2022.01.08(土)
本日は、ストロング小林さんの訃報を受け、久しぶりにプロレスの記事
(ストロング小林選手)をアップします。
■米国プロレス雑誌
50年前の高校生の時、アメリカの知人からエアーメールを。
レスリング 1972年
○表紙には、カンガルーズとマネージャーのカノン(泣き虫)
※国際プロレスによく登場(来日)、試合前のウォーミングアップ
○AWAのガニアランド(ミネソタ州)
○パワーファイターのボディースラム
○力強い、小林選手
○ハイキックやパワーパンチ
○国際プロレスの至宝 IWA世界ヘビー級チャンピオンベルト
マネージャーは“ビックK” 宮尾建設の半纏(はんてん)を着ている。
※1971.06.19 ミネソタ州でビルミラーからIWA世界ベルトを奪還
※凱旋後、ストロング小林選手は国際プロレスのトップ選手となる。
過去のブログ記事
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■レスリング オブ ジャパン(No 14) 昭和55年(1980)12月30日発行
○表紙 インターナショナルタッグチャンピン 黄金コンビ G馬場 A猪木
○日本初の覆面レスラー
※国際プロレス 覆面太郎としてデビューしたストロング小林選手。
この頃は、連戦街道を突っ走っていた。
○おまけ
※国プロ退団の・・・・、この頃の草津選手は、G馬場選手のカバン持ち
■レスリング オブ ジャパン(No 12) 昭和55年(1980)10月30日発行
○表紙 藤波辰巳選手 ニューヨーク MSG エストラーダを破り、WWWF
ジュニアヘビー級王座を獲得。
○新日本プロレス時代のストロング小林選手
※坂口征二選手とのノースアメリカン・タッグ チャンピオン
■レスリング オブ ジャパン(No 13) 昭和54年(1979)9月30日発行
○表紙 NWA世界ヘビー級 チャンピオン 鉄人ルーテーズ
○三団体を考える(阿修羅 原選手)
プロレス愛好会 在京大学生座談会
宮本(一橋大学生)が良いことを言っています。
国際プロレスが果たした役割は大きい。
外人同士の対決、日本人同士の対決など今のプロレスの流れの
切っ掛けを国プロは作った、地味だけど立派。
★ストロング小林選手のご冥福をお祈り申し上げます。
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