明治乳業争議団(blog)

働くルールの確立で人間性の回復を!

全国都労委事件の申立人ご遺族が、お父ちゃんが可哀そうと胸の内を告発

2012年12月12日 13時02分27秒 | お知らせ
お父ちゃんは、欠陥人間ではない。とても優しく器用な人でした。

 なぜ、お父ちゃんは「差別」されなければならなかったのか、「可哀そうでならない」と切り出した奥様は、明治の複雑な勤務形態の中で一生懸命勤めてきた。ともかく、夜勤勤務の時など住宅環境の事情から、お父ちゃんが十分に睡眠をとれるように子どもたちも辛い思いをしてきた。
 
 明治は、お父ちゃんを「欠陥人間」とした「役立たず」、「怠け者」などと、ひどいことを言われ続けられてきた。
お父ちゃんは「器用」な人でした、なんでも手にかけて修繕したり作ったりしていましたよ、会社を許せないです。

 会社からそのようなイジメを受け続けるのは、共産党に入っておるからでないか等と親族からも言われていました。
 弟から家を購入する際に、「保証人」になってほしいと話しがありましたが、弟の給料より低く保証人にもなれない給料でした。弟からどの様な会社やと問われ惨めな思いをしました。

 お父ちゃんは常に愛社精神があったのに差別された、差別されていながらも明治の品物を買い求めていた、なぜ差別されないと如何のや、いま新しい会社になったのだから、差別を止めるなら、労働者のためにも会社のためにもなると思っています。
 今日は、救済を早期にお願いしたいために大阪から上京しました。よろしくお願いします。

 奥様が連れ添ったご主人との想いが切々と語られ、参加者の気持ちを揺り動かし涙なしには聞けませんでした。明治の卑劣この上ないイジメを根本的になくさせていくためには、明治の「不当労働行為」をしっかり認定すること。救済機関としての労働委員会の責任使命が強く求められていることを改めて強くしました。


病をおして書き上げた「陳述書」の最後の文は「遺書」になってしまいました。

「陳述を終るにあたって」の記載部分を読み上げました。

 私たちは、明治乳業を敵視しているわけではありません。ただ従業員として、また組合員として当然の「生活と権利を守る」ために会社の不当な支配介入に反対してきただけです。しかし、思想的に「会社をおびやかす者」としての烙印を押されると日常的な嫌がらせや差別扱いを受け、日々精神的な苦痛に耐えながら働くことになるのです。入社から定年まで40年以上働いた会社でもあり、自分たちが作った自社製品には愛情や自負もあれば愛社精神もあります。そして、社会的にも、又、社内においても法に触れるような行為は一度もしたことはありませんし、一生懸命会社に貢献するよう努力してきたつもりです。

 ピラミッドの頂点が頭脳なら、それを支える底辺の労働者は足腰です。私たちは在職中に会社との信頼関係を取り戻して正常な労使関係を築こうと願ってきましたが、労働委員会や裁判所の和解提案をことごとく拒否した会社によってその願いも砕かれてしました。

 真面目に43年間働き続けた私の退職時の職分は、標準的な新入社員が6.5年で昇格できる職分でした。入社して5年程たった頃の人事考課の交付時に「どんなに真面目に働いても考え方を変えない限り昇格・昇給は望めないよ」と、当時の阿部豊主任に言われましたが、まさにその通りの事が行われ、又その通りになるとは夢にも思いませんでした。これまで多くの仲間が会社を去り、中には無念の思いを払拭できずに逝った者もいます。

 私も定年を迎え、現在は病床の身にありますが、貴労働委員会が不当労働行為の救済機関としての職責において公正な判断を行い、私たちの苦しい道のりが一日も早く最終となりますよう切にお願い申し上げます。
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