ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

南原ダム

2017-07-26 23:01:44 | 広島県
2017年7月17日 南原ダム
 
南原で『なばら』と読みます。
南原ダムは広島市安佐北区可部町の太田川水系南原川にある中国電力の発電用ロックフィルダムで、揚水式発電の南原発電所の下部池として1976年(昭和51年)に竣工しました。
上部ダムの明神ダムとの落差294メートルを利用して南原発電所で最大出力62万キロワットの揚水式発電を行っています。
 
原爆投下から奇跡の復興を遂げた広島では、自動車産業や造船業などの重工業が集積するとともに人口も急増、それに合わせて電力需要も増加の一途を辿りました。
1960年代半ばから発電の主力は火力へと移り、さらに原子力発電の台頭もあり水力発電のシェアは低下する一方でしたが、1970年代に入り火力や原子力との連携が図れ余剰電力を有効に利用できる上に大出力の発電が可能な揚水発電に注目が集まりました。さらにオイルショックによる原油価格の高騰が揚水式発電建設の追い風となりました。
 
中国電力もこの流れに乗り広島市中心部から北東20キロ地点の可部町(現安佐北区)に建設したのが南原ダム・明神ダムおよび南原発電所です。
この地点は1974年(昭和49年)に運用が開始された島根原発からの送電線が通っており、深夜の揚水運転のための電力供給が容易であることが最大のメリットとなりました。
 
国道54号線可部バイパスの南原交差点から南原川に沿って県道253号線を北上すると南原地区の奥に南原ダムが見えてきます。
ダムの敷地へは立入りができませんが、下流上流それぞれ遠望することができます。
草が生えているものの花崗岩が積まれた白いリップラップが特徴です。
また右岸の洪水吐導流部はかなりの急傾斜となっています。
 
 
立ち入り禁止のフェンスの手前まで接近してみます。
 
洪水吐導流部の下にトンネルの吐口が見えます。
常用洪水吐もしくは利水放流用でしょうか?
 
県道253号線の樹間から
周辺の山々は花崗岩で形成されており、ダムの堤体もこれらの石を利用して建設されました。
 
上流から遠望。
 
ゲートが見えそうで見えない・・・・。
 
追記
南原ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに524万6000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1983 南原ダム(1080)
広島県広島市安佐北区可部町南原
北緯34度33分45秒,東経132度31分00秒
太田川水系南原川
85.5メートル
305メートル
5658千㎥/5246千㎥
中国電力(株)
1976年
◎治水協定が締結されたダム

高瀬堰

2017-07-26 15:34:03 | 広島県
2017年7月17日 高瀬堰
 
高瀬堰は一級河川太田川の河口から13.6キロ上流の広島市安佐北区高陽と安佐北区八木に跨る多目的可動堰です。
高瀬堰建設以前ここには江戸時代に建設された高瀬井堰という灌漑用固定堰がありましたが、固定堰のため洪水流下能力の阻害となり太田川の治水整備を進めるにあたっては、高瀬井堰の可動堰化が必要不可欠な課題となっていました。
一方で、広島は原爆投下から奇跡的な復興を遂げ自動車、造船など重工業を中心に大きく発展、併せて人口も急増し都市用水の爆発的需要増加に対応するための新たな水源確保が喫緊の課題となっていました。
太田川下流部は既得取水権により新規の水利権設定は不可能なことから、建設省は『江の川総合開発事業』によって江の川上流部で計画されている土師ダムに着目、土師ダムから19キロの導水トンネルを建設し江の川の水を太田川に導水して広島の新たな水源を確保することにしました。
そして太田川には取水口設置のための堰堤が必要となりました。
このような背景のもと5年の歳月をかけて1975年(昭和50年)に竣工したのが高瀬堰です。
高瀬堰は太田川の洪水調節、堰建設の際に太田川から切り離した旧流路である古川の河川流量の保持、広島市・呉市・竹原市・および江田島市などの芸予諸島への上水道用水および工業用水の供給を目的とするほか、土師ダムからの導水トンネル放流口に建設された中国電力可部発電所の逆調整池という機能も担っています。
高瀬堰の堤高は5.5メートルと河川法上のダムの要件である15メートルには及びませんが、特定多目的ダム法に基づいて建設された特定多目的ダムであり、法的にもダムと分類されダム便覧にも正式掲載されています。
 
高瀬堰は堰上を県道271号線を通過しておりアプローチは簡単です。
右岸のダム管理所でカードをもらったのち堰を見学することにします。
右岸にある高瀬堰概要図。
 
右岸上流から
6門の主ゲートと右岸に土砂吐が1門、左右両岸に魚道があります。
 
 
下流から。
 
右岸の魚道。
 
天端は県道271号が通っておりかなりの交通量です。
 
高瀬堰のプレート。
 
右岸の管理事務所。
 
ダム湖
そ右貯水容量は198万立米です。
 
左岸から。
 
なんと肝心要の高陽取水口の写真を撮り忘れるという大チョンボ。
せっかく予習してゆくのだから、もっと予習の成果を生かさないといけませんね?
 
1982 高瀬堰(1079)
左岸 広島県広島市安佐北区高陽町
右岸 広島県広島市安佐南区八木
北緯34度28分42秒,東経132度30分04秒
太田川水系太田川
FW
MB
5.5メートル
286メートル
1980千㎥/1780千㎥
国交省中国地方整備局
1975年

大和池

2017-07-26 13:53:51 | 広島県
2017年7月17日 大和池
 
大和池は広島県安芸高田市八千代町下根にある灌漑用アースダムで、ダム便覧では土地改良区の事業で2004年(平成16年)に竣工となっています。
実際に大和池を見るととても2004年にできた溜池とは思えず、また現地の看板には農業農村整備事業のロゴマークが入っていることから、以前より存在していた大和池が農水省の補助を受けた農業農村整備事業により2004年に改修され、堤高15メートル以上のダムとなったというのが正確なところではないでしょうか?
 
土師ダムから国道54号を南下して八千代町下根地区の集会所前交差点を左折、出口集落を抜けると途中で道路はダートとなりますが路面はさほど悪くないのでそのまま進むとすぐに大和池に到着します。
ダムサイトにある大和池の標識
右下に農業農村整備事業のロゴが入っています。
 
下流面
実は堤体下へ向かう道もあったのですが、草に覆われていたのでパスしました。
 
天端には轍があります。
 
上流面
草に覆われていますがコンクリートで護岸されているようです。
 
さらに上流から
手前に斜樋が、対岸に洪水吐が見えます。
 
貯水池は総貯水容量15万2000立米
池のうしろの山が実は瀬戸内海に注ぐ太田川水系と日本海に注ぐ江の川水系を分ける陰陽分水嶺なんです。
 
右岸の斜樋
斜樋の奥には流入口があります。ただの小河川だと思いますが、まさか遠方の河川から導水されているわけじゃ??
 
左岸の洪水吐。
 
例に洩れずここでも枝葉が覆っており、導流部の写真は撮影不可能。
 
左岸から下流面。
 
1954 大和池(1078)
広島県安芸高田市八千代町下根
北緯34度35分30秒,東経132度35分56秒
江の川水系簸川
15メートル
100メートル
152千㎥/152千㎥
管理者未確認
2004年

香六池

2017-07-26 11:58:21 | 広島県
2017年7月17日 香六池
 
香六池は広島県安芸高田市高宮町にある灌漑用アースダムで、広島県のパイロット事業により1965年(昭和40年)に竣工しました。その後1993年(平成5年)にかけて農水省の補助を受けた県の水環境整備事業によって環境整備が行われました。
現在は安芸高田市が管理を行っています。
香六池は『フィッシングレイクたかみや』として西日本最大規模のルアー・フライフィッシングの管理釣り場が設置され季節に拘わらず多くの釣り愛好家が訪れています。
 
ダム便覧では香六池は経緯度の位置情報が掲載されていませんが、広島県の溜池防災ハザードマップに香六池が記載されているほか、国土地理院地形図にも『香六ダム』としてその名が記載されており池の特定は簡単です。
また便覧では河川について江の川水系清水川となっていますが、実際には江の川水系若幡川が正しいと思われます。
 
中国道高田インターから高北広域農道を北上し、国道433号線を交差すると『フィッシングレイクたかみや』の標識が現れます。
これに従って左折すると香六池に到着します。
 
左岸から洪水吐越しに
堤体に管理釣り場の管理事務所があります。
 
アングルを変えて洪水吐を撮影。
 
下流面
夏場にもかかわらずきれいに刈り払われています。
 
管理釣り場の事務所。
 
右岸の斜樋。
 
天端
左岸の高台は公園として整備されキャンプもできるようです。
ダム湖を周回する遊歩道が整備され天端もその一部となっています。
 
上流面
コンクリートで護岸されています。
 
貯水池は総貯水容量28万6000立米。
 
右岸堤体下に底樋枡があります。
 
堤体下から下流面。
 
追記
ダム協会に位置情報を提供した結果、8月24日にダム便覧の経緯度が確定しました。
 
3547 香六池(1077)
広島県安芸高田市高宮町羽佐竹
北緯34度47分04秒,東経132度40分47秒
江の川水系若幡川
22.5メートル
178.5メートル
286千㎥/274千㎥
安芸高田市
1965年