弁護団を代表して若干訴えたいと思います。思い起こせば今から3年前7月の9日、東京都労委で思いもかけない超不当命令が出た。これが今皆さん方と一緒に頑張ってもらっている明治乳業の事件です。
あれから3年間、皆さんそれから申立人らさらには私たち弁護団、必死になって中労委でたたかってきました。当然、都労委命令の不当性がどこにあるかということを第一番目に訴えてきました。簡単に言えば、申立人らのグループとそれ以外の従業員のグループの間に明瞭な明白な賃金格差、それから職分という地位の格差がありました。にもかかわらず、従来労働委員会は「大量観察方式」という、グループごとに集団で見て、格差があるのかを決めていたのに、命令を書いた荒木公益委員は、この方式を使いませんでした。極めて異例なことです。
先ほど松本議長の方から、なぜこんな異例な命令が出たのかという背景は、説明がありました。私の方からは同じことを言っても意味がないので、この不当性を弁護団は中労委で一生懸命訴えました。
その材料として一つは、申立人らのグループ以外の他の従業員はいつどれだけの職分に上がって、どれだけの賃金になったかの資料を提出させられれば格差は明らかになるだろうとして、いわゆる人事関係資料の開示を求めました。これについては、中労委は理解を示して会社側に要請したのですけれども、会社はもう申立人等以外の記録は全部廃棄したと言って応じませんでした。
さらには人事記録を開示しない理由として、市川工場事件(今中労委でやっている全国事件に先行して行われた事件で昭和60年に申し立てています)の東京高裁の判決を不当にも変に引用して、昔のことをやる必要はないといって抵抗しました。ですから私たちは、中労委において市川事件の東京高裁の判決はどうゆうものであったのかということを中労委にわかりやすく説明し説得しました。
因みに、皆さんもご存じかと思いますが、東京高裁判決は、職分、要するに地位としての格差があることは認めませんでしたけれども、賃金の中の号給、これが申立人等のグループとそれ以外のグループの間では、明瞭な格差があると言うことを認めた訳です。初めてであります。そして、その原因は、申立人らが言っている【昭和40年代から始まった不当労働行為にある】という主張も妥当する余地があると言うところまで高裁判決は言ったのです。ですから、私たち弁護団からすればあと一歩の所まで行ったのではないかと思っています。このことを中労委によく解らせました。中労委の最終盤、本人尋問に入る前に論点整理が行われましたが、その際に会社は非常に抵抗しましたが、昭和40年代からの不当労働行為が、この事件にどうゆうふうに関係しているのかということも一つの論点として入れることができました。
こうした結果、会社は断固採用に反対しましたけれども、11名の当事者、証人と証拠調べができました。若干一人15分という短い人もおられましたけれども、少なくとも選び抜いた証人、選び抜いた申立人全員採用させることができたことは、大きな成果だったのではないかと思います。
こういった経過を受けて今中労委は命令作業に入っています。当然、弁護団としては、勝利命令下してくれるだろうと思っています。こう思って迎えたのが3年前の都労委命令なので、なんとも言えない嫌な思いがするのですが、先ほど松本議長が言ったように、荒木と明治には色々な関係がある。しかし、少なくとも中労委の公益委員とは、そういう関係はないことが今のところ解っている。ですから当然、正義の内容のある救済命令が下されるものと弁護団は思っています。
最終準備書面も色々ありましたけれども、一所懸命書き、記述の中にもポイントを訴える内容になっているのではないかと。
最終準備書面を出し切りましたけれども、弁護団はいろんな場所で、例えば今日の私のようにこうした場所に立って事件を訴える、違った弁護士は、会社の要請行動、座り込みの時に行って訴え等しています。更には、勝利命令を出ることはもちろんですけども、今、もう一度中労委を通じて和解で早期に解決ができないかと言うことを模索しています。
こういう点で、お集まりいただいた皆さんのこの熱意、これを中労委に向けると共に会社包囲行動をさらに強化して、是非、会社をして和解を応じさせる様にしていきたいと思います。命令は年末から年度末にかけて私たちは出るもの予想しています。しかし今は、命令に期待すると同時に、先ほど言いましたように会社を包囲して、なんとしてまでも和解で早期に解決したいものと思っています。
弁護団は、皆さんと一緒に、この明乳争議が勝利で解決するまで、最後まで一緒になって頑張ることをお誓いしてここの報告といたします。一緒に頑張りましょう。
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