立待岬からの帰り道にあるのが碧血碑。
ここは先日の護国神社の官軍ではなく、幕府軍の戦死者約800人を祀っている場所です。
結構立ち寄っていたんですけど、やはり娘は覚えてはいないそうで。
碧血碑は覚えていないけど、
碧血碑まで冒険したことは覚えているそうです。
ここには2箇所車を停められる場所があるのですが、
私は奥(八幡さんとは別の場所のほう)に停めて、森の中に道を歩くのが好きでした。
あら、230メートルもあったんだ。
この230メートルは初めて歩く人や、一人で歩くにはちょっと怖く不安に感じるかも。
ってこういう時って写真撮ってないのよね。
来たっ。
他の箇所とはまた違った、胸にぐぐっとくるものがあります。
あ、新撰組ファンとかではなくてね、当時と全然変わってない。
私の約20年ぶりなんて、長~い歴史の流れからみるとちっぽけなもんですが、
その間この山奥で在り続けていたのよねと。
まぁ今回の函館の見るもの全てがほぼそうなんですけど。
これが裏の16文字。
ちなみに…余談も余談となりますが…
碧血碑の碧、あるいは翡翠の翠、どちらかの漢字を私の名前のみどりにしたかったと、
今は亡き母が話していたのを覚えています。
私の旧姓の画数が超シンプルでスカスカで、このどちらかの漢字にした場合、バランスがよくないこと、
読みづらい、誰もが間違えず悩まずに呼んでくれる名前ではないこと、
なにより当の本人が書けない(爆)、覚えられない?(爆)、これぞ親の愛でしょか(笑)。
結局兄の「樹」を含む名前とセット?で葉っぱのみどりでひらがなとなりましたが、
確かにひらがなでみどりは書き間違えないかと(笑)。
さらに結婚して今の姓となりましたが、
このどちらかの漢字だと画数ぎゅうぎゅうで、超硬派な俳人のような名前だったかも。あ、廃人でしょか。
まぁ今の名前は見た感覚で言うと、苗字がぎゅぎゅう名前がスカスカでバランス悪いといったら悪いんですけど、
名は体をあらわす、
実にバランス悪くギャグっぽい名前ってのはいかがなもんでしょか(笑)。あ、気に入ってますから(笑)。
それでね、
前に掲げた娘の記憶ポイントですが、
・碧血碑まで冒険した
これです、これなんですけど、この立待岬からの道の記憶ではないんです。
当時住んでいた家は函館山登山道路の脇でして、登山道入口ゲートのすぐそばだった。
ここにはちょっとした広場もあって、まぁたまに遊びに来ていたわけです。
で、ここから登山コースがいくつか出ておりまして、
その中のひとつ、宮の森コースを娘を連れてぽこぽこ歩いたのを大冒険したと覚えているようなんですわ。
実際、きっちり碧血碑まで到達したのは1回だったと記憶しているのですが。
途中までだとしても歩いたのは1,2回では。
覚えているんですねぇ。
今回も歩こうかと(あるいは走ってもいいかもと)話にはなったのですが、朝方までの激しい雨と、
所要時間などを考え車となりましたけど、もう1度歩いてみたいですわ。
ではあの幼き日のメモワールを(笑)。
これです(笑)。
これがその宮の森コースの最終地点、出口といいますか、碧血碑との合流地点です。
『ここからぽこって出てきたんだよね。で、八幡さんを通って家まで帰った』
ぴんぽ~ん、大正解。
って私は言われてみたら、確かに八幡さん通って帰ったかな?程度なんですけど。まだらですわ、記憶が。
でも今地図を見てみると結構な距離なのよね。
娘、ちゃんと歩いてたんでしょか。
途中でだっことかしたのかも。
そういうことは一切覚えて無いのよね、娘の武勇伝は(笑)。あ、私もなんですけど(汗)。