最近調べたいことがあり、『世界陶磁全集17 韓国古代』を眺めていると、三国時代・新羅の土偶が目についた。模写した土偶を下に掲げておく。
三国時代・新羅で5世紀の土偶とのことである。他に東京国立博物館が所蔵する土偶も紹介しておく。男性土偶とあるが、男根が強調されている。次をクリック願いたい。https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0041776
時代は5-6世紀と表現されている。慶州国立博物館のHPには、下の土偶が掲載されている。
新羅土偶を数多く観てはいないので、安直に考察は出来ないが、いかにもプリミティブである。造形能力の低い新羅人が作ったのか? その特定人物が多くの土偶を作ったのか? 一人の特定人物が多くの土偶を製作したとは考えにくい。他にも製作にかかわった人々がいたであろう。新羅人は造形能力が低かったであろうと思わざるを得ない。
一方、同時代の日本の人物埴輪である。新羅土偶と比較するのに好例な画像を持ち合わせていないが、下の松江・風土記の丘資料館の人物の頭部埴輪を掲げておく。
人物埴輪の手持ち写真がないので、東博のHP掲載の人物埴輪を紹介しておく。https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=5943
更には古墳時代を遡る弥生期の人物土器を下に紹介しておく。
御覧の各位はどのように感じられたのであろうか? 別に偏った見方では無いと思うが、人物埴輪や弥生期の人面土器は、稚拙に感ずるものの新羅土器ほどの稚拙さはない。具象性においては5世紀の新羅人より優れているのではないか・・・と考える。
<2019.11.15追記>
新羅の5世紀は倭の五王の時代に相当する。4世紀末ー6世紀の古墳時代に大和王権に仕える技術者や亡命者として朝鮮半島から人々が渡来した。4世紀後半から5世紀にかけて、大和王権は百済と連携しつつ朝鮮半島南部に出兵している背景による。
土師氏は、その渡来系との説もある。土師氏とは出雲、吉備、河内、大和の4世紀末から6世紀前期までの約150年間に古墳造営や葬送儀礼に関わり、土器や埴輪の製作を行った氏族である。そして土師氏は、野見宿祢を祖先とする氏族である。『日本書紀』によると、野見宿祢は出雲から100人の土部を呼び寄せ、人や馬の埴輪を作らせ、殉死の変わりに古墳供えたという。
当時も出雲は技術的先進地であったことが伺えるが、土師氏は渡来系というより出雲土着の集団で、その造形能力は三国時代の新羅人より優れていたことになる。
古代の日本を語るに際し、何でもかでも朝鮮半島からの渡来に関連付けて語られるのに違和感を覚えるが、この事例もその一つであろう。
<了>
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます