明治乳業争議団(blog)

働くルールの確立で人間性の回復を!

株式会社 明治・大阪工場が、バイト採用面接がセクハラ行為で行政指導受ける 言い訳でなく「人権侵害」で謝れ!

2021年01月22日 13時53分03秒 | お知らせ

セクハラで明治大阪工場が行政指導受ける 採用面接で体重ウエストなど記入させる

これら事件は明治の人権否定体質が露呈したものであり 長期争議解決と共に人権感覚の回復が緊急課題です 

 ㈱明治大阪工場が雇用の採用面接で体重やウエスト、既往歴を書面に記入させていたことがわかり、人権蹂躙として大きな問題となっています。「面接票」を募集希望者に渡し採用前に記入させていたもので、10年以上前から身長、ウエストなど身体的特徴を問い、数年前からは既往症や労災歴などの記入も求めていたといいます。職業安定法は、業務に関係ない個人情報調査は禁じています。大きなセクハラ問題です。

 この情報が採用、不採用の基準になっていたとすれば法律違反にもなりかねません。 明治はハローワーク茨木から「法に触れるおそれがある」として指導を受けました。

  この大阪工場は、かつて明治製菓の菓子工場でしたが、2009年4月に明治乳業と明治製菓が経営統合して親会社明治HDを設立。それぞれ100%の子会社となり2011年4月に事業再編が行われ、乳業に菓子を組み入れて株式会社明治となりました。 

 この面接が9年前とか10年前からと報じられていますが、丁度、事業再編が行われた時期と重なり、明治乳業経営の人権侵害感覚からではないかと疑念を持たざるをえません。

(1991年9月発行)

明治乳業時代の大阪工場であった女性労働者を「隔離部屋」に押し込んだ人権侵害が社会問題になった事件

明治乳業大阪工場で働いていました松本寿子さん(故人)が、パンフレット作成の中で語っています「隔離部屋」に押し込められた経緯の話しを紹介します (パンフレットから全文)

 私は入社して28年になります。これまで話されたように、大阪でもはじめは職場も和気あいあいだったんですが、昭和45年を境にして、インフォーマル組織「志宝会」がつくられ、職場も組合もひっかきまわされていきました。

 私たち女性は5人の仲間ががんばっていたんですが、それぞれ結婚とか出産とかで退職していき、私だけになってしまったんです。ちょうどインフォーマル組織が労働組合を乗っ取ったころです。

 私はこうした「志宝会」に同調しないことから差別され、出荷事務所で仕事をするようになりました。ところが一ヶ月ほどすると、アイスクリーム倉庫のせまいプレハブに出荷の見習いに行かされ、二ヶ月位で戻ってくると、机もなく、カウンターの上で仕事をさせられました。組合に相談に行くと「会社の命令だから、従え」というんです。それから一年後の46年4月になると、下請け会社の中にあるブロックを積み上げてセメントを上塗りしただけの所へ行けというんです。また組合に相談したのですが、「人事権は会社にある。行ってもらうしかない」っていわれました。それでも、そこで事務的な仕事があったのですが、7~8年すると仕事もなくなりました。会社にいうと「そのままそこにいろ」といわれ、一ヶ月ほどするとプレハブの一畳半ほどの部屋に移されて伝票の整理をさせられたんです。とうとうがまんの限界を超え、「人権110番」に訴えました。「赤旗」新聞にも載って大きな反響がありました。全国のとても多くの人から激励をいただきました。11年の隔離生活を打破して、元の職場に復帰できた時、はじめて「たたかわないといけない。がんばらないといけないんだ」って実感できました。

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