発達した”・・・と。
当該ブロガーは、この見解には疑問をもつ。むしろ太陽神を奉ずる多分に南の匂いのする民族が、渡海して来ていたであろうと考えている。
それは、7600年前の浙江省河姆渡遺跡から、二羽の鳥が五重の円として描かれた太陽を抱きかかえて飛翔する図柄が彫られた象牙製品が出土した。これは漢族とは異なる文化であり、南の匂いがする越人の文化で、これとの関連を感じさせる。
以上、縷々記述したが箸墓は卑弥呼の墓との説に関連し、箸墓を見ながら考えた事である。
<了>
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