ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト 【9】

2020年06月22日 | 随想録

【Live Information】


★毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト★
 
 
【9】 ブライアン・ブロンバーグ 「Wood」

 
 いままでの8枚は、音楽が好きで、音楽と長く関わっている自分の音楽観に対して大きな影響を受けたものです。(もちろんゲイリー・カーについては、「コントラバスが奏でうる音の素晴らしさ」についても大きく感銘を受けました)
 振り返ると自分は一応ベース弾きの端くれでして、そうであるからにはひとつくらいは「ベース弾きの自分が影響を受けた、ベーシストによる演奏」をあげてみようと思います。
 
 
 いまのぼくの好きなジャズ・ベーシスト(というよりお手本にしたいベーシスト、というニュアンスの方が近いでしょうか)といえば、
 レイ・ブラウン、ジョージ・ムラーツ、クリスチャン・マクブライド、ニルス・ペデルセン、ジャコ・パストリアス、、、
 しかし、いろんなベーシストの名を思い浮かべるとやっぱりあの人もこの人も、ということになって、結局収拾がつかなくなるんです。ジョン・パティトゥッチ、スコット・ラファロ、チャールズ・ミンガス、ゲイリー・ピーコック、マーク・ジョンソン、バスター・ウィリアムス、ダグ・ワトキンス、デイブ・ホランド、ポール・チェンバース、ロン・カーター・・・etcetc
 その中でブライアン・ブロンバーグというベーシストが2001年に発表した「Wood」というアルバムを挙げておきたいと思います。
 
 
 20年くらい前のことです。
 まだCDショップがあちこちにありました。
 その日もいつものようにCDをひやかしていると、「ブライアン・ブロンバーグ」という聞いたことのない名前のベーシストのアルバムが目にとまりました。ちょっと考えたけれど、CD帯の「私はこのアルバムを聴いて三日間、ひざを抱えてしまいました(都内在住、某ベーシスト)」というキャッチ・コピーに7割がた惹かれ、興味本位で買ったんです。
 
 
 共学でした。
 いや違った、確かにぼくは共学でしたけど、この場合は驚愕でした。
 よく伸びる豊かな低音。
 唸り声のような、凄みのある音です。
 木の感覚が伝わってくるような音色。
 キャッチ・コピーどおりの、コントラバスを弾いているとは思えない驚異的なテクニックのかずかず。
 なにより、グルーヴしまくりのベース・ランニングに、歌いまくりのベース・ソロ。
 すべてが衝撃でした。


 真似したいけどムリ。
 あんなふうに弾きたいけどムリ。
 でもかなり真似ようとしました。やっぱりムリでしたけどw


 ベース弾きとしては、「オマエそれでもベース弾き?」と言われたような気がして、ガックリしたりその凄さに興奮したりと、テンションが上がったり下がったり情緒がひどいことになったwアルバムです。
 もちろん、今でも愛聴盤です。
 憧れと、「いつかはあんな風に」という願望は、ぼくの胸のうちから消えることはないでしょう。




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毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト 【8】

2020年06月21日 | 随想録

【Live Information】



★毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト★
 
 
【8】 キース・ジャレット 「Standards vol.1」

 
 洋楽に本格的に目覚めたのは中学時代。
 そのころロック以外でどんな音楽に夢中になっていたかというと、「映画音楽」と「マーチ」です。
 「映画音楽」なんてジャンルは、今では死語に近い感がありますが、まさに美メロの宝庫なんです。いま一番欲しいCDは、サウンドトラックの「映画音楽大全集」的なものです。久しぶりに浸ってみたいな。
 そして「マーチ」ですが、実はメロディがカッコイイものばかりなんです。(軍を鼓舞するための音楽なので当然なんですけれどね)
 ではそもそも記憶に残っている中で最も古い洋楽というと。。。
 
 
 まだ保育園に通っていた頃のことです。
 午後遅く、ぼくはいつも居間のテレビで天気予報を眺めていました。まだ白黒放送とカラー放送が混在していた時代です。
 記憶の中のぼくは、ひとりきりでテレビの前に座っています。
 バックでたんたんと流れているのは、ピアノで奏でられる美しい曲でした。愛らしく清楚なその曲は、ぼくが天気予報を見るたびに、まるでペンキを丁寧に何度も何度も重ねて壁や家具に塗るように、徐々に濃く心に沁み込み、記憶の抽斗に刻まれました。
 時は20年ほど流れ、大人になったぼくはジャズを聴くようになります。いろんなCDを漁っているうちに、ビル・エヴァンスにたどり着きます。そして女性のシルエットのジャケットで有名なアルバムから優しく可愛らしいワルツが流れてきた時、眠っていた記憶が甦りました。あっ!と思いました。
 保育園の頃テレビから流れていたあの曲は「ワルツ・フォー・デビイ」だったんですね。
 これがぼくのいちばん古い、ジャズ、いや洋楽にまつわる記憶です。
 
 
 音楽の原体験という意味では、エヴァンスの影響がないとは言えないでしょうね。
 そのおかげかどうか、エヴァンスはもちろん、ドン・フリードマンやミシェル・ペトルチアーニなどのリリカルな白人ピアニストは大好きで、いつしかあんなジャズを演奏してみたいと思うようになりました。
 
 
 そしてキース・ジャレットです。
 ゲイリー・ピーコック、ジャック・ディジョネットと組んだトリオは「スタンダーズ」と呼ばれ、数多くのスタンダード・ナンバーを彼らの感性で蘇らせました。
 その中で体の奥から感動したのが、「Standards vol.1」に収められた「God Bless The Child」です。
 初めて聴いた時から気持ちを激しく揺さぶられました。文字通り虜になりました。
 自分の気持ちを代わりに音で表現してくれたような気がする不思議な感覚、あるいは自分の内面に潜んでいる音楽の指向を引き出されたような感覚、と言ったらいいのでしょうか。
 ゴスペル・ロック風のアレンジと、三人の渾身のソロは、いまだに聴くたびに胸をアツくさせてくれます。
 CDのクレジットでは15分32秒の長尺ですが、長いと感じたことは一度もないですね。「Let It Be」や「My Back Pages」などと並んで、間違いなくぼくは死ぬまでこの曲を聴き続けるでしょう。
 
 
 リリカルな演奏とゴスペル・フィーリングの、極上のブレンドです。
 自分もいつもこんな演奏ができたら、と憧れています。






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毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト 【7】

2020年06月20日 | 随想録

【Live Information】



★毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト★
 
 
【7】 シカゴ 「シカゴの軌跡/Chicago Transit Authority」

 
※ハチくんはイライラしているわけではありません。夢中になって布を噛んでいるのです。なにせ布切れ(タオルとか)をカミカミするのが大好きな奴でして。問題はいま噛んでるのはぼくの気に入っているシャツだということです。。。(> <;)
 
 
 ぼくの中学時代は、ベイ・シティ・ローラーズが飛ぶ鳥を落として焼き鳥にして食ったうえにビールまでが付いてきたという、凄まじい人気を誇っておりました。そしてクイーン、キッス、エアロスミスらが日の出の勢いでロック界に旋風を巻き起こしておりました。
 世はイーグルスのメガ・ヒット「ホテル・カリフォルニア」に席捲され、パンク・ロックの出現で大騒ぎだったですね。
 
これらはいわば「ロックの王道」を行くものばかり、オールド・ロックに対して批判的だったパンクにしても、「反体制」という意味ではまさにロックの本質そのもので、「原点回帰」ともいえる動きだったと思います。
 
 
 高校のとき、倉敷の「音楽図書館」に出入りしてました。今の文化センターの2階です。
 所蔵のレコードからリクエストして、ヘッドホンを使って無料で聴くことができる、夢のようなところです。(圧倒的にクラシックが多かったですが)
 お目当てはビートルズの「青盤」(後期のベスト・アルバム)と、クイーンの「シアー・ハート・アタック」だったのですが、ある時その両方ともが先にリクエストされていたんですね。しかたなく数少ないロックのレコードから単に時間つぶしで選んだのがシカゴの日本編集ベスト・アルバム「栄光のシカゴ」でした。
 バンドの名前くらいしか知らなかったんですが、ホーン・セクション入りというところに少し興味を覚えたんです。
 
 
 管楽器入りの音楽といえば、クラシック、ジャズのビッグ・バンド、吹奏楽くらいしか知らなかったぼくにとっては、まさに初めて味わう未知の世界でした。
 ブラス・セクションの攻撃的でゴリゴリなアンサンブルにまず驚き、ブルージーでロック・スピリット丸出しのギターに惚れ込み、音数の多い派手なベース・ラインにシビれ、他のロック・ドラムとは多少毛色の変わったジャジーでテクニカルなドラムに魅かれ、といった具合です。
 もちろんロック・バンドとしての力量・存在感も大きかったですね。
 曲も、ハード・ロック、ジャズ・ロックはもちろん、ポップなものからウエスト・コースト風味のものまでとても幅広く、その後は音楽図書館へ行くたびに「栄光のシカゴ」を聴くようになりました。
 
 
 ロックは様々な音楽性を取り込める懐の深さがある音楽だと思うんですが、いわゆる「ロックらしいロック」「ロックの王道」「ティーンズ向けロック」以外の、他の音楽の要素を大胆に吸収昇華したロックはシカゴが初めてでした。
 また積極的に歌詞に政治的・哲学的メッセージを盛り込んでいたところも「オトナなロック・バンド」としてぼくの目に映っていました。
 
 
 もちろん後年ファースト・アルバムから順に買っていくんですが、最初に買ったのが「シカゴの軌跡」。
 デビューした1960年代後半から1970年代半ばくらいまでのシカゴの音楽は、「ブラス・ロック」と言われていましたが、そのブラス・アンサンブルは、どうにもこうにもカッコよかったですね。
 1曲目の「イントロダクション」は文字通りシカゴの音楽性が詰まった名刺代わりの曲。すごくパワフルで、まさに激動の60年代、って感じの曲です。高校3年の時、卒業を前に岡山倉敷の高校3年を主体にしたビッグ・バンドが組まれ、ぼくもベースで参加させてもらったんですが、苦心してこの曲を演奏したのもいい思い出です。
 
 
 ジャンルの好き嫌いなく、クロスオーバー的にいろいろな音楽をまたぐことに全く抵抗を覚えたことがないのは、早い段階でシカゴの音楽に出会ったからだ、と自分では思っています。これが音楽にかかわっていくうえでどれだけ助けになったか。
 
 
 ベース弾きの端くれとしては、ピーター・セテラは憧れのひとりでした。その手数の多い派手なベースには、ジャック・ブルースやティム・ボガートと並んで明らかに影響を受けました。
 おかげでぼくも手数の多いベーシストに育ち、多少チヤホヤされるようになりましたが、ちゃんとした音楽観を持った方々からはよく「ウルサイ!」と言われましたね~ 
 それでも目立ちたいだけのぼくはお構いなしで弾きまくり続け、ナニが良くないのかサッパリ分からないまま月日は流れ、なぜ先輩方に喧しいベースと思われていたかに気づくのにその後何年も何年もかかったのでした。(- -;)




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毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト 【6】

2020年06月19日 | 随想録

【Live Information】


★毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト★
 
 
【6】 ダニー・ハサウェイ 「Live」

 
 遊びというものは真剣にやらないと面白くないので、こういうバトンであってもいろいろ考えながら文章を作っております。
 そういうわけで、このバトンのタイトルにある「影響」という言葉をどうとらえるか、というところから改めて考えてみたんですが、「影響を受けた=好き」ではあるけど、必ずしも「好き=影響を受けた」ではないんじゃなかろーか、ということに思い至っております。
 好きである以上なんらかの影響は受けているんでしょうけれど、このバトンでは、自分の価値観や音楽観を変えるくらいのインパクトを受けて「影響された」と言える、ということにしようと思います。
 
 
 英米のポピュラー・ミュージックって、ルーツが黒人文化にあるものが多いです。
 
ジャズしかりロックしかりブルースしかり。
 20代くらいの頃というのは、ブルースというとエリック・クラプトンやマイク・ブルームフィールド、オールマン・ブラザーズなどなど、ジャズといえばビル・エヴァンスだったりキース・ジャレットだったり、ソウル系ならばホール&オーツとかライチャス・ブラザーズ、というふうに、黒人音楽を白人が(リスペクトして)演奏したものばかり聴いておりました。
 黒人が演奏する黒人音楽には独特の「体臭」みたいなものがあって、当時のぼくには濃すぎたんですね。
 
 
 子供の頃って、ピーマンなんて食べなくても人生になんの影響もないと思ってるし、ブラックコーヒーも苦いばかりだから砂糖とミルクは必ずしこたま入れるし、多少コーヒーっぽくあれば絶対にコーヒー牛乳や缶コーヒーの方を選んでいましたね。
 ところがいつしか野菜炒めにピーマンがないと物足りなく思うようになるし、缶コーヒーと豆を焙煎したコーヒーでは全然香りが違う、というのが分かってきます。
 なにが言いたいかというと、黒人が自らのルーツである音楽を演奏するのは濃くて当たり前、最初はその濃さが苦手でも、だんだん自分がそれに馴染んできたんではなかろうか、ということです。
つ まり、オトナになってピーマン入りの野菜炒めの方が味に幅が出るのに気づくとか、コーヒーに砂糖とミルクを入れてわざわざコーヒーらしさを薄めてそれをおいしいと思っていただけではなかろうかということに気づく、ってことに似ていると思うのです。
 
 
 そういう意味ではスリー・ドッグ・ナイトというロック・バンドには音楽的な垣根を取っ払ってもらったかもしれません。
 このバンドは黒人音楽をリスペクトする白人6人+黒人1人の7人編成です。いわばぼくとR&B系音楽を「とり持ってくれたバンド」です。
 ぼくは「Old Fashioned Love Song」や「Joy to the World」で彼らが好きになり、どんどん聴き漁っていくうちに「Try a little tenderness」に出会いました。ブラック・ミュージックをリスペクトしているだけあって、スリー・ドッグ・ナイトの「Tenderness」の黒っぽさがたまらなく好きだったのですが、それでもオーティス・レディングが歌うバージョンは、まだ自分には濃すぎて馴染めなかったんですね。
 そういうところをガラリと変えてくれたのが、ダニー・ハサウェイの「Live」です。


 このアルバムは、R&Bの領域に限らず、ポピュラー音楽全体の中でもひときわ輝いている逸品ではなかろうか、と思っています。
 ファンキーなグルーブと演奏の楽しさカッコよさはもちろん、いわゆる「ソウルフル」な歌声、ステージと一体感を持っている客席の熱気、どれをとっても理屈抜きにアツくなれます。
 ベース弾きのはしくれとしては、「Voices inside」におけるウィリー・ウィークスのベース・ソロの流れや盛り上げ方にはノックダウンされました。絶品としか言いようがないのです。
 
 
 わかりにくくて長い前置き(汗)ですが、黒人が演奏する黒人音楽に対して抱いていた苦手意識をきれいに拭い去ってくれ、その楽しくアツい世界に引っ張り込んでくれたのがダニー・ハサウェイの「Live」なのです。


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毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト 【5】

2020年06月18日 | 随想録

【Live Information】


★毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト★
 
 
【5】 ゲイリー・カー 「甘き死よ来たれ/Gary Karr Plays Bach」

 
 クラシックを通過せずにコントラバスをはじめた人(例えばぼくとか)の憧れというか目標のひとつは、やはり弓(アルコ)弾きができるようになることでしょう。
 
 
 もともとジャンル分けというものは「CD棚を整理する時に使うもの」くらいにしか考えていなかったし、自分以外の他ジャンルの人に対してマウントしようとする人をたくさん見てきたので、「ジャンル分け」にはなるべく近寄りたくありません。(^^;)
 自分の好きな音楽は「ジャンル」ではなく、「好きな曲とそうでもない曲」があるだけなので、実は子供のころからクラシックも好きだったりするのです。
 ただ詳しくないだけで、好きな曲はいっぱいありました。
 だからコントラバスを手に入れた時、当然弓もいっしょに買いました。
 初心者の弓の音って、それはそれは悲惨なものです。(断っておきますが、「自分が」ではなく、「周囲にとって」ですw もはやあれは「騒音」「雑音」の域ではありません。自分の音を聞く自分ですら体調がおかしくなりますwww)
 人前で弾けるようになるまでに相当な時間を費やしましたし、人前で弾くようになったからといってうまかったわけではないので、失笑を買ったことも幾度かあります。(- -;)
 
 
 弓で弾くことのメリットはとても大きいです。
 ぼくの場合、そのひとつが音色に対する意識の変化でした。
 知識はいま音楽雑誌やネットその他にあふれているので、頭に詰め込むことは簡単ですが、自分の音色の基準は本当に良い音色を知らなければ上げることはできないんじゃないかな、と思います。
 
 
 京都のベーシスト、中嶋明彦さんの弓での演奏が大好きです。
 中嶋さんが参加している関西のユニークなジャズ・グループ「Freedom Jazz Sprits」の「In a sentimental mood」におけるアルコ・ソロはそれこそ好きすぎて、いまだにああいうふうに弾けるようになりたい、と心の中で追いかけ続けています。(全く追いつけません
 
 
 その中嶋さんに教えてもらったのが、クラシックのコントラバス奏者、ゲイリー・カーの名前です。
 すぐにCDショップに探しに行きました。世界的コントラバス奏者らしく、クラシックの棚に何枚も置いてあったので、大好きな「G線上のアリア」が入っていた「Plays Bach」を買ったんです。
 弓で弾くことに対する憧れをふくらませてくれ、音色に対する意識を大きく変えるきっかけになってくれたCDです。
 ふくよかで、太くて、それでいて穏やかでほのかに甘い音色は絶品です。
 何度も何度も聴きました。


 良い音色を意識するということは、逆説的に言うと、音楽についての価値観が変わることだと今では思っています。
 そこに気づかせてくれた、忘れられないアルバムです。


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毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト 【4】

2020年06月17日 | 随想録

【Live Information】


★毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト★
 
 
【4】 ウェザー・リポート 「8:30」

 
 ベースの使命といえば、ひとつは「グルーブすること」です。
 ところが、この「グルーブ」というヤツが曖昧模糊としていて、まるで雲をつかむような話で、かつてはずいぶん悩まされたものでした。(では今はちゃんと出せているかというと・・・汗)


 リズム譜どおりに弾けばグルーブするというわけでもなかったし(当時はニュアンスとか歌い方という意識があまり頭になかったのです汗)、小言をくださる方々はいわゆる「何かを上から言いたい・教えたい」タイプばかりで、結果論のダメ出しはすれど建設的アドバイスなんてされたことがなかったですね。そればかりか今になって思えば「?」な知識を吹き込むもんだから、こんがらがるばかり、時には逆ギレしそうになったことも。。。
 
 
 ロックではジャック・ブルースとかティム・ボガート、あるいはピーター・セテラ(シカゴ)やジョン・エントウィッスル(ザ・フー)、メル・サッチャー(グランド・ファンク・レイルロード)などの、派手だったり音数が多かったりするタイプのベーシストが好きでした。
 でも、ロックの感覚のままでジャズを弾いても、当たり前ですが、全然ダメでした。
 まあ弾きまくっていれば誰かが「すごいね」「変わったタイプだね」と持ち上げてくれるので、目立てば満足だったぼくは、そういったことで弾けた気になっていました。
 
 
 8ビート系、16ビート系、ファンク系ではっきり「これがグルーブなのか!」とグルーブ感というものをわかりやすく教えてくれ、ぼくのグルーブに対する意識を変えてくれたのは、ジャコ・パストリアスです。
 グルーブって、生き物だし、歌なんだ!と思いました。
 ジャコのプレイといえば、ご多分にもれず「チキン」。
 「チキン」を聴きたいがために「バースデイ・コンサート」はよく聴きました。ピーター・アースキンとのコンビネーションの素晴らしさはタメイキものです。
 また、ジョニ・ミッチェルのライブ「シャドウズ・アンド・ライト」の中に収められている有名なジャコのベース・ソロにも衝撃を受けましたが、ジャコのグルーブを存分に味わいたいときは、ぼくとしてはなんといってもウェザー・リポートのライブ・アルバム「8:30」ですね。まさに強力なグルーブの洪水です。勝手に腰がうねってしまうんです。
 ブライトで粒だちのはっきりした音色で繰り出すフレーズの数々は、まさに「ベースを歌わせている」ジャコならではの音楽です。
 
 
 それからは、エイブラハム・ラボリエル、ウィリー・ウィークス、チャック・レイニーなどのベーシストの演奏にも惹かれるようになりました。
 ジャコをはじめとした彼ら(いわゆるグルーブ・マスター)の演奏には、今だに目も耳も釘付けです。


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毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト 【3】

2020年06月16日 | 随想録

【Live Information】


★毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト★
 
 
【3】 コジカナツル 「Kojikanatsuru3」

 
 もちろんこれはジャズに限ったことではないのですが、音楽の重大な魅力のひとつは「別世界(あるいは非日常)へのトリップ」なんじゃないかな、と思っています。
 もう少し突っ込んで考えてみると、その別世界へ連れて行ってくれるのは音楽家の「熱さ」だとか「遊び心」なんでしょうね。
 
 
 若かりし頃は、「アップテンポ」「速弾き」「大音量」といったことだけでもテンションが上がるものですが、ぼくの思う「非日常」は、そういうこととはちょっと違っていて(もちろんそれらを含むことはあります)、そこにはミュージシャンの気持ちや伝えたい音が色濃く存在するのです。
 
 
 やっぱりそれなりの力量を持つミュージシャンたちは、それぞれに聴衆を別世界に連れて行けるだけの実力とエネルギーを持っていて、それを味わうのがライブの大きな楽しみなのです。 
 自分ならではの表現、つまり自由度が高いジャズには「遊び心」から発する音楽がより現れやすいんじゃないかな。
 
 
 ジャズを始めた頃は、「とっつきにくくわかりづらく、ロックに比べると興奮度もたいしたことない」なんて思っていました。
 あったのは、「人前でライブができる」、あるいは「女性に接する機会が多いかも」といった、音楽以外の興味だけだったな。
 
 
 そのうちジャズならではの熱い演奏、遊び心に満ちた演奏に徐々に出会い、楽しさ面白さに惹き込まれるようになりました。
 例えば、佐山雅弘(piano)さんの演奏。大坂昌彦(drums)さんとのライブを聴きに行ったことがありますが、その時に聴いた「Swinging on the Star」は忘れることができません。
とくに佐山大坂の両氏によって繰り広げられた4bars(4小節ソロ交換)は激しく熱く、そして抱腹絶倒。必死の形相で演奏するふたりの音はあまりにも凄まじくあまりにもユーモラスで、客席は爆笑と喝采の渦でした。演奏だけであんなに人を笑わせられるのか、とある意味衝撃だったなあ。
 
 
 「100 Gold Fingers」で聴いた、ジーン・ハリスとロジャー・ケラウェイのツイン・ピアノもいまだに大好きです。
グラディ・テイト(drums)とボブ・クランショウ(bass)という歴戦の強者を従えて「Splanky」というブルースを演奏するんですが、これがまたふたりの自由な魂が触発しあった、ブルージーで、アツくて、明るくて、ユーモアたっぷりの演奏なんです。


 
 
 熱さとディープな空気の奥底知れない大きさを感じさせてもらったのが、小島良喜(piano)、金澤英明(bass)、鶴谷智生(drums)からなる「コジカナツル」です。
 ジャズの枠組みにしばられない、スケールの大きなピアノ・トリオです。
 1stアルバムから大好きで大好きで、何度かライブも行ったけれどそのたびに楽しさと凄さでボーゼンとなって帰途に着くんです。
 2006年の京都RAGでのライブは、多田誠司(sax)、Shiho(vocal)の両氏がゲストで、たいへんな盛り上がりようでした。その時は打ち上げも同席させていただきましたが、演奏同様アツい金澤さんといろいろ話し込んで自分の未熟さが恥ずかしくなったり、逆に元気が出てきたり、と思い出深い夜でした。





 この「Kojikanatsuru3」のラストを飾っているのは、ボブ・ディランの書いた「My Back Pages」。
 この曲、いやこの演奏がもう好きすぎて、「My Back Pages」だけを繰り返し繰り返し聴いているうちに夜が明けてしまったことがあります。
 いつだったか「ぼくがあの演奏をいかに好きか」「あれは今まで聴いたMy Back Pagesの中で最高の演奏である」、と恥ずかしげもなく金澤さんに力説したことがありました。
 金澤さんは「あれは抜群にいいだろ?」と力強く言っておられました。ぼくが、あのMy Back Pagesだけを聴いていて夜明かしをしてしまったことがあるという話をすると「ホントかよ~」と言って相好を崩しておられましたが、本当にぼくはあの熱さとスピリットに、いまだに参ったまんまなんです。
 
 
 「Kojikanatsuru3」は、どうにかしてこの熱さを自分も発したい、と「熱さ」を音楽のいち要素として再認識させてもらったアルバムですね。




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毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト 【2】

2020年06月15日 | 随想録

【Live Information】


★毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト ★

  
【2】 ガッド・ギャング 「The Gadd Gang」

 
 高校に入ったぼくは、「これはきっとモテるはず!」というだけの理由でドラムを始めたんですが、なんとしたことか、1年の3学期には半ばしぶしぶベースを弾くハメになります。
 ところがベースを始めて数か月くらい、高校2年の時に縁あってジャズのビッグ・バンドに入ることになり、人様の前で演奏するようになりました。
 だからぼくはジャズが好きでジャズを始めたわけではないのです。
 
 
 それでも時々「君うまいね!」とか「すごい」とか言われることがあって、それが生意気な態度に拍車をかけていたんだと思います。(まあ今でも態度が大きいことに変わりはありませんが
 当時は、音楽がどうのというより、自分が目立つことの方が大事だったんです。要するに、人前で演奏できる自分のことを得意がっていただけだったんですね。
 
 
 そんなわけで、当時一緒に演奏する機会のあった大先輩がたからはよくお叱りを受けました。
 まだ本来の意味のキャバレーが数軒残っていたころです。
 
キャバレーのバンドで長年演奏している大先輩がたの演奏は、さすがに当時のぼくなんかでは太刀打ちできないものでした。
 当時よく文句を言われていたのは「スウィングしろ!」ということ。
 クソー!と思って頑張って弾くんですが、なにをどう弾いても「アカン」「ダメ」「音が短い」「走る」「遅れる」「態度がデカい」「勉強しろよ歯みがけよ」等々文句を言われるばかり。4ビートのグルーブというのが全然わからなくて、悶々としていました。(いま思うと単なる練習不足。おまけに4ビートだけじゃなく、得意だと思っていた8ビートや16ビートも分かってなかったですね)
 
 
 そういう時に、スティーブ・ガッドがリーダーのバンドのアルバム、というだけで買ったCDが「The Gadd Gang」でした。
 「The Gadd Gang」は、スティーブ・ガッド(drums)を筆頭に、コーネル・デュプリー(guitar)、リチャード・ティー(piano, keyboard)、エディー・ゴメス(contrabass)、ロニー・キューバ(bariton-sax)という、泣く子も黙り地頭も踊りだす、という名匠が集まったスーパー・グループです。
 このアルバムの1曲目はボブ・ディラン作の「ウォッチング・ザ・リバー・フロウ」ですが、これがR&Bの香りがするゴキゲンな4ビートなんです。
 当時のぼくにとってはこの曲の4ビートが実に分かりやすく、初めて「これが4ビートのグルーブなんだ」というのをはっきり感じることができたんですね。
 グルーブ感を実感させてくれたことは、明らかに自分にとってのターニング・ポイントだと思っています。
 
 
 この頃になってやっと自分の耳が4ビートに馴染んできたんでしょう。レッド・ガーランドの「Groovy」をはじめ、ケニー・ドリューやウィントン・ケリー、オスカー・ピーターソンのアルバムをたくさん聴いて4ビートのグルーブをさらに体に沁み込ませようとしたものでした。
 グルーブする感覚がちょっとわかってくると、ジャズを演奏するのがちょっと楽しく感じられるようになりましたね~



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毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト 【1】

2020年06月14日 | 随想録

【Live Information】

 
 
 ジャズバーGROOVYの洋子ママより、facebookでのバトン「毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト」のご指名いただきました。
 おそらく「世の中『自粛自粛』でヒマができたから、その持て余しているヒマを楽しく使おう」という趣旨ではじまったものなんじゃないかと推測してますが、洋子ママからは「自粛云々は別として貴殿が影響を受けたアルバムがなんであるか興味があるのでゼヒ」、ということなので、長いだけでありきたりな内容になるとは思いますが(しかもジャズだけではないと思います)、facebookで書き綴ったものを転載します。


 - ☆ - ☆ - ☆ - ☆ - ☆ - ☆ - ☆ - ☆ - ☆ - ☆ - ☆ - 
 
 
★毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト★


【1】 ビートルズ 「1967~1970」(通称:青盤)

 
 あれは忘れもしない小4の冬。
 「遊びに来ん?」と誘われて、学校の帰りに行った友だちの家。
 部屋でダベったりゲームしたりがひと段落して、もうじき日が暮れるというとき、そいつが「うちの兄ちゃんのレコード、聴かせてやろうか?」と言ったんです。
 かけてくれたレコードから流れてきたのは、ピアノによるシンプルなイントロ。
 
 
 部屋は夕陽でオレンジ一色に染まっています。
 その、窓から夕陽が見える部屋に、おごそかに響くピアノと、甘いんだけどどこか感傷的な歌声。
 この瞬間、ぼくはそれまで音楽にほとんど興味がなかったにもかかわらず、「いつか必ずこの曲をピアノで弾いてみたい」と決心したのでした。
 
 
 ぼくの心を一瞬で捉えたこの曲は、「レット・イット・ビー」です。
 かけてくれたレコードは、「青盤」という通称で知られている後期ビートルズの2枚組ベスト・アルバムでした。
 そして、これが「ロック・ミュージック」というものに生まれて初めて触れた日でもありました。
 この体験は、今でもその情景をありありと思い浮かべられるくらい衝撃的でした。
 おかげで一生音楽と離れられないだろう生活を送っています。
 シアワセなことだと思っています。
 
  
 そして月日は流れ、中学3年の3学期。
 音楽の授業の最後の試験の内容は、「誰と組んでもいいから、好きな曲を演奏すること」。
 すぐさま友人K君を誘い、「レット・イット・ビー」をやることに決めました。 
 もちろんぼくはピアノを弾くつもりです。でも相変わらずまったく弾けないままです。
 田舎の中学のこと、ギターのコードをジャカジャカ弾くことのできるヤツすら学年で数人程度、カゼならひくけどピアノを弾く男子なぞ皆無でしたが、レット・イット・ビーをやるならどうしてもピアノを弾きたかったのです。
 
 
 そして、音楽の先生へお願いに行きました。
 「レット・イット・ビーをどうしても弾きたいんです。ピアノを教えてください」
 音楽の授業というと、男子は「いかにふざけるか」がテーマみたいな年頃なので、その中のひとりだったぼくが放課後の職員室に現れたものだから、先生は最初かなり不審げだったんですが、本気で頼むと快くOKしてくれました。
 「ただしビートルズのレコードどおりに弾くのは時間的にみてムリだから、簡単な方法を教えてあげる。」
 たまたま姉が習っていたおかげで、家にはエレクトーンがありました。
 夜中にヘッドホンをつないで、結構練習を頑張ったんです。
 おかげで、最後の試験は無事に弾き終えることができました。
 
 
 どういう縁か、いまではピアノではなくてベースを弾き続けていますが、音楽に浸ったまま人生の終盤を迎えられているのは、小4の時にふとしたことで「レット・イット・ビー」を聴いたからなのです。

 

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最後の花道

2020年04月29日 | 随想録

                                             △東山峠の桜


【Live Information】


 毎年のこととはいえ、息つくヒマもない年度末年度始めです。
 押し寄せてくる業務のおかげでケツに火がつく二歩手前と言いますか、ケツが焦げ始めて煙が立ち昇っていると言いますか、なんにせよ先週も今週も土日返上でアタフタしどおしです。
 それに加えてのウイルス騒ぎでゆっくりと周りを見渡すことすら忘れていましたが、気づけば桜も満開、天気もいいし、せめてのどかな春を楽しまねば、と思います。
 

 4月2日は実母の7度目の命日でした。
 ぼくの家はいろいろ込み入った事情があって、2歳の時に実母は父と離婚して家を出ました。
 成人してから数年ほど一緒に暮らす機会はあったけれど、母は子育ての経験がほぼないのでぼくとどう接したらいいかわからず、ぼくはぼくでとてもムズカシイ頃だったので、よくぶつかり合ったものです。
 母にはとてもとても心配をかけたのですが、やがてぼくも真人間に立ち返りw(本当にぼくはムチャクチャなことばっかりしていましたから。。。)、ようやく母を安心させることができたのがせめてもの救い、ですね。
 医療ミスのため、母は最後の3年ほどは意識がなかったのですが、7年前の4月2日に亡くなりました。
 その日も桜は満開でした。
 葬儀の打ち合わせ、各所への連絡、親族への挨拶、喪主としての務めなど、いろんなことに追われて母について何か考えたり思い出に浸ったりする間なんてありませんでした。
 
 
 それでもなんとか無事に葬儀を終え、斎場へ向かいます。
 車は東山峠を通ります。
 道沿いには、たくさんの桜が満開でした。
 素晴らしかった。
 実に見事に咲きほこっていました。
 それを見た瞬間、清々しさで気持ちがいっぺんに晴れやかになりました。


 それは、いろんな苦労をした母の最期の花道、あるいは意識がなくなるまでずっと油絵を描いていた母のフィナーレにこれ以上ない演出、という気がして、悲しさよりも、もし神さまがいるならその粋な計らいがとても嬉しかったんです。
 ただひとつ、霊柩車の助手席から見ていると、道行く人のほとんどが親指を内側に折って手を握るのですが、それがなんともイヤでした。自分の身内を送る時そういう風にされたらどう思うのか、人の死はそんなに不浄なのか、と。
 でも今は「そうしてしまうということは、身内を大事に思っていることの現れなんだろうなあ」と心から思えるようになっている自分がいます。
 自分はなんやかんやつまづきどおしだと思っていたけれど、そうでもなかったんだなあ、ときょうやっと思えました。
 
 
 休日出勤のあとはハチくんと桜を見に行きました。
 まず、いつも行く桜が何本も植えてある公園へ。
 次に、山際の裏道沿いの小高いところにある公園へ。
 見下ろす岡山市街の風景と、満開の桜と、早めの鯉のぼり(どなたが上げてくださったのでしょうか。粋ですね~)が溶け合った景色が見られて最高でした。
 もちろんハチくんは相変わらず「花より団子」派ですがw  (^^;)


 

 

 

 

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クリームソーダとドラマーと

2019年12月03日 | 随想録

 【Live Information】


 観光客でごった返す日曜の倉敷美観地区。
 この話はその美観地区でぼくが体験した、世にもちっちゃいお話ですw   


 この日のぼくは、夜に倉敷市のライブに出演することになっておりました。
 ライブ前、ぼくは夕方近くの美観地区を歩いておりました。
 両耳にイヤホンを突っ込んで歩いていたため、周囲の音に鈍感になっていたと思ってください。
 美観地区内の、そうでなくても狭い道が、道の両側の人混みのために、さらに狭く感じました。
 ぼくは音楽を聴いていたので、後ろから来た黒い車に気づいていませんでした。
 道の両側ともたくさんの歩行者がいたので、必然的に車と歩行者の間は狭くなります。いわゆるギリギリ、ってやつです。
  「おっと (゜□゜)!」


     


 黒い車を運転していたのは、髪の毛のない髪型とでもいうか、いわゆる丸坊主で、ヒゲが印象的な、イカツイ感じの方でした。
 と思うや否や、通り過ぎたその黒い車がバックしてくるではありませんか!(((;゜д゜)))))
 さっき車がぼくの横を通り過ぎた時、ぼくは無意識にメンチでも切ったのか・・・! ゴメンナサイゴメンナサイィィ・・・
 と思ってオソルオソル視線を向けると、そこにいたのは日本を代表するドラマーのひとり、江藤良人さんだったのです
 江藤さん、今夜は倉敷アベニュウでライブなので、機材を降ろすところだったのです。ホッ。    


 ちょうどそのアベニュウで、近ごろお店の新名物として名高い「クリームソーダ」をいただいてから自分のライブへ行こうと思っていたので、そのあとぼくも店内に入りました。
 お目当てのクリームソーダを頼み(今日はイチゴにしてみた)、喜びいさんでまずソーダを飲もうとストローを吸ってみると、みると、、、
 吸えない。一滴も吸えない。
 一滴どころか空気も吸えん。
 ・・・と思ったら、ぼくはストローではなく、マドラーを吸っていたのでした。
 ニヤニヤする江藤さん。
 江藤さんって、とてもフランクで自然体な方なのです。


         


 そのあと仕込みの終わった江藤さんとクリームソーダで乾杯です!
 満面の笑顔のオジサンふたりがクリームソーダで盃を交わす日曜の午後。www


        
 

 自分の演奏が終わった後、やっぱり江藤さんのドラムが聴きたくて、アベニュウへ向かいました。
 すごい!めっちゃカッコいい!
 共演している明人くん(bass)と村山くん(piano)の演奏も
 ず~っと以前に一緒の職場だったヤスコちゃんが偶然客席にいて、久々に話せたのも楽しい偶然でした。
 自分のライブでのピアニスト、スズちゃんとの演奏も楽しかったし、そこにわざわざ仕事中に時間を割いてピアニストの佐藤くんが来てくれたし、
 つまりはとってもいい夜だったってことです。


     
     セッションとなったので、2曲弾かせていただきました。うち1曲はベース2本+ピアノ+ドラムでブルース。

     
     見えないグラスの見えないクリームソーダで乾杯。


     
     ライブ後に。



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よく遊ぼう

2019年11月24日 | 随想録

 【Live Information】


 今日は遊ぶ日である。
 といっても遊ばないと決めている日なぞない。
 結果、遊ばなかった日があるだけであるw


 なぜ今日を遊ぶ日と定めたのか。
 ひとつ。
  「遊ばない」と決めていないからだ。
 ふたつ。
  あまりにも天気が好いからである。


 秋の、午前の、青空があまりにも気持ち良かったので、中国地方の柴犬界で可愛らしさ五指に入ると言われている(はずのw)愛しいハチくんとともに、まずは朝から秋の曹源寺の空気をたっぷり吸いこんだ。
 この空気は、はっきり言ってMDMAよりも清々しく平和な気分になれる。MDMAを試したことはないけれどw


          

          

          

          


 午後から表町界隈へ出かけ、来年の手帳を買う。
 iPhone のカレンダーとメモ帳を使っているにも関わらず、だ。
 iPhone に入力し、手書きでメモ帳に記す。
 われながら二度手間だと思うが、物忘れがどうのではなくて、たぶん自分は書くことが好きなのだ。  


             


 そして今日は夜更けまで夜遊びをする予定だ。
 いや「予定だ」はいらんかったw
 遊びすぎであろうか。
 今日は遊ぶ日だから仕方がない。
 それもこれも、今日はあまりにも天気がよすぎるせいなのだ   


 人生よく学び、よく遊ぼう





 夜遊びの結果 

           Hello Kitty Project (岡山Desperado)

          

           きどよしこ&幸重洋平、Mayu (岡山ピアノ・バー)

          

           
          中井幸一(trombone)、中務敦彦(tenor-sax)、美淋つゆ子(organ)、石川翔太(bass, flute)、河原達人(drums) (岡山服部管楽器・楽器BAR)




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第11回倉敷ジャズストリート

2019年11月05日 | 随想録

【Live Information】


 倉敷で演奏のある日は早めに出かけて、鶴形山に上がります。
 ここのところの慣わしです。
 景色を眺めたり、神社やお寺の境内をぶらぶら歩いたり、ここで遊んだ(ワルさばかりしていた)子供のころを思い出したり。そんなことをしているうちに、とても澄んだ気持ちになってゆくのが自分でも分かります。
 よく晴れた秋の、午前中の静けさとやわらかな眩しさ。11月第1土曜の朝に味わうこの雰囲気は格別です。



鶴形山中腹にある観龍寺。秋の朝、ここで過ごす静かな時間が大好きです。








観龍寺から臨む倉敷市街


 毎年11月の第1土・日曜には、倉敷市の美観地区およびその周辺で「倉敷ジャズ・ストリート」が行われています。
 倉敷ジャズは、ぼくにとっては「やっぱり自分は倉敷の子なんだ」ということを思い出させてくれる日です。
 そしてその気持ちは年々強まってゆきます。
 不思議なものです。倉敷で生まれ育ちはしましたが、もう人生の3分の2は倉敷ではないところに住んでいるのに。。。
 そしてもうひとつ言うと、(とくにミュージシャンとしての)自分の在り方を自然に省みることができる日でもあります。    


 今年は、倉敷ジャズの会場のひとつである「倉敷物語館」に用意された特設ブースから放送されるFMくらしきの番組に、日ごろ共演機会の多い(もちろん今年の倉敷ジャズでも共演する)美淋つゆ子さんとともに呼んでいただきました。
 倉敷の老舗ジャズ・クラブ「アヴェニュウ」の二代目、琢真くんに「いろんなネタで思いきり喋ってください」と言われていたので、存分に喋り倒しました。そして倒した上におおいかぶさってさらに耳元で言葉を繰り出し続ける勢いで喋りました。
 たぶん快晴の秋、三連休、演奏前、イベント感等々がごちゃまぜになっておかしなテンションになっていたんだと思います。(^^;)
 次の日、琢真くんに
 「皆木さんよ~~~うしゃべっとったなあ」
 と真顔で言われました。(^^;)
 一瞬「ハッ」としました。 (ああああまた世間様に口がうまいとかよくしゃべるとか言われる(T-T)
 そしてオソルオソル尋ねました。
 「・・・それは、、、苦情・・・?」
 この質問は杞憂だったようです。www ああよかった。。。(T▽T)
 美淋ちゃんの声がもっと聴きたかった方のためにもうひとつ。
 彼女は「ふたりが同じ調子でワイワイやったら雰囲気がガチャガチャになるから」という理由があったので、スペースがある時にムリなく話すという態勢を
取っていたそうです。さすが。
 もっとも彼女は出演前にビール2本飲み干したあと、「眠くなってきた~」とか言ってました。ママカリの干物を齧りながら。www    



豪快にwビールを喇叭呑みする美淋嬢。片手にはママカリの干物。こうなると「綺麗なオッサン」ですwww
 

 物語館のステージでもぼくのMCは快調で(自分で言うのもアレですが)、今回の倉敷ジャズはエネルギーの8割を喋りで使い果たしてしまいました。
 その物語館でのステージでのこと。
 MCで「誕生日の方」か「遠方から来た方」にちっちゃなプレゼントをお渡しする、という仕込みをしていたんですが、なんと差し上げた方(ご夫妻)は、お二人が言うには「追っかけなんです」。
 実は、何年か前の倉敷ジャズでぼくの演奏を気に入ってくださって、それ以後いつも倉敷ジャズに来てくださっているそうなんです。
 偶然そういう方にプレゼントが当たったことにとてもビックリなんですが、なんとそのご主人の方は米子のビッグバンドでベースを弾いていて、名前がぼくと同じく「ヒデキ」なんだそうです。 二度ビックリ
 なんだか感激してしまいました。



倉敷物語館でのステージ



本栄寺でのステージ



本栄寺ではスタージから客席を「逆」撮影。
    

 ぼくは(まあこんなとこに書くことでもないけど)人間関係の作り方が非常に下手くそで(いっけんよく喋るように見えて、です)、そのことでしょっちゅう自分で自分の気持ちを重くしています。
 正直に言えば、ぼくのことがイヤな人はムリに寄ってきてもらわなくて大丈夫なのですが、こちらから寄って行く時は、やっぱり「うまく会話しなければ」とか「イヤな気持ちにさせないように」とか、そんなことが重圧になって、よくおかしなことになってしまうのです。この土日はとくに妙なテンションだったのでよけいに騒がしかったかもしれません。
 「あ~ウルサイうっとーしー」的な気分になった方がいたらゴメンね。
 顔を見れて、話ができて嬉しかっただけなんだから、許してください。    


 いくつかの会場に聴きにも行きましたが、その中に「ああ、今の自分はまだ生ぬるい」ということを気づかせてくれたピアノ・トリオがありました。演奏を聴いているうちに気持ちの中の火種をかき立ててもらいました。
 やっぱりぼくはまだまだ伸びたいし、いい音を出したい。そんな自分の気持ちが再確認できてよかったです。    


 大阪から友達が倉敷ジャズに出演しに来ていて、彼らは2日夜の物語館セッションに参加してました。
 どんな気持ちかをメールで尋ねてみたら、「ビビッて控えでふるえてる」との返信が。
 そこでさっそく冷やかし半分激励半分で様子を見に行ったのですが、なんだかよくわからないうちに自分がセッションに出ることになってしまって、血の気が引きました。
 ぼくはセッションがキライなのです。
 正確には「セッションがキラい」というより、「他人を気にしたり必要以上にプレッシャーを感じたりするあまり、周りから良く見られたくてあせって余計ないいカッコをしてしまう自分」が大嫌いだからです。
 すると、その場にいたあるベーシスト君が「シンプルな演奏を心がけている皆木さんの演奏を聴いたことがあるけど、あれは素晴らしかったです」と言ってくれました。「そうだったなあ。。。あの時は"自分のことより全体の音"っていう意識だけだったからなあ」とその時のことを思い出しました。するとセッションで組むメンバーが若い子ばかりだったので、「支えることだけ考えよう、お父さん的プレイに徹しよう」と思えてきたのです。そこでグズグズ言うのはやめにして、ステージに上がりました。
 ぼくにそういう温かい言葉をかけてくれたベーシスト君、ありがとう。
 彼は髪型からすると、実はとてもありがたいお坊さんなのかもしれないwww
 でもそのベーシスト君、控えでワイワイ言ってる時に「あ、ボク"Moanin"を弾かないといけないので・・・」と言ってソソクサと立ち去ろうとしたから、 「オレとモーニンどっちが大事なんじゃコラ」と聞くと、間髪いれず笑顔で 「モーニンです(^^)」と涼やかに言い放って、颯爽と消えてゆきました。 www



2日夜の、倉敷物語館でのセッション
   

 3日は、関西から来ている友人たちのバンドを聴きに(会いに)倉敷へ。
 大阪から来ているフュージン・バンド「T-est Pattern」は、前夜のセッションで「ビビッていた」ベーシストとドラマーの所属するバンドです。
 播州からは、亡きボス有末佳弘さん繋がりの面々が。
 合い間にジャズストリート本部に顔を出してみると、実行委員で倉敷の老舗ジャズ・クラブ「アヴェニュウ」を経営する松本琢真くんがちょうどバナナのかぶり物をかぶったところでした。
 これがきっかけで、「われもわれも」「きみもかぶってみようwww」な感じで、さっそくバナナ大会(?)が始まりました。



~倉敷に集ったJazz Bananas~


 ①チョコバナナになりたくてチョコを齧るたくまバナナ。さすがに着こなしが一番自然。
 ②年に一度のジャズストリートに対する熱い想いをポーズで表す森永"モーリー"バナナ。
 ③MCバナナ。よくしゃべる。くさりかけのB級品。(ぼくです
 ④イケメンの3S級フジノバナナ。3Sの称号に誇りを抱き威風堂々。
 ⑤通りすがりのZippersのベースKAZUさん。ムリヤリなコスプレの依頼に快くのっかってくれてみんな大ウケ。

 
 参加バンド、参加ミュージシャンとも過去最多を数えた今年の倉敷ジャズ・ストリート。
 3連休で好天との予報もあいまってか、美観地区の混雑も例年以上だったように思います。
 来年は、ひさびさに自分のバンドでエントリーしてみようかと思っています。



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人間ドック

2019年11月01日 | 随想録

【Live Information】


 きょうは年に一度の人間ドック受診日でした。  
 爽やかな秋晴れの日です。
 不思議といままでのドックの日は全て晴れなのです。  


 結果は、、、身長も体重も自己最多を更新しました。 
 このトシになってもまだ成長し続けているとは・・・
 この調子では、20年後には初代貴ノ花そっくりの体型になります。子供の頃大ファンだった貴ノ花そっくりに、です。(T□T;)
 とにかく、食べ物がおいしく感じられすぎるのです。  
 子供のころ歌った童謡「どうしておなかがへるのかな」を涙ながらにそっと口ずさんだ秋晴れの午後でした。      


 まあそれでもなにかウキウキすることを見つければ、いかにドックだってそれなりに苦痛やメンドクサイ気持ちが薄まるものです。  
 今回特筆されるのは、採血担当の麗しいお方。
 「少し痛いですよ」と言われると、いつもなら「オトナやし!大丈夫やし!」と言いたくなるものですが、きょうみたいに「ちょっとだけチクッとしますよ~」とやさし~く言われるとあらフシギ、「ボク大丈夫!オトナだから」と、こちらの感じ方のニュアンスも変わっちゃうんですね。「良かったら全部抜いてください。喜んで差し上げます」と。
 それから、心電図担当のアニメ声のキュートな方。
 ドキドキしてむしろ心音が乱れるのでは?と余計な心配をしてしまったほどです。  
 そしてドックの受付嬢。彼女は感じよくて笑顔最高でした  


 でもここがどこかを明らかにしてしまうと、ぼくのようなヨコシマな心を持った面々が殺到するであろうということは想像に難くありませんので、ナイショにしときますw      
 とりあえず再検査も不要なので(でもワルいところがない、ということではありませんでした)、今夜は岡山ピアノバーで心置きなく張り切って演奏いたします。  
 共演するのは、各地で引っ張り凧のハードボイルドクールビューティーピアニスト、こわいい(こわい+かわいいw)美淋つゆ子嬢です!(お写真参照)
 ちなみにシットイン可能姉妹です。


 11月1日 
 [場所] 岡山ピアノ・バー
 [出演] 美淋つゆ子(piano) & 皆木秀樹(bass)
 [料金] 1000円+別途飲食代
 ※シットイン可


     
  




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人間万事・・・

2019年07月15日 | 随想録


【Live Information】


 先月下旬のことです。
 なんとなく降り出しそうな、薄曇りの土曜日でした。
 その日の夜は演奏の予定が入っていたので、それなら早めに家を出て、午後を町なかで過ごそうと思ったんです。お茶したり、CDショップや本屋さんに寄ったり、ぶらぶら散歩したり。そんな、予定を立てずに思いつきでフラリとどこかに行ってみるのって楽しいものですからね。


 そうだな、まずはたいてい土曜には行っている喫茶店でお茶しようか。
 と思っていたんですが、SNSに「諸事情で急遽15時には閉店しましたすんません」とのお知らせが・・・。
 アバウトにうっすら立てていた予定をすぐに変更し、今自分はどこに行きたいかしばし自問。すると、頭の中に豆電球が灯ったんです。 「そうだ!美術館に行ってみる、という手があるじゃないか
 これぞ神?守護霊?からの指令ではないでしょうか。
 「なんといいアイデア


 さっそく県立美術館のある天神町へ向かい、暖簾、ではなくて自動ドアをくぐりました。
 くぐったんですが、、、なんと、そこには「本日休館日だからここから入ったらイケナイよ(意訳)」の表示。
 行く先々が閉まってるて!
 どーゆーこっちゃこりゃあ!
 ・・・でも、たまにこういう時、ありませんか。
 だれかとお茶しようご飯行こう、と思って電話するところするところことごとく「ごめん先約が・・・」とか『ただいま電話に出られません』のアナウンス。
 まあこれもオオゲサに言えば運命というヤツなのかも、と気を取り直してしばし考える。
 そうだそういえば!そうじゃそうじゃ美術館といえばここの手前にオリエント美術館があったわ!
 ということで、すこ~しだけ後戻りしてオリエント美術館に入ってみると。  
 これが「当たり」だったのでした。


     


 西アジアの歴史的な遺物の数々が展示されていましたが、2000年以上の時間の重みや、西洋と東洋が混ざり合ったようなエキゾチックな雰囲気が面白くて面白くて。いろんな展示物から視線を外せなかったくらいです。
 おまけと言ってはなんですが、漫才の「笑い飯」のネタでおなじみの「鳥人」まで展示されている!
 この正式名称は「有翼鷲頭聖霊像」なんだそうです。鳥人!出席番号はチキンなん番!www
    

          

 
 閉館時間も近くなったので、オリエント美術館を後にします。
 そして「ここまで来たならあの喫茶店に寄らねば」と、斜め向かいにある喫茶店「コーヒー亭」へ。
 文字どおり、ぼくの好きな「珈琲店」とか「茶房」な感じがするお店です。何度かは寄ったことがあるのですが、客席から見て出口の上にビートルズの4人の写真が飾られてあるんです。それを見ながら飲むコーヒーの満足感、やっぱりちょっとアップしますね。
 それだけでも気になるのに、お店にはギターやサックスまで置いてあったり。
 まだお店の方には声をかけたことがないので、よけいに前から気になっていたお店なのです。


     


 開け放たれていた入口から入ってみると、おりしもマスターがギターを弾いているところでした。  
 かき鳴らしているのは、マウンテンのレスリー・ウェストのトレード・マークでもある「レスポール・ジュニア」。 いや~~マニアック~♡       
 でもなかなか人に話しかけられないたちのぼくは、キャロル・キングの写真や、ジミヘンとかジョン・レノンのTシャツなどが飾られてある店内を見渡すだけで満足なのです。  
 その時かかっていたCDは、ビートルズのアルバム「ミート・ザ・ビートルズ」、そのあとは「フォー・セール」。  
 そうするうちに常連さんらしきお客さんが入ってきて、マスターと話し始めました。そのうちに、ぼくにも「蒸すねえ」とか声をかけてくれたんです。そこからマスターを交えて、ビートルズや昔のロックの話になりました。やっぱり世代的にもこういう話題は盛り上ります。楽しかったのはモチロンのこと、なんだか嬉しかったです。
 

 「人間万事塞翁が馬」と言いますが、今日行きたいところがたまたま開いてなかったのは
 「おまえは今日はオリエント美術館とコーヒー亭へ行きなさいね」
 という神さまからのお知らせだったのかもしれません。  
 そして、そう思っていたほうが世の中が楽しく感じられますしね(^^)


     








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