今日はこのブログの誕生日。4749日目ということは、13年経ったということか。書き始めた時に生まれた子どもが中学1年生になったということだ。つまり、先月卒業させた剣道部の連中は、ブログを書き始めた時に生まれた子どもたちだったのだ!そう思うと感慨深いものがある。
コロナウイルスが猛威を振るうこのご時世。3月から全く授業をしていない。しかも、思えば2月22日から発熱で倒れていたから、最後の授業は2月21日(金)のKちゃんだったことになる。言難最後となった授業が、素敵な女の子だったことはとても嬉しい事実だが、予期せぬ出来事で授業も巣立ちの会も全てがなくなったことが残念でならない。不完全燃焼のまま最後を迎えることになろうとは、お釈迦さぁでも気がつくめぇ!!
只管片付け続けて1ヶ月もかかっておきながら、いざ、異動してみると残してきた資料やファイルは「ごみ」として溶解処理に回された。私にとっては大事な記録も、何も知らない新人や同僚からはゴミ扱い。そういえば、8年前の転勤でも、後釜ちゃんは古い資料を全て捨てたと言っていた。結局の所、みんな過去の資料なんか要らないのだ。見もしないのだろう。書式さえあればいいのだ。それがこの歳にしてやっと分かった。次の転勤は絶対資料を残さずに捨てよう。
それにしても、新しい職場への転勤で一番困っているのは私。前任者がWordの使い手(今となっては当たり前だが)で、資料という資料は全てWordファイル。私も使えないわけではないのだが、表がずれたり変なところでインデントが入ったり、剰え、日本語変換ソフトが不自然な日本語ばかり予測変換してくる。Windows95の頃から、一太郎に慣れている私にとって、ATOKを越える変換ソフトはないのだ。癖も知り尽くしているから、表がずれたりすることなどあり得ない。だから今回の異動後の提案文書を全て打ち直しているため、時間が掛かるのだ。早速教室に引きこもって仕事をしている。同僚達がお昼ご飯に誘ってくれても出かけている場合じゃない。こんな時、不謹慎だが「コロナ様々」だと思うのである。授業しながらこの状態だったら、24時間じゃ足らない。だが、コロナのせいで授業ができないのはこんなにも「つまらない・寂しい」ことなのだと思い知らされた。周りの先生達もみんな口を揃えて言う。「授業がしたい。子どもたちに会いたい。」そうなのだ。みんな子どもが好きで教師になった人たちばかりなのだ。どんなに困らせてくれる子どもであっても、可愛いのだ。そんな「教師の本懐」を思い出させてくれたコロナウイルスでした。
新しいことをやろうと、頭の中では色々と画策しているのだが、前任者は嫁の友達。全てを変えてしまうと、全否定しているように捉えられてしまいかねない。そんなつもりは全くないが、「オレ流」でやりたいだけ。30年間教職やって、23年間通級やって、そんなオジサンが、8年間しかやっていない女の子のやり方を踏襲する必要がどこにある?気を遣う必要もあるまい。書式で彼女が紛失しているものがあったのを良いことに、前任校のものをそのまま流用して早速今日の提案事項から変えてしまった。同僚もきっと何が違うのか分からないだろう。そこまで興味のある人がいるとは思えない。
暫くはまだ授業のできない日々が続く。言難で取り組んできたものを、発達でアレンジしてどこまで通用するのか。ITCやら何やらで、情報教育の最先端のモデル校なので取り組みやすいとは思う。とりあえず、「こだまツイッター」改め「○○ツイッター」で頑張ろう。
コロナウイルスが猛威を振るうこのご時世。3月から全く授業をしていない。しかも、思えば2月22日から発熱で倒れていたから、最後の授業は2月21日(金)のKちゃんだったことになる。言難最後となった授業が、素敵な女の子だったことはとても嬉しい事実だが、予期せぬ出来事で授業も巣立ちの会も全てがなくなったことが残念でならない。不完全燃焼のまま最後を迎えることになろうとは、お釈迦さぁでも気がつくめぇ!!
只管片付け続けて1ヶ月もかかっておきながら、いざ、異動してみると残してきた資料やファイルは「ごみ」として溶解処理に回された。私にとっては大事な記録も、何も知らない新人や同僚からはゴミ扱い。そういえば、8年前の転勤でも、後釜ちゃんは古い資料を全て捨てたと言っていた。結局の所、みんな過去の資料なんか要らないのだ。見もしないのだろう。書式さえあればいいのだ。それがこの歳にしてやっと分かった。次の転勤は絶対資料を残さずに捨てよう。
それにしても、新しい職場への転勤で一番困っているのは私。前任者がWordの使い手(今となっては当たり前だが)で、資料という資料は全てWordファイル。私も使えないわけではないのだが、表がずれたり変なところでインデントが入ったり、剰え、日本語変換ソフトが不自然な日本語ばかり予測変換してくる。Windows95の頃から、一太郎に慣れている私にとって、ATOKを越える変換ソフトはないのだ。癖も知り尽くしているから、表がずれたりすることなどあり得ない。だから今回の異動後の提案文書を全て打ち直しているため、時間が掛かるのだ。早速教室に引きこもって仕事をしている。同僚達がお昼ご飯に誘ってくれても出かけている場合じゃない。こんな時、不謹慎だが「コロナ様々」だと思うのである。授業しながらこの状態だったら、24時間じゃ足らない。だが、コロナのせいで授業ができないのはこんなにも「つまらない・寂しい」ことなのだと思い知らされた。周りの先生達もみんな口を揃えて言う。「授業がしたい。子どもたちに会いたい。」そうなのだ。みんな子どもが好きで教師になった人たちばかりなのだ。どんなに困らせてくれる子どもであっても、可愛いのだ。そんな「教師の本懐」を思い出させてくれたコロナウイルスでした。
新しいことをやろうと、頭の中では色々と画策しているのだが、前任者は嫁の友達。全てを変えてしまうと、全否定しているように捉えられてしまいかねない。そんなつもりは全くないが、「オレ流」でやりたいだけ。30年間教職やって、23年間通級やって、そんなオジサンが、8年間しかやっていない女の子のやり方を踏襲する必要がどこにある?気を遣う必要もあるまい。書式で彼女が紛失しているものがあったのを良いことに、前任校のものをそのまま流用して早速今日の提案事項から変えてしまった。同僚もきっと何が違うのか分からないだろう。そこまで興味のある人がいるとは思えない。
暫くはまだ授業のできない日々が続く。言難で取り組んできたものを、発達でアレンジしてどこまで通用するのか。ITCやら何やらで、情報教育の最先端のモデル校なので取り組みやすいとは思う。とりあえず、「こだまツイッター」改め「○○ツイッター」で頑張ろう。