毎日が夏休み

LEAVES THAT ARE GREEN TURN TO BROWN

教会群と幼稚園

2011-10-21 23:49:49 | ささやかな小旅行

 

 

 

函館西部地区といえば、やはり誰もが思い浮かべるのはあの教会と坂道でしょか。

 

娘はこの教会群の一画にある幼稚園に通っておりました。

生活圏だったんです。

当時は幼稚園バスなんてものはありません。

3年間、お休みの日以外はずぅっと教会横を歩いて、あるいは車で送り迎えしておりました。

あ、それでも年長さんあたりでは週に1回だったか、

園児集団を先生が近くの汐見坂の中腹まで、

小さいの連れて送ってくれる日があったでしょか。

給食などなくお弁当、朝送っていったと思ったら、あっという間にお迎えに走る日々でした。

幼稚園から戻ったら、今度はお友達と遊ぶ送り迎え。

 

 

我が家を出たら、坂を下り、ロープウェイ山麓駅、水元前の道をずんずんお手手つないで歩き、

(日暮し通りと名がついているのをたった今知りましたっ!!あ、そうだったの?)

つきあたりが、

 

 

函館聖ヨハネ教会。

ここの教会の駐車場にはお世話になりました(笑)。

なにせ周りは坂だらけ、平らで広い場所は貴重でして。

観光客や車両も多いですし。

ちょうどここの教会からさらに上の坂(チャチャ登りの一本手前)に幼稚園の仲良しの男友達が住んでおりまして、

ここの駐車場で遊ばせてもらいました。

…真面目に落っこちるような坂でして(爆)。いやぁ、すごかったです。

ひぃちゃん(その男の子)のことは覚えていても、ここの教会のことは覚えてないようでして…

 

この写真もそうなのですが、

ついついこちら側が正面のように思ってしまっています。

正しくは、函館ハリストス正教会の前の道に面しているほうが正面なんでしょね(笑)。

そちら側の階段から入ったことは…あれ?きっと1,2回なのではと思います。

 

 

 

東本願寺の黒い大きな屋根を見ながら、ここの角を左手に。

大三坂とチャチャ登りにぶつかります。

 

 

 

カトリック元町教会。

一応寄ってみる。

 

 

 

司祭館。

こちらもいいと思うんですけど、やっぱり写す人は少ないかと。

 

 

 

変わらぬ懐かしの石垣と風景。

そして、

 

 

函館ハリストス正教会の門。

 

 

 

私ね、ここの教会の鐘の演奏をもう1度聴きたかったんです。

2度。2度だけ、運よく神父さん?のナマ演奏にぶつかったことがありまして、

感動したんですわ。

その音色もさることながら、演奏する神父さんが両手両足でロープを操って、

それはそれは見事に鐘でメロディを奏でるのです。

もうマジックといいますか、ミラクルといいますか、あ、なんだか安っぽい表現ですみませんなんですけど、

高い塔のドームの中でローブ姿の神父さんが舞うような演奏なんです。

そうよね、ガンガン寺とも呼ばれてますものね。

残念ながら、平日滞在でしたので観られませんでしたが。いやぁ、残念っ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほら、鐘が見えてます。

 

で、中を見学できるようになってました。

200円の寄付金を納め聖堂内へ。

あ、撮影禁止です。

復活聖堂内は意外と狭く、正面一面に聖像の絵が。

 

ここで寄付と祈りを捧げたのがよかったのか、

まさに神のお導きなのか、直後に嬉しい出来事が起こりまして。

 

 

このハリストス正教会の横が、娘が通った遺愛幼稚園なんです。

懐かしの幼稚園。

 

 

 

 

 

ハリストス正教会の横門から出て、坂の上から園庭の遊具を懐かしみまして。

私だって3年間送り迎えしましたし、役員さんもやったし、

行事には必ず参加してましたし、思い出みちみちの懐かしい幼稚園でもあるわけです。

 

『ねぇ、寄って行こうよ。事情話したら中に入れてくれるよ。観たいでしょ?』と私。

『観たいけどさぁ、まだちびっこいっぱい遊んでるし…ここからでいい』と娘。

 

確かに卒園してから20年は経っているわけです。

突然卒園生といえども観光客が現れたら、

それにまだ放課後?(なんていうんでしょ、通じてください)ではないわけですし。

そうよね、ここで味わうことにしようと、坂を下り、園の門まできましたら。

 

一台の車が園の敷地内に入ってゆきまして。

その横顔に見覚えがあるっ。

あ、あれは○○先生っ!いや、違うか?20年だぞ、20年、でもやっぱり○○先生ではっ??

娘もうっすら覚えているよな、自信がないような…

 

車から降りてきたところに声をかけまして。

 

わ、20年後の○○先生でしたっ。

って、私も娘も20年後なんですけど(爆)。

 

それがね、先生娘と私を覚えていてくださったんです。

関係者しか知らない事実、

娘が『おとうさんの顔を茶色のクレヨンで塗っていた』ことを覚えていたっ!!

夫、年から年中真っ黒なんです。

間違っても肌色のクレヨンでは、それはおとうさんではないとオサナゴコロに思っていたようで。

その絵を見て先生と大笑いしたことがあるんです。それをしっかり覚えてた。これは間違いない。

(いえ、大笑いをしたのは私です)

いやぁ、嬉しいですわ。

先生も喜んでくださって、『園内観ていってください~』と。

 

お言葉にすっかり甘えて、懐かしの幼稚園を。

ね、ハリストスの神様のご加護かお導きでしょか。

 

 

 

 

艶艶光る床に階段の手すり、小さな椅子に小さな部屋。

おうたを歌ったピアノにお道具いれの棚。

娘より私のほうが悲鳴ですわ(笑)。

 

 

もちろんお子様サイズで低い。

そう、幼稚園のトイレが一番覚えていて、年に数回夢に見るそうで。(官軍のお墓もですが)

先生が嬉しそうに案内してくれたのが、新園舎。

横に増築したそうで、確かに昔はなかったなかった。

その2階部分から1階へと階段の横に大滑り台がついておりまして。

あ、こりゃおこちゃま喜びそう、いいな、いいな、こどもっていいな。

で、大人も滑ってもいいそうでして(笑)。

 

 

 滑ったっ(笑)。

ただ大人の場合は、加速が激しいのと、着地時に腰を打つ危険性があるので、注意してくださいとのことでした(笑)。

この幼稚園を卒園して良かったなと。

○○先生、若い先生方、ちびっこ諸君、ありがとうございました。

 

 

 

 

思い出の詰まった、遺愛幼稚園でした。

 

 

 

 


東北以北最古の手動式エレベーター

2011-10-20 22:52:52 | ささやかな小旅行

 

 

『私だって子供の頃は函館に住んでいたっ』

とまぁ、私の小1~小4の時期の記憶に強制的に照準を合わせまして。

といいましても、私の子供時代は函館の乃木町に住んでいたので、

むしろ記憶は競輪場(爆)や杉並~柏木~深堀町、乃木町の街並みが多いんですわ。

競輪場は近くにあったから。外周の柵の用水路?でおたまじゃくしを捕まえたことがあります。

大森浜の近くに小学校があった。

で、西部地区は、当時はきっと遠征なお出掛けだったんでしょね。

覚えているのが(といっても自信の無い、きっとそうよねあたりの記憶なのですが)丸井さんの屋上。

丸井さんといっても本町に移転する前の、十字街近くにどぇんとあった百貨店の丸井さん。

 ここの屋上にあった遊具で遊んだのと、

ガラスのドーム型のお菓子を作っていた?がちゃぽん?綿あめ製造機?ポップコーン?

なんかうろ覚えなのですが、そんな機械が

屋上(ひょっとしたら最上階の間違いかもしれませんが)にあったのをうっすらと覚えている。

 

娘と暮らしていた頃は(あ、夫も健在ですがほとんど不在)、

丸井さんは本町で、ここは市の分庁舎(水道局)となっていたはず。

南部坂は生活圏だったので、この横は良く通っていたけど、娘は記憶なし。

私にとっては思い出の美しい建物でも、娘にとってはただの建物なんですね。

 

今は、函館市地域交流まちづくりセンターとなっていました。

 

寄る。

 

 

南部坂から転げるように下りてゆくと、向こうの通りは電車通り。

あ、今回一枚も電車写さなかったし、一度も乗らなかったな。

 

 

 

 

 

大きな建物を写すのって、道の向こう側から離れて写せばいいんでしょうけど…

時間が無いのでぐいぐい行きます…

 

で。

知らなかったのですが、ここにかなりの数の函館・道南のパンフレット類が置いてありました。

休憩できるイスもあるし、確か喫茶店も入っていたような。

 

 

 

 

見覚えあるよな無いような…

 化石も混ざっていそうな…

 

で。

ここには東北以北最古の手動式エレベーターがあるんです。

私、その昔に乗ったのかなぁ??

屋上まで行くには階段かエレベーター、きっとエレベーターは花形だったと思うんです。

だから、きっと乗っているはず。

 

一人建物の奥に歩いてゆきますと。

エレベーター発見。

ただし。勝手に乗り込めません。

係りの人に動かしてもらいます。だって、手動式ですからぁっ。

 

フロントに戻り、お兄さんにエレベーターに乗りたいと告げますと、即OK。

休憩中の娘を強引に引き連れまして。

 

 

 

うぉぉなんですけど、さすがに控えめ遠慮がちな撮影ですのでご了承ください。

一応羞恥心というもののカケラを胸に秘めておりますので…

 

 

 

私と同年代で、かつ都市部にお住まいだった方、

この内側の蛇腹式といいますか、この折りたたみの扉、すっごく懐かしくありません?

昔のフランス映画の世界なんですけど。

あ、函館の昔の丸井さんなんですけど…

 

 

 

最上階(5階)。

あれ?私の遊んだのはどこで何階だったんだ??

確かに外だったと。

棒二とかさいかデパートの記憶はもっと新しくて、食堂や遊技場は覚えているんですけど、

ここ丸井さんはその前なのか回数的なものなのか…

 

 

 

 

 

係りの人が言っておりましたが、何故か6階の枠があるんですよねと。

 

 

 

 

きちんと定位置で段差無く止めるのは難しいそうです。

写すのも難しくて、やっと二階通過時撮影成功(笑)。

 

 

これよ、これ。手動のハンドル。

確かに、昔エレベーターのお姉さんが、こういうのガチャってやっていたかも。

Dはダウン、Uはうえじゃなくてアップね、真ん中が停止。

これでガチャっと操作して、止まって、蛇腹式内側ドアをがしゃがしゃと開け、、

外側の扉の開閉をしてくれた。

え、この話って何歳ぐらいの方まで通じる話なんでしょかね?

まずエレベーターがある地域でないと通じませんし、

今のデパートのエレベーターって綺麗なお姉さん乗ってるんでしょか。

乗っていて独特口調のアナウンスと利用階数をぽちっとしてくれるんでしょか。

もっぱらエスカレーター利用なので…

 

 

そう、この手動ハンドル後ろの金ぴかは新しく取り替えたもので、

箱内にある手すりの真鍮は当時のままだそうです。

この手すりは触ってから指先の匂いを嗅ぐと、あの独特の真鍮特有の臭いがするそうで、

娘がやってみたのですが、確かに独特の金属臭がしたと。

今度古いドアの取っ手とか触ってニオイを嗅いでみよう。

 

 

 

光っちょります…

 

この歴史あるエレベーターに乗ってみるのはいかがでしょ?なかなかですから。

あ、好みの問題でしょけど(笑)。

エレベーターもステキですけど、

建物自体も美しいですから。

 

 

 

もっと中を見たかったんですけど。

 

以上、函館市地域交流まちづくりセンター、私にとっては昔の丸井さん探訪でした。

 

あ、おまけといいますか…

 

 

 くまフェイスなイカ娘。

建物には関心を示さず、イカ帽子に萌える。

そのうち多々なるご利益により、綿帽子の日がくるのでしょか…

 いつまでもイカ帽子が似合う娘でいて欲しいんですけど。

 


山姥(やまんば)

2011-10-19 21:49:49 | ささやかな小旅行

 

 

びしばしやらないと終わりの見えない函館となりそうです…あぁ苦笑い。

さて、記憶を歩く函館旅行を延々続けておりますが、

今回の記憶ポイントは、

 

・山んば

 

何?それ?私か?なんですけど。

 

函館山登山道路の脇に住んでいたことは何度も書きました。

ということは…

函館山にびしばし登っていたと思われるかもしれませんが、

歩いて山頂までいったのは一度だけなんです。

車やロープウェイばかりでした。だってやっぱり山ですから。

今みたいにほいほい三角山を歩くような私ではなかったんですわ。

それでもたまぁに付近をお散歩程度、娘を連れて下のほうで遊んだこともあったんです。

 

で。

 

娘が鮮明に覚えているのが、函館山の山姥の住処。

これは怖かったと。

リアルに怖くて今でもしっかり覚えてると。 

いやぁ、そりゃ悪かったねなんですけど…

 

当時も今も、なんでもない普通のことでも何かきらきら喜ばせてあげようと、

サービス精神旺盛な母といいますか、

もっと普通な親なら良かったんですけど、

幼子(おさなご)に強烈なインパクト弾を与えてしまったのがこの山姥でして。

まるっきり逆喜び?喜んだのは私だけだったのですが(汗)。

行こう、もう1度山姥探検に行ってこようと(爆)。

 

 

場所は函館山旧登山道に入ってすぐ。

朝方までの激しい雨。

落ち葉の匂いと濡れた階段の道の先。

 

 

きたっ。恐ろしの山姥の住処。

 

 

いえ、山姥は私の勝手な発想でして、

正しくは旧要塞貯水槽です。

旧要塞貯水槽なのですが、山姥の住処に仕立てあげまして…

 

 

 

巨大なきのこにも見えます。

 

 

 

20年後にこにゃにゃちは~~。

『怖かったんだからねっ、あなた鬼よね、

 真面目にこの中に山姥がいて、火を焚いて石臼毎日ごりごり挽いてるってずぅっと思ってて、

 ホント怖かったんだからっ』

 

すまんのぅ…

 

 

 

 

でたぁっ。うん、雰囲気あるなぁ、私。

 

 

 

 

たまたま、本当に偶然だったんですけど、

当時、『ここは山姥の住んでいる家で、今は食べ物とりに行ってるんだよ』

なんて勝手にファンタジーしていたら、向こうから登山者が一人で下りてきまして。

なんてラッキー、

『ほら、帰ってきたっ。見つからないようお母さんに隠れなさい』

娘を恐怖のずんどこに突き落としたのはこの私です。

なお、この勝手に登山者を山姥仕立ては、碧血碑までの宮の森コースでも使いまして。

それも覚えておりましたわ。

おそらく持っていた絵本(ことろのばんば 長谷川摂子 文 川上越子 絵)のインパクトも重なったのではないかと。

この出来事の前に買ったのか、あとに買ったのか、そこまでははっきりしませんけど。

(いや、絵本よりあなたよと娘に言われそうですが …)

 

 

おんなのこの カラダはきえてしまった。

確かに怖い絵本だな(笑)。でも色使いがとても綺麗なんです。

 

 

 

函館山で見つけたカタツムリ。

 

 

ちなみに、

・家の前の坂で犬に追いかけられこの世のものとは思われない叫び声をあげた←事実です

・カラスに襲われた

このふたつは我が家に向かう坂道で、

 

 

 

カラスに襲われたのも、犬に追いかけられたのもこの坂です(笑)

この道の左手が護国神社。オレンジ色の看板の前が前に書いた横道の抜け道、

この坂の途中に住んでいた家、真っ直ぐ行くと函館山山頂まで(笑)、ちなみにここは一方通行。

右手はロープウェイ山麓駅、水元です。

急なのよね。

カラスも犬も覚えているのに、

転んでケガをして大泣きして、この急な坂を私に担がれて(笑)家まで帰ったことは覚えてないのよね。

お手手つないで毎日歩いていたのにね。

一応『つなぐ?』とアプローチしてみましたが(爆)、

即座に叩かれ却下されました(笑)。まぁね(笑)。

 

 


阿佐利本店

2011-10-17 23:14:14 | ささやかな小旅行

 

  

食べ物も思い出歩き(思い出食べ?)をしてこようと決めておりました。

…やっぱりあまり覚えてないようで。

 

2日目の昼食は阿佐利本店へ。

ここはね、娘はまるっきり覚えてなくて、親としてはなかなか悔しいのですが、

函館に住んでいた時の最後の夜に、家族で食事をしたのがここ阿佐利本店のすき焼だったんです。

 

…ちょうど11時ごろでしょか、雨がざんざん降ってきまして。

お昼どころか、まだ11時半にもなってなかったのですが、緊急避難。

一応傘は差してたんですけど、いやぁ、ひっどい雨でした。

お店を出る頃には上がっていましたが。

 

 

 

 

一階はお肉屋さん、二階がすき焼やさん。

函館に住んでいた当時もかなり古い建物でしたが、

20年追加でフルさにも磨きがかかっておりまして、なかなか嬉しい建物なんですけど。

 

 

 

一番奥の部屋へ案内されまして。

 

 

 

雨と風でがたがた音がしてました。

そう、地震みたいだねと言っていたのですが、本当に地震があったと、

札幌に帰ってきてから新聞で知りましたわ。(函館震度3)

 

 

 

 

 

迷わず悩まずBランチを注文。

 

 

 

えへへへへ。

どこへ連れてってくれるか何も知らされてなかった娘は、

このお店の古さと、なんだか高級そうな風格と、そしてまさかのすき焼に機嫌を直してくれまして。

(雨の中、かなり振り回されぶんぶん不機嫌になっていた・笑)

 

まずはこのお盆が運ばれてきて、

そのあとに揚げたてはふはふというかはぐはぐというか、その一口が危険・お口が火事な、

 

 

コロッケ参上っ。

 

食後には、

 

 

デザート登場っ。

ゆずのシャーベットでした。

 

 

Bランチはコロッケがつきます。

コロッケ一個でAランチと200円の差があるのですが、

まぁここのコロッケは美味しいですので。

 

 

 

 

斜めってしまうのよね。真っ直ぐに写したやつはボケてるし。

 

 

 

 

以上、阿佐利本店でした。

 

 


函館八幡宮

2011-10-17 21:55:55 | ささやかな小旅行

 

 

まるっきり個人的な記憶をもとに雑多な函館歩きを書き留めておりますが。

今日はちょいとこの私をもってでも躊躇といいますか、おろおろおどおど。

 

八幡さんは、昨日書いた碧血碑のあとに立ち寄ったりもしましたが、

娘はここで七五三もしています。

私七五三好きでして、護国神社と八幡さんで3回フルでやっています。

もちろん娘は覚えてないのですけど。

 

で、でも、今回は記憶とは別の目的大なのがここ八幡宮でして。

大階段と狛犬さん。

これを観に函館八幡宮に行ってきました。

 

 

まずは大階段。

 

 

 

 

 

ね、何段あるんでしょ。

階段好きな私にとって、ここの階段はもう一度訪れたい思い出階段ランキングのひとつです(笑)。←?

いやぁ、函館時代に走っていたら楽しかっただろうな。

すっごい環境だったよな。惜しいっ。

 

で。階段はこれで終了なのですが。

 

前にも、他の神社の狛犬さんは何度も載せていて、その都度か都度じゃないかは不確かですが、

狛犬さんには雄雌の区別のはっきりした股間をもつのもあるらしいなんてこと書きまして、

狛犬さんを見かければ、密かに視線は股間にチェックをいれていたのですが。

あ、この変態とかヘロいおばさんなんて思わないでくださいな。

いろんなことを観てみたい。ただそれだけの気持ちなんです。

あ、そういう狛犬もあるってことを見てみたいってことです。難しいなぁ、表現ヘタ。

 

 

 

見つけてきました。

 

 

既に視線が。

 

 

おぉ。本当だっ。あるっ。お見事というか、ご立派というか、あぁ、困ったわ、なんて書けばいいんでしょ。

笑って誤魔化しましょう。がはははは。

 

 

若い娘さんが拝むと良縁に恵まれるという話を聞いたことがありまして、

素直に拝む。あ、娘ね。私が拝んでどうするんなんですけど。

 

で。

 

狛犬って雄雌対に配置してあるのかと思っていたんです。

これって様々なんでしょか。詳しいことはわからないのですが、

もう一方の狛犬さんも写そうと近くに寄ったのですが、

 

 

あ、ある。こっちにもある。

看板があるため本殿側から写したのでさきほどの狛犬さんと同じ向きに写っていますが、もう一方の狛犬さんです。

 

 

しっかしなぁ。

まさか函館記憶を歩く道で狛犬さんの股間に出会うとは…。

 

 

余談ですが。

札幌でも股間のはっきりした狛犬さんを見つけ写してはあるんです。

ただ、すっごいリアリティといいますか、新しいのよね、新品な珍品といいますか、

ためらい続けて数ヶ月ってやつです。

 

衝撃の展開だったでしょか(汗)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上、函館八幡宮でした。

 

 


碧血碑

2011-10-16 22:35:35 | ささやかな小旅行

 

立待岬からの帰り道にあるのが碧血碑

ここは先日の護国神社の官軍ではなく、幕府軍の戦死者約800人を祀っている場所です。

結構立ち寄っていたんですけど、やはり娘は覚えてはいないそうで。

碧血碑は覚えていないけど、

碧血碑まで冒険したことは覚えているそうです。

 

ここには2箇所車を停められる場所があるのですが、

私は奥(八幡さんとは別の場所のほう)に停めて、森の中に道を歩くのが好きでした。

 

 

 

あら、230メートルもあったんだ。

この230メートルは初めて歩く人や、一人で歩くにはちょっと怖く不安に感じるかも。

ってこういう時って写真撮ってないのよね。

 

 

 

 

 

来たっ。

他の箇所とはまた違った、胸にぐぐっとくるものがあります。

あ、新撰組ファンとかではなくてね、当時と全然変わってない。

私の約20年ぶりなんて、長~い歴史の流れからみるとちっぽけなもんですが、

その間この山奥で在り続けていたのよねと。

まぁ今回の函館の見るもの全てがほぼそうなんですけど。

 

 

 

これが裏の16文字。

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに…余談も余談となりますが…

碧血碑の碧、あるいは翡翠の翠、どちらかの漢字を私の名前のみどりにしたかったと、

今は亡き母が話していたのを覚えています。

私の旧姓の画数が超シンプルでスカスカで、このどちらかの漢字にした場合、バランスがよくないこと、

読みづらい、誰もが間違えず悩まずに呼んでくれる名前ではないこと、

なにより当の本人が書けない(爆)、覚えられない?(爆)、これぞ親の愛でしょか(笑)。

結局兄の「樹」を含む名前とセット?で葉っぱのみどりでひらがなとなりましたが、

確かにひらがなでみどりは書き間違えないかと(笑)。

さらに結婚して今の姓となりましたが、

このどちらかの漢字だと画数ぎゅうぎゅうで、超硬派な俳人のような名前だったかも。あ、廃人でしょか。

まぁ今の名前は見た感覚で言うと、苗字がぎゅぎゅう名前がスカスカでバランス悪いといったら悪いんですけど、

名は体をあらわす、

実にバランス悪くギャグっぽい名前ってのはいかがなもんでしょか(笑)。あ、気に入ってますから(笑)。

 

 

それでね、

前に掲げた娘の記憶ポイントですが、

 

・碧血碑まで冒険した

 

これです、これなんですけど、この立待岬からの道の記憶ではないんです。

当時住んでいた家は函館山登山道路の脇でして、登山道入口ゲートのすぐそばだった。

ここにはちょっとした広場もあって、まぁたまに遊びに来ていたわけです。

で、ここから登山コースがいくつか出ておりまして、

その中のひとつ、宮の森コースを娘を連れてぽこぽこ歩いたのを大冒険したと覚えているようなんですわ。

実際、きっちり碧血碑まで到達したのは1回だったと記憶しているのですが。

途中までだとしても歩いたのは1,2回では。

覚えているんですねぇ。

今回も歩こうかと(あるいは走ってもいいかもと)話にはなったのですが、朝方までの激しい雨と、

所要時間などを考え車となりましたけど、もう1度歩いてみたいですわ。

 

ではあの幼き日のメモワールを(笑)。

 

 

これです(笑)。

これがその宮の森コースの最終地点、出口といいますか、碧血碑との合流地点です。

『ここからぽこって出てきたんだよね。で、八幡さんを通って家まで帰った』

ぴんぽ~ん、大正解。

って私は言われてみたら、確かに八幡さん通って帰ったかな?程度なんですけど。まだらですわ、記憶が。

でも今地図を見てみると結構な距離なのよね。

娘、ちゃんと歩いてたんでしょか。

途中でだっことかしたのかも。

そういうことは一切覚えて無いのよね、娘の武勇伝は(笑)。あ、私もなんですけど(汗)。

 

 


立待岬

2011-10-15 23:56:56 | ささやかな小旅行

 

 

『立待岬に行きたいっ』と娘が言い出しまして。

函館に住んでいた頃、友人知人や親戚がくると、車でいろいろ案内して走り回ったのですが、

立待岬もその都度何度も立ち寄った。

おまけに娘のお友達も青柳・谷地頭・住吉に住んでいて、送り迎えの途中に寄ったりもした。

でも、まるっきり覚えていないそうで。

う~~ん。そんなものなのか。

というわけで、私の中では暗く地味な印象が強い立待岬へと行くことに。

 

 

立待岬といえば。

通り道の細い一方通行の坂の途中にあるのが石川啄木一族のお墓。

 

 

 

 

東海の小島の磯の白砂に

われ泣きぬれて

蟹とたはむる

 ↑ここだけ文字サイズが大きくなりませんっ。カニちゃんが呼んでいる?

 

函館の青柳町こそかなしけれ

友の恋歌

矢ぐるまの花

 

こちらのほうが私は好きですわ。だって青柳町ですし、この歌碑は函館公園内にあったはず。

 

 

 

 

この景色を見続けているのでしょか。

 

啄木一族のお墓を過ぎると、すぐに立待岬の駐車場が見えてくるのですが。

素直に下の、岬に近いほうの駐車場に車を停めようとする娘に『ちょっと待った』をかけまして。

上の、まずは一段上の駐車場に車を停車。

なにゆえってこれですわ。

 

 

おいおいって言われそうなんですけど、これです、これを見るには上の駐車場に停める必要が。

この売店付近にカノン砲が備え付けられていたと。

現在はもちろん撤去されてますが、

この建物は砲座跡に作られたような、なんだかそんなカタチにみえてしまうんですけど。

 

 

 

この位置から見るとただの古い建物よね。

でも高い位置から見ると、しっかり円形になっているのがわかります。

さらに真後ろのお山のてっぺんにも要塞が残っているそうです(立ち入り禁止ですが)。

 

 

 

 

 

上の駐車場からの景色もなかなかよいと思うのですが。

 

 

でね、娘に感謝なのですが。

何度か立待岬には来ているのですが、今回が一番綺麗で見ごたえがあったよなと。

暗くて地味な印象を一掃。

お天気も、私のうかれた気分も関係しているのでしょうけど、

それよりなにより立待岬変わった?リニューアルした??

って地形は新たなエグレが増えましたとかではなく、昔と同じなんでしょけど、

遊歩道が出来ているし、なんだろ、開放的な感じになってるのよ。あ、イメージです、個人のね。

 だって、

 

 

 

イカですから(笑)。 ぐるぅっと一周イカですから。

これは脱力と和みを意図した作戦?踊る?

 

 

踏み跡がはっきりあるの、わかります?左上ね。

これって飛び降りじゃなくて、撮影とか好奇心とか度胸試しとかで乗り越えて進入するんでしょか。

絶対それって怖くて無理なんですけど。

 

 

娘と『ちんさぶ~っ』を連呼(笑)。

『って無いんですけど』も連呼。あぁ失礼致しました。

あの白金の滝の橋以来の『ちんさぶ』コールでした。

 

 

ぶるるとな。

 

 

洞窟。

と写真手前にも踏み跡が。

 

 

 

さてと。

 

 

 

座って待つ娘と、座って待つおばさん。

いやぁ、普通に意識せずに座っただけなのに、私って座り方ワイルドだったりして。

娘は娘さん的ほにゃにゃかさが漂ってるけど、あ、女性的っていえばいいのか、

私はなんだかこれって男っぽいかも(汗)。

あ、ちなみにベンチの背に立待岬と記されております。微妙にウケるんですけど。

 

さらに、

 

  

乙女ちっくな娘と、なんだかおっさんちっくMAXなおばさん。

いえ、何か面白いことやってと要求されたので、

立って待つ人を演じたつもりなのですが、単にワイルドな、言葉に詰まる人となってしまいました。

これって素でしょか。

 

 

 

娘が写した、愛車と海。

 

 愛車と海を写している娘を、さらに写してみる。

ってこれって函館公園の逆バージョンだって。

 

 

 

 

 

以上、立待岬でした。

今日は意欲的に2本投稿で頑張ってみましたっ(笑)。

 


函館港

2011-10-15 10:57:57 | ささやかな小旅行

 

 

 

朝は早くに目が覚めてしまいます(爆)。

いえ、さすがに4時5時ではないですけど、6時を過ぎると目が覚めてしまいまして。

娘はすーぴー眠ってますし。

 

函館山夜景から山麓駅まで下りてきますと、雨。

夜中は雷と激しい雨音。

目が覚めた6時も雨音がしていたのですが。

なんだかカーテンの向こうにお日様の気配が。

 

 

 

真っ赤な屋根は旧小林写真館。

 

 

 

雨上がった?単独で散歩行っちまう?行く行く行っちまえでして。

 

携帯はポケット、片手にデジカメ、もう一方の手には折り畳み傘を持ち、

とりあえず宿泊先エリアを歩いてみたのですが。

そうだ、時短するには走ればいいんだわ。走れば遠くまで行けるし娘の目覚めの頃には戻ってこられる。

 

…この早朝ラン散歩撮りはかなりの枚数に達しまして。

取り込み画像を見た娘が、

『あなたどんだけ走ってんの』とあきれておりましたが。

まぁ母のことはあきらめなさい。

 

走って移動しながら写した写真のほとんどは古い建築物です。

どうまとめたらいいのか困っておりますので←おいおいなんですけど。、

まぁあまり考えずにぽちぽち&どぇんとアップしてゆきます。

 

では、雨上がり決死隊、いえ、雨上がり早朝ラン函館港です。

 

 

 

この橋(新島橋ですって、あの新島襄さんね)の向こうが緑の島なのですが、

ゲートに施錠してありまして、一箇所だけチェーンが外れてて、

そこからでしょか、中に入って釣りをしている人たちの姿も見受けられるんですけど、

観光おばさんがひとり突入&緑の島外周走ってくるのもどんなものよと思いとどまりまして。

 

 

 

石畳に水溜りができてます。

 

 

 

 

 

 

 

これは結構嬉しい発見だったんですけど。

娘いわく海軍か?ワンピが出てくるのね、やっぱり。

 

 で、やっぱり廃屋が出てくるおばさんです。

 

 製氷場の文字が読み取れます。

 

 

 

以上、ささっと函館港でした。

 

 

 


函館山・薄ら夜景

2011-10-14 23:06:06 | ささやかな小旅行

 

 

今回の函館は行き当たりばったりといいますか、

計画なし、スケジュールなし、なんとかなるさ的要素特大でした。

まぁ以前住んでいたという強みだけのゴリ押しでしょか。

2泊3日だったんですけど、天気はころころ変わるし、

10月6日、7日の天気予報は傘マークでして。

最終日の8日は晴れマークなんですけど、帰るってね。

函館山登山も考えてはいたのですが…

 

初日の6日、水元、護国神社、函館公園と回り、さて、これからどうする?となりまして。

夜景は考えてなかったんです。

だって混みますし。

函館公園終了した時点ではまだ日没まで時間がある。

ホテルにチェックインしたら疲れて寝てしまいそうだよねと。

よし、これは函館山に行って、贅沢に日没から夜景まで過ごしてしまおうではないかと。

出来れば、要塞まで行ってしまおうではないかと。

 

 

 

乗った(笑)。ロープウェイだぜぃ(笑)。

 

ちなみにこれは水元上空ですけど、この写真の中に私の住んでいた家がしっかり写っております。

中央の森が護国神社。

あれよ、家はあそこよと娘と歓声をあげまして。

 

しっかし不便な場所でした。

だって、函館山登山道路って一方通行でして、運転するときゃ毎日が登山道でして(笑)。

急だし、逆走車が突然現れるし、観光バスはまさに長蛇の列ですし。

歩きは歩きでどこに行くにも坂道。

行きは下りですけど帰りは荷物抱えて疲れたカラダでへっこらへっこら。

(ちなみに、A地点からB地点に移動する際には、真面目に坂の急度でルートを決めましたから。

 さらに扇形ですので、どこで横移動(等高線移動)をいれるかも重要でした・笑)

あ、分かり難い話だったでしょか?スルーしてください(笑)。

 

 

 

 

ここよ、これこれ。行きたかった、娘がいまだ年に数回夢に見るという水元のてっぺん。

あそこのベンチに座りたかったんですけど。

まぁ逆に見下ろせたからいいか。

 

 

 

イカ娘。あ、山か?あの三角はイカなのか山なのか。

15時29分となっています。観光客もまだまばら。

あっ。私たちも観光客なんだわ(笑)。

 

 

 

函館どつく。

 

 

 

 

 

娘がダッシュし喜んでいた、地図の神、伊能忠敬の碑。

娘は地図好きなんです。地図帳大好き(笑)。

函館山で実測を始めたそうな。感激してましたわ。

 

娘は伊能忠敬に感激してますけど、私は要塞に感激でして。

 

 

 

上の2枚は要塞関連の写真です。

これは後日まとめて。

この函館編も後半にはディープになりそうな予感…

 

 

 

16時14分。ちょっとだけ空がフラミンゴ色に。

どんどん観光バスが。

中に入って夕暮れを待ちましょう。

 

 

 あ、横で案内をしていたツアーのガイドさんの話をダンボして聞いたのですが、

この一番狭く細い場所の幅は約1キロなんですって。

私が子供の頃、担任の先生は毎年少しずつ細くなっていると話していたのを覚えております。

無くなってしまったら、ちぎれてしまったらどうしようと子供ながらに焦った。

函館弁の先生でした。

 

 

 

待つ。

 

 

 

 街灯がつき始め、

 

 

 車のライトも灯り始め。

これくらいの『薄ら夜景』が一番綺麗だと思っております。

空気がまだ澄んだ透明感を帯びていて、薄ら夜景と勝手に呼んでおりますが、

肉眼ではものすっごく綺麗な色ですから。

どんどん色の深みを増してゆきます。

 

 

 

 

 定点観測か(笑)。

 でも時間がなきゃできない技でしょ(笑)。

この後外に出て屋外撮影を試みたのですが…

全部没。ブレてわや。

まぁあれだけ人がいて、かつ暗かったらね。

ちなみに、さきほどのガイドさんのダンボ聴きですが、

この夜景のライトの中にスキ(カタカナなのかひらがななのか漢字なのかは不明ですが)という文字が、

隠れているそうです。

現場で娘はなんとなく見えたと言っておりましたが、

私は現地でも上の写真を見ても、スキを発見できませんっ。

おばさんに「スキ」はロマンは解読不能なんでしょか。

あ、見えたらどうなるんでしょね(笑)。まぁ関係ないこっちゃですけど。それをヒガミというのよね。

 

函館山は後日要塞編と山姥編をアップしたいと思います。

あぁ、終わりの見えない函館となりそうな…

 

 


函館公園

2011-10-13 23:35:35 | ささやかな小旅行

 

 

 

 昨日の護国神社の横道を抜けると、函館公園の角につき当たります。

…正門から入ったことって数回しかないかも(笑)。もっぱら裏の角から。

でも、この角から入りますと、明治山と呼ばれる高い場所がありまして、

眺めの良い東屋を通ることが出来るんです。

あ、園内結構細かく道が分かれていて、まぁ繋がるんですけどね、慣れるまでは無闇に遠回りしてしまったり。

把握できるとこっちのもんでして、目的地までの最短ルートや、寄り道コースとか、まぁ勝手に楽しんでおりました。

 

 

東屋に向かう階段。

子供たちの間で、「ここで(東屋)雷に打たれて死んだ人がいる」と、

真相は分かりませんがそんな話があったことを、娘はしっかり覚えておりました。

 

 

 

うわぁ、来たっ。懐かしの函館公園っ。

あのこどものくにの遊具の塔が変わらないっ。

 

東屋から見る約20年ぶりの函館公園は、結構ひぃはぁな感激度でした。

その向こうは津軽海峡よ。アンジェラさんがユニクロしてるけど秋景色。

 

 

噴水のまわりがちょいと変わっているような。

そう、昔はバラよ、バラの花壇が噴水を囲んでたはず。芝の部分が花壇だったはず。

ちなみに公園内にはいろいろな碑があるのですが、そちらは立ち寄りませんでしたので。

 

 

 

水飲み場。このオットセイ?が昔あったかは私も覚えておりません。

 

昔、ちっちゃな娘を連れて函館公園にくると(幼稚園に入る前まではかなり頻繁に通ってました)

寄るというか通り道にあるのがこどものくに

ここのロータリーチェアはかなり楽しめます。

今回は恥ずかしくてさすがに乗りませんでしたけど(写真もなしですが)、

その超質素でレトロな姿とは裏腹に、ガコガコ突き進み、コーナーを、もろ角を90度でぶん回します(爆)。

その瞬間の遠心力と思わぬGにがははと大笑いしてしまいますので。

これはちびっこ占有はもったいないぞと。

こどものくにに行ったなら、ぜひ。衝撃のガコガコビュ~~ンを体験してみてください(笑)。

 

 

 

昔もこれでした。当時でも十分レトロだったんですけど、まだ現役で活躍中。

ちなみにこの観覧車は日本最古の観覧車です。

 

 

 

この配色、この存在感。

 

 

これ、昔からあったと思う。色やカバーはお直ししてあるけど、これあったわ。

 

 

円山動物園のぽっぽもすごかったですけど、

こちらのぽっぽもすごいって。ちなみに踏み切りもありますので。

 

当時、このぽっぽの線路内エリアに10円で乗れるくまちゃんとウルトラマン?飛行機?

なんだかそんな感じのしゅわっち的な乗り物の遊具が2台置いてありまして、

娘はくまちゃんに乗っては喜んでいたのでした。

10円なんてありがたかったですわ。ひとつ乗ったら満足するし。経済的な母娘よね。

まぁたまには奮発してロータリーチェアにも乗りましたけど。

 

 

こどものくにをすぎると動物園。

 

 

ヤギは覚えておりました。そうよね、草もって『やぎしゃ~~ん』て毎回ダッシュしてましたから(笑)。

『昔は茶色いヤギだったよね?』

そこまで覚えていましたわ。孔雀やシカは覚えていないと。

 

で、ここで記憶ポイントの一つが登場。

 

・函館公園のクマとの交信

 

これなんですけど、私も聞いて???

クマはいたんです。確かにいつも動き回っていた一見落ち着きのないクマは確かにいて、

ここにも必ず立ち寄っていたのですが、交信ってか??

 お話していたそうです、いつも。

 

では、クマとの再会を。

 

 

 私撮影・クマ

 

 

娘撮影・クマ

気持ちが違うのが顕著に現れております(笑)。仲良しだったのね、やっぱり。

 

 

 

交信現場。

確か真向かいにライオン夫婦がいたと記憶しているのですが。

 

 

ここ(動物園)から先は、今も昔も娘にとっては面白くないゾーンのようでして(笑)。

函館公園内に図書館があって、ここで本を借りては読んでおりました。

 

 

 

なんだかすっごく胸にくるものがあるんですけど。

もうこの時点で感無量。

 

 

泣きたくなるよな懐かしさ。

 

 

その姿を背後から迫る娘がいた(笑)。

同時に写してどうするなんですけど。

 

 

美しい建物でしょ?こんなところで本を選べたんですから幸せ者ですわ。

中は艶艶な階段や埃っぽくかび臭い書架があったんですけど、

今はここ使われてないんですね…。がっかり。中に入りたかったのに。

 

当時、娘は騒がずおとなしく我慢して母の本選びを耐え抜いておりました。

今日は○冊選ぶから、それまで静かに待つというのがお約束でして。

図書館は娘にとっては訓練と修行の場所でした(笑)。

 

 

 

孟宗竹 

 

 

旧函館博物館二号

 

 

 

 

 

 

北海池と、

 

 

ひょうたん池。

 

不思議といいますか、

娘は『池はふたつあった』と言い張りまして。

私は『池は一つだったって』と対抗して言い張りまして。

実際現地ではしっかり池はふたつなんですわ。

う~~~ん。自信喪失。どうして覚えているんだなんですけど。

なのに、この池の先にある、いつものお散歩コースで必ず遊んでいた小さな遊具のある公園は覚えていないんですわ。

池二つは覚えているのに、ブランコは覚えていない。

さらに幼稚園の冬の遠足のソリ遊び(函館公園内の坂)で、水筒の蓋が開かなくて、

坂の下のあそこであの場所で悲しくて泣き崩れたと今でも嘆いてますし。

 どんだけ悲しかったんでしょ(笑)←笑うな親だろと言われそうな。

 

 

 

市立函館博物館

 

 

 

 

旧函館博物館一号

 

 

 

星。

 

 

 

昔とほぼ同じコースで歩いてみましたけど、意外と変わっていないのには嬉しい驚きでした。

 

函館公園

 

 


函館護国神社

2011-10-12 23:20:20 | ささやかな小旅行

 

 

昨日の水元の前の道を教会群を背に歩きますと、

ロープウェイ山麓駅、私の住んでいた家がある函館山登山道路、道を挟んで函館護国神社があり、

そこから5分ほど歩くと函館公園があります。

 

護国神社はお参りとは別に、通り道だったんです。境内横道が函館公園への抜け道で、

正門の鳥居をくぐれば我が家へのショートカットとなりまして(笑)。

 

 ・護国神社のお墓と横道と青いワラジムシ

 

では、記憶ポイントの函館護国神社です。

あ、いつものことかもしれませんが、今日はばかな親炸裂しておりますのでご了承ください…

 

 

 

 

汐見坂のつき当たりが護国神社の階段&鳥居です。

当時何度この階段を昇り降りしたことか。

普通に暮らしに生活での通り道だった。

(今住んでたらトレーニングには絶好だったよな…惜しいかも…)

函館の坂で一番思いが深いのがここの坂です。

 

 

…。

函館から札幌へ転勤とその後なるのですが、

住んでいる時にもちらほらとこの護国神社は変化していたのですが、

今回はすっかり昔の品というか、昔はもっと毅然と風格というか威厳というか厳かな空気が流れていたのですが。

まぁ、波でしょか、なんだか私個人の感想ですが…

住んだ当初はレストランではなく古い家(宮司さんだったかな?)だったと記憶しております。

それからすぐレストラン汐見亭だったか、大きな建物と観光バスの駐車場ができ、

今回はまたなんだか変わっておりました。まぁ20年以上経ってますけどね。

ここの手水舎の周りは無造作に車が数台止まっていましたし。

 

 

 

本殿と十字路しかなかったのよ、前は。

あ、引っ越す前年ぐらいに能楽堂が出来たかも。写真右手の建物なんですけど、

今でも能楽堂なのかどうかはわかりません。

 

 

 

無事に育ったことを報告&お礼。

 

 

こんなに幼かったんですから。いやぁ、大きく美しくいい匂いのする娘さんになりましたわ(爆)。

あ、これは七五三の時の写真です。

 

 

 

 もちろん、こんな看板はありませんでしたけど、

年頃の娘さんですので、無視するのもなんですので、

 

 

なでる。

良縁、ゲットだぜ!←ポケモンのようにはいかないんですけど。

 

 

 

 

さて、縁結びじゃなくてお墓なんですけど。

本殿の右横に、お墓があるんです。

箱館戦争の政府側の戦没者(官軍)のお墓がありまして、ここを幼子は覚えていたようで。

ちゃんと案内は出ておりますが…

 

 

 

今回はお墓に刻まれた文字は読んできませんでしたが、

その年齢の若さにツラくなったのを覚えてます。

明るく写っておりますが、実際はここだけ空気が重いといいますか、

ひょいひょい中に入れる場所ではないのは昔と変わらないかも。

で、ここのワラジムシが綺麗な青紫だったんです。

今回は見つけられませんでしたが。

何故なんでしょ、あの色は。場所が場所だけにインパクト強くて、娘もしっかり覚えてた。

ちなみに、

『私の墓好きはここから始まった』と娘は語っておりました。

碧血碑は後日アップいたします。

 

 

 

 

 本殿から赤い鳥居、その向こうが汐見坂。

『横道』と書かせてもらっているのが、中央の交差する道。ちょっと分かりづらいかな。

左へ行くと我が家へ続く函館山登山道路、右へ行くと函館公園への抜け道。

 

 

 

うぉぉぉ。

いやぁ、昔すぎて恥ずかしいですけど、小さいですわ、娘。私の股関節あたり?

横道、十字路ありますでしょ。建物はないですし。

さらにお気づきでしょか。いえ、気づかなくて当然なんですけど、鳥居が赤じゃないのよね。

どうしてこうなったのか。

まぁ、私が嘆いてみてもですけど。

 

 

わからんちんのポーズですが(ボン・クレーっぽい)、こんなに大きく育ったんですねぇ(笑)。

一枚上の昔の写真では豆サイズでしたから(笑)。

 

 

 

これが横道、函館公園への抜け道です。

つき当たりに見えているのが、函館公園。

 

 

 

いやぁ、本当、豆サイズの娘とお手手つないでこの道をこの階段を何度歩いたことか。

…草生えてるなぁ。気にしすぎでしょか。

 

函館護国神社

 

 


元町配水場

2011-10-11 22:30:30 | ささやかな小旅行

 

 あれ?昔住んでいた頃は「水元 みずもと」、もっと丁寧には水元公園と呼んでいたのですが。

今調べると、地図や案内やガイド本では元町配水場となっております。

…水元のほうが慣れ親しんでいるので水元と使わせていただきます。

 

昨日何点か娘の記憶ポイントを載せましたが、今日の水元もそうでして。

・水元のてっぺん 

これですね、水元のてっぺん。

今でもここのてっぺんの景色の夢を年に数回見るのだそうです。

水元に行く度てっぺんまで行っていたわけではないんですけどね。

子供ながらに気持ちのいい場所だったんでしょか。

 

この水元はてっぺん以外にも水遊びしたことを覚えているようで。

函館到着→遅い昼食→観光無料駐車場→水元へGOとなりました。

 

 

 

 

 

 

うわぁ、来たっ。変わってないっ。感激っ。

 

 

 

水飲み場なんですけど、娘は覚えておりまして、

なんと、このライオンまで覚えておりました。

あ、私は全然覚えておりません。

水飲み場があったことは覚えてましたが。

さらに、娘が言うには、

『ここの蛇口から水がどば~っと大胆に出たんだよね』

え?覚えてない。本当?試しにポンプをプッシュプッシュしてみますと。

 

じゃば~~っ、どば~~っとライオンが大胆に水を大放出いたしまして。

 

 

勢いピークは写せませんでした。お口からちょろちょろ。

 

当たりましたわ、娘の記憶的中。正確に覚えているもんなんですねぇ。

あの頃は幼く身長だってお子様サイズですから、

当時の身長を考えると、まさに目の前での大迫力ライオン大放水だったのかも(笑)。

 

真夏の暑い日には水遊びに来ておりました。

水遊びのほかには、てっぺんへお散歩。

意外と水元素通りする方多いような。

眺めいいんですよ、穴場だと思っているのですが。

 

 

 

 

では、水元のてっぺんへ向かいましょう。

 

と。

 

げげっ。行けん。

反対側にもう一本道があるのですが、そこも進入禁止となっておりまして。

ここを登ってゆくと、ずんずん道が狭くなり、森の中を進むと程なくぽこっと開けた広場に出て、

水元の施設とベンチがある静かな気持ちのいい空間にでるんですわ。

そこまでへっこら急な道を登って、へろへろになりながらベンチに座り、風にカラダを吹かれ、

アタマの真上を通り過ぎるロープウェイを見上げてるのが好きだったんです。

気持ちよくて自然と笑っちゃう場所なんです。

娘もしっかり覚えていて、もう1度行きたい、立ってみたいポイントだったんですけどね。残念。

たまたまなんでしょか。今は昔と違って閉鎖してるんでしょか。

いやぁ、残念でした。

 

 

 

途中からでも眺めのいい道があるのですが、伐採作業中でして…

あぁ残念っ。

 

 

 

ロープウェイ山麓駅の斜め向かいにあります。

 

 

これ私じゃないんです。すっごく似ているんですけど違う人ですので。

ロープウェイの向こう側、もう少し高い奥に住んでおりました。

ここ水元と護国神社、函館公園とヨハネ教会駐車場が近い遊び場で、

近い場所ほど覚えているみたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

以上、水元( 元町配水場)でした。

 

 


記憶を歩く

2011-10-10 21:55:55 | ささやかな小旅行

 

 

さてさて。

 

私が小1~小4までの4年間を函館の乃木町に住み、

そのあと6回引越し&結婚・出産、

娘が確か2歳になる頃、函館にまた移ることとなりまして。

2歳から小学2年生まで函館の青柳町に住んでおりました。

 

青柳町といいましても、谷地頭や宝来町に近いほうの青柳町ではなく、

もろ家の真上をロープウェイが行き来する、

水元と護国神社の間、元町との境界ぎりぎりの青柳町に住んでおりました。

…函館山に住んでいたといっても過言ではないといいますか、

お山に登る函館山登山道路の一方通行の道の脇に家がありました(笑)。

 

その後札幌に転勤となりまして。

ちなみにそのあとにもう1度函館辞令がおりるのですが、

娘は高校に入学して数ヶ月の時期(なんて会社だ)、さすがに単身赴任となりましたが、

函館は札幌に次ぎ長く住んでいる町なのです。

 

ご近所はお年寄りばかりで同じ年頃のお子さんはなく、

私が唯一の遊び相手だったんですわ。

あんなに一緒に遊んだのに、きゃっきゃきゃっきゃ笑ってたのに、毎日毎日お手手つないで歩いていたのに、

娘曰く、『あんまり覚えてない…』

幼稚園、小学校と進むにつれお友達も行動範囲もどどんと広がり、

それこそ端は谷地頭、船見、弥生、大町と、娘やお友達の送り迎えにわやだったのに、

『あんまり覚えてないの…』

 

せっかくあの美しく古びた街並みの中で育ち歩き遊んだのに…。

でも私だって小1~小4の記憶はどうよと言われると、

断片も断片でしか覚えて無いかも。

 

たまたま今回まとまった休みが取れまして。

昔歩いた道をもう1度2人で歩いてみましょうかと。

あの幼き日々のメモワールですわ(爆)

 

函館に住んでいた頃は私車を運転してまして、

歩きも車も両方こなしておりましたので、道案内ならまかせてちょでして。

路地の一本一本までは無理ですけど、地図は無くても歩ける町でして。

 

 

いざ。

 

 

しっかしねぇ、年月というのは恐ろしいというか素晴らしいというか、

私の手に足にしがみついて歩いていた幼い娘が、

今度は助手席に私を乗せて函館まで運んでくれるんですから、年をとることってすっごくありません?(笑)。

 

 

 

 

晴れたり強い雨が降ったり。

 

 

 

見えたっ。

 はるばる来たぜですわ(笑)。

 

娘のはっきり覚えている場所や出来事は、

・山んば

・函館公園のクマとの交信

・水元のてっぺん

・汐見坂でコケた

・家の前の坂で犬に追いかけられこの世のものとは思われない叫び声をあげた←事実です

・カラスに襲われた

・碧血碑まで冒険した

・護国神社のお墓と横道と青いワラジムシ

 

大雑把すぎますが大きくこんなとこでしょか。

まだまだ発掘あるある探検隊(合成語か?)になることを期待しつつ、

美しく成長した若き娘さんと、適度に年老いたおばさんは、函館の町の記憶をびしばし歩きだしたのでした。

 

 

 

 


帰ってきました

2011-10-09 09:25:25 | パワーアップな日々 2011

 

昨日、函館から無事(娘の運転で)帰ってきました。

途中ホテルから投稿しようとしたのですが、

持参したPCではなくホテルにあるPCを使ったのがイカんかったでして、

これがどうしようもなく遅くて断念。

 

今日ももう少ししたら行動開始、

秋冬物のお洋服が欲しいそうでおでかけです。

まぁ函館では思いっきり娘を振り回しブン回してきましたので(笑)、

今日は一日娘にブン回されお買い物におつきあいでしょか。

 

写真は953枚となっておりました(爆)。

盛り沢山すぎてこりゃ自滅かなと(笑)。

(そのあと、娘撮影のも貰いまして175枚追加。足すと1128枚っ。おぉ。ど、どうする…)

編集する前に放棄したくなるよな枚数ですわ。

といいつつ、ぱぱっと一枚選んでみました。

 

 

 

 水元です。行く人少ないのかな?

昔住んでいた家のすぐ隣で、夏はここで水遊びをしていた。あ、私じゃなくて幼い娘ね(笑)。

そう、昔住んでいたんです。すんごい場所に住んでいた(笑)。

函館観光というよりは、

どちらかというと個人的な趣味趣向嗜好と、函館の記憶を歩いてくるのが今回の目的でして。

これで1ヶ月は繋げそう(笑)。

いえ、いえいえ。

 

 

 


ミッフィーちゃん

2011-10-04 20:54:54 | パワーアップな日々 2011

 

 

「我が家では朝起きたら妙なものが増えていることがある」なんてことを、

過去に何度か書いたことがあります。

テーブルの上にお菓子や食材だったり、

テーブルの下にマグカップだったり、

ソファーの裏に包丁だったり…

民芸品やミニカーとかどうしたらいいのかわからない人形とか…

全て夫の仕業なんですけど、

何故か商品券は必ず手渡しするんです。あ、こいつ権力かざしてるな(笑)。

いえ、金品だけは手渡しでしょか。

 

日曜の夜、出張から帰ってきたのですが。

その夜は確かに無かったはず。

翌日の月曜日の朝。夫が出社後に気がついたんですけど。

 

ある。

テーブルの下に何か置いてある…

 

 

 

 

げっ。

袋から出してびっくり…

 

 

ミッフィーちゃんよ。それも目覚まし時計。

何故?なにゆえ出張先からこれ持って帰ってくる?

おまけに動いて無いし。

 

ね、何があったんでしょね。

 

それと。

ちょっと数日出かけてきます。

PC持っていく予定ですがアップまでは出来ないかも。

さぁ歩き回ってくるぞぉっ。

走ったほうが速いか(笑)。

 

では。