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現にそこに見えているものが、見えていない。
介護の中だけではありません、実生活でもそういうことが多々あるのではないでしょうか。
前回、書ききれなかったので、続編です。(笑い)
介護施設では、事故報告(ヒヤリハット・インシデント)という報告書類があります。
なぜ、事故が起きるか?という原因の中に「見えているものが見えない」があります。
食べるものでないものを食べてしまった。
人の食事に手をつけた。
薬を飲ませたつもりが、床に落ちていた。
眼を離した隙に転んでしまった。
意外と、そこに職員がいる場合が多いのです。
見ている(見えている)つもりが、実は眼に入っていないのです。
同じことを何度も聞く人がいます。(一般社会で)
[それ、前にも言ったよ~]
物忘れではないと思います。
聞いているけれど、実はその人の耳には入っていない。
こんな経験、どなたにもあることでしょう。
人間って、見たいものを見、聞きたいものを聞く。
そんな感じがします。
中には、自分が見たいように見て、聞きたいように聞いてしまう、という都合のよい人もいるのではないでしょうか。(笑い)
このようなブログ、メールなどの文章も、書き方や読み方によって捉え方が正反対になることもあります。
苦い体験があります・・・。
ほんの冗談で送った内容のメールで、相手をひどく怒らせてしまった・・・。
その人にとっては、冗談で済まされないところを突いてしまったんでしょう。
それから疎遠になってしまいました。
とても仲良く、頼りにして付き合っていた人なので、今でも後悔しています。
顔を合わせて同じことを笑いながら言っていたら、決して誤解はしなかったでしょう。
一緒に笑ったと思います。
たった数行のことで、関係が壊れてしまうこともあります。
見るときは、同じ目線で同じところを見ないと、見てほしいところは見えないものです。
昔の私の信じていた言葉にも同じようなことがあり
同じものを読んでも同じに感じられず、同じ詩を賛美しても同じに感じられず、わたしはその場を去りました
特にブログはメールは難しいですね
手紙もです
私は対面でも理解されにくいことあり
そのときはあきらめてしまいます
エネルギーに限りがあるので
見えないものを信じていたころが懐かしいです
見えるものを信じることはその点、たやすいかもしれません、わたしが心眼で見たものだけを信じればよいのですから、ちょっと夜中なので強気かもしれませんね!
おやすみなさいませ
芥川賞作家のように、読者の想像に任せたほうが賢いのかもしれません。
事務的な連絡をしたのにもかかわらず、冷たい文章だといわれたこともあります。
相手のそのときの感情なのでしょう。
もう、私の年齢では、ご無理ご最もと控えめにしていられませんので、世間を怖がってはいませんけど。(笑い)
意思的に強気になるときもあります。
なるべくは、見えているまま、聞こえるままを見て聞いていたいものです。