昨日、四段の講習会に行ってきました。最前列に並んでなかなか良いポジション取り。一番偉い先生からも「○○が悪い!」と叱られながら、今まで気がつかなかった欠点も、いっぱい指摘されて、とても勉強になりました。それに何より、今回一番感じたことは、自分の体力の向上。今までの講習会では、形の稽古が終わるお昼くらいで、すでに体の緊張感がマックスになり、下半身の筋肉がカチカチになって、足をつったり、動けなくなったりすることが毎回ありました。今回は、夏休み以来ずっと月曜日の稽古会に出席できたことと、同じく夏休み以来毎週金曜日と第5月曜日に始めた打ち込み稽古部&筋トレ部のおかげで、多少なりとも体が動かせるようになったことと、持久力が戻ってきたことが実感できました。前日運動会で体を酷使して、翌日体が動くかどうかが心配でしたが、全身シップだらけで寝たら何とか足を攣らずに済みました。また、今回嬉しかったのは、試験の観点を基にした採点方法で担当の先生が採点して講評してくださったこと。まだまだ未熟な点だらけですが、0点じゃなかったことが大きな自信につながりました。もちろん、試験当日の相手やコンディションにもよると思いますが、昨日の段階では3点~4点の間でした。6点満点まであと半分に漕ぎ着けました。あと1月半の間に間合いの攻防と先をかける剣道を身につけられれば良いのですが・・・。焦らず、2~3年くらいかかるつもりで頑張ります。
土曜日に職場の運動会を終えて、与えられた仕事「記録写真」の係として、いろいろな場面をとるべく、走り回っていた。今までもそうだったが、この職場へ来てから、周りの人たちの記録写真に対する見方が変わったという。それまでの写真は本部席から全体の様子がわかる写真を、種目ごとに、紅白偏らないように2枚ほどあればよいと言われていた。思い起こせば、新卒の頃の記録係の方はそう言いながら写真を見せてくれた。しかし、写真を趣味とする自分には、思い切り引いて全体が写る写真は面白くない。力業で歯を食いしばる子供の表情や、全力で走りきった後の爽快な表情が絵になるのだ。学年便りで様子を伝える写真が細かすぎて何が写っているかわからないよりも、生きた写真の方が、誰がモデルで写っていようとも見た目がよいに決まっている。しかし、学校というところはそのような表情のある写真を嫌う。研究大会の写真一つでも、どんなに素晴らしい表情をしていても「顔がわからない工夫をしてください」と言われて却下されてしまう。子供を育てる場所でその子供の生き生きとした表情を使えないのは、「育ち」を映像で発信できないということに等しい。その割に、教員写真展などでは良い表情の子供たちの写真が使われている。個人情報だの肖像権だのが世に浸透してかなりの時がたったが、何でもかんでも情報として統制してしまったら、そのうちがんじがらめになってつまらない世の中になると思うのだが、良かれと思って使った写真を、第3者に悪用される時代になってしまった以上、表情のある写真は学校からは消えていく運命なのかもしれない。ちょっと残念な時代だ・・・。