怨霊(御霊・ごりょう)信仰は、平安時代からと一般的に云われているが、もっと古く古代日本に存在したであろう。アニミズム以外の何物でもないのであろう。
同じ写真を2度つかいして恐縮である。
出雲王の葬送場面と説明されている。其処には王権を引き継いだ若き出雲王(首長)が夫婦で埋葬場面を見守っている。その前の几には神饌が供えられている。
想像を逞しくすれば、これは先代王の霊を鎮める儀式以外の何物でもなかろう。先代王は非業の死を遂げたかどうかは別にして、あの世で成仏(仏教伝来前なので、成仏の観念はあったのか、なかったのか?)し、悪霊となって彷徨わないように。つまり、死者の霊を畏怖し、これを慰めて、祟りを免れようと祀ったのであろう。
古代の王者(首長)の第一の義務は、祭祀権の行使である。豊作で平和な社会になることを祈ったのである。さらには葬送儀礼の場では、亡者の霊を鎮めたのである。これはアニミズム以外の何物でもない。
アニミズムと云えば、北タイを持ち出して恐縮である。ピー(พี)とは、死霊、精霊、妖怪、お化けである。北タイでは民間信仰の神々としてのイメージで、人々の生活を守ると同時に、不敬な行いにたいしては祟る。また悪霊として浮遊しているとする。更に死体、死者を示す言葉として用いることもあり、火葬はパオピーと表現され、霊が入る(ピーカオ)のを避けるには、ピーを祀らなければならない。
現代の北タイと弥生期の葬送儀礼は同じではないか?。弥生期のそれは怨霊信仰以外の何物でもなかった。
菅原道真の怨霊を鎮めるような祭祀が、弥生期に行われていたと考えている。
<了>
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