義母が亡くなって今日は初七日。あっという間ですね。
私は勘がいいとか鋭いとかは特になく、ほどほど?
むしろ神経衰弱(トランプ)ではべろ負けするから鈍いほうか。あ、それは勘より記憶力だな。
義母はいつ何が起こってもおかしくない病名のオンパレードでしたが、
逆に何も起こらなければ100歳のお誕生日を迎えられるのではないか、
うまく伝わらないかもしれませんが、身体の基礎が頑丈・丈夫で、
あれだけ病気持ちなら私だととっくに2回は死んでいると思います。
(ちなみに今回は腹部大動脈瘤肥大による出血となりましたが、その破れた原因というのが、
朝食時に汚れた病衣を取り替えるのを嫌がり怒り暴れたそうで、おとなしく着替えていれば今でも元気にしていたかもしれません)
虫の知らせというか、いくつか出来事がありました。
まずは電話機。
我が家の電話機はかなり古くて(ダイヤルではないけれど)機能らしき機能はほとんど役に立たず、
携帯が主流なので固定電話はめったに使うことはないのだけれど、
それでも何かあったら高齢の親戚は携帯ではなく固定電話にかけてくるはずで、
まだ何も起こりそうではないけれど「(万が一に備え)電話機買い換えよう」と義母が亡くなる1週間前に家庭内宣言していた。
夫も娘も「携帯があるし固定電話もつながる」で私の意見は即刻却下。
結果ほとんどが携帯での連絡でした。
次にお米。
まだ補充するには早いけれど、亡くなる数日前になぜか買っておいたほうがいいような気がして、一袋買った。
枕膳や祭壇にお供えするご飯の量って結構多くてね、
底が見えるのを気にすることなく豪勢にご飯を炊く&供えることができ、慌てなく済みました。
本。
幸田露伴や幸田文の葬儀の話を読んだばかりで、骨の本も読んだばかりで、
返却日はまだなのに、なんとなく図書館に返しにいき、さらに受け取りも済ませていた。
本来の返却日はちょうど葬儀の日で、あれはなんでだったんだろう。
さらに受け取ってきた本のタイトルは「メメントモリ・ジャーニー(死を想え・旅)」。
次に時間。
病院に泊り込んでいたのですが、このまま持ちこたえてくれるようなそうでもないような、
一進一退の状況だったのがよくない方向に傾いてきて、
これは夜を越せないのではないだろうか、朝をむかえることはできないかもしれない、
さらに状況が悪くなり、これは○時まで持たないかもしれないななんて不謹慎にも付き添いながら感じていたのですが、
結局その○時が医師の死亡確認の時刻となってしまった。
父や義父のときはこんなことなかったので。
こじつけといえばこじつけ、たまたまといえばたまたまだけど、
重なることもあるんだなあと。
勘の鋭いオバサンに認定でしょか。