【Live Information】
実はぼくのCD棚には、レッド・ツェッペリンの公式アルバム全10枚がそろっています。
でも、意識して買い揃えたわけではないのです。
例えば、大好きなバンド「ビートルズ」もイギリス盤オリジナル・アルバムを全部持っていますが、これは明らかに「欲しくて買い集めた」ものなんですね。
ツェッペリンのことは、ロック・ファンとしてはもちろん好きですが、「大好きなバンド」と思ったことは一度もありません。
聞いただけでその曲のタイトルを全て当てられるわけでもないし、アルバムのタイトルを全部言えるわけではないし、バンドにまつわるエピソードをたくさん知っているわけでもないし(もちろんある程度は知っていますが)。
といって、もちろん嫌いなわけでもありません。
やっぱり敬意を込めて「偉大なバンド」だと認識していますし、好きな曲や好きなアルバムはいくつもあります。
『ミュージック・ライフ』『guts』『ザ・ミュージック』など、当時の貴重な情報源だったロック雑誌にはツェッペリンの記事が載っていなかったことはなかった、と言っても過言ではないくらいでした。だから知らず知らずのうちにツェッペリンに関する知識が刷り込まれ、愛着めいたものが心に積もっていったのかもしれません。ちょうど巨人戦中心の野球中継を観ているうちに巨人ファンになってしまうように。
レッド・ツェッペリンの音楽に最初に触れたのは中学時代です。
1970年代中頃ですね。
ヨシダくんという、ロックに詳しい友人がいました。
彼にはたくさんのロックのレコードやロック・バンドについて教えてもらいました。
ヨシダくんはお母さんとふたり暮らしでしたが、お母さんが飲食店を経営されていて夜はいらっしゃらなかったので、遅い時間に遠慮せず遊びに行くことができたんですね。
彼の家には当時珍しかった家庭用ビデオ・デッキがあったり、当時のぼくの目には「たいへんなマニア」に映るくらいのいろいろなレコードがありました。
そんななかである夜聴かせてもらったのが、レッド・ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」のシングル・レコードだったんです。
パワフルに迫ってくるギター・リフは「かっこいい」の一言でしたが、一番ビックリしたのは、ちょっとアバンギャルドぽい中間部のフリー・インプロヴィゼイションでした。
よく分からない。
分からないんですが、その自由で常軌を逸した(と当時は思った)プレイと呪術的とも言える異様な雰囲気に、ビックリしつつも文句なく惹き込まれたんです。
たぶんその夜は、「胸いっぱいの愛を」が入っているアルバム「レッド・ツェッペリンⅡ」を借りて帰ったはずです。
「Ⅳ」(いわゆる『フォー・シンボルズ』)も、よく聴きました。
あの名曲「天国への階段」をはじめ、「ロックンロール」「ブラック・ドッグ」などの有名曲が散りばめられていたからです。
レッド・ツェッペリンといえば、ぼくとしてはまずはジョン・ボーナムのドラミングです。ズッシリとした重量感のある音色がたまらなく気持ち良いのです。「レヴィー・ブレイク」なんかがその最たるものではないでしょうか。
ブルースに影響されたハード・ロック・バンドのイメージが強く、そういう曲の中にも好きな曲はたくさんありますが、フォークとかトラディショナルの影響を吸収昇華したアコースティックな曲も大好きです。「天国への階段」はもちろんですが、「サンキュー」がとくに胸に響くんです。心に沁み入る感じがするとでも言ったらいいのかな。
ロバート・プラントの、メタリックな質感を持つ独特の歌声も印象的です。パワフルなシャウト、アコースティックな曲にもよく映える声質、攻撃的で自由度のある唱法で、半世紀を超えるロックの歴史の中でも稀有なボーカリストとして称賛されていますね。
もちろんジミー・ペイジの個性的なギターと彼が生み出す数々のギター・リフ、ジョン・ポール・ジョーンズのボトムをしっかりと支える堅実なベースがあればこそのツェッペリン・サウンドですが、スルーできないのは時折りジョン・ポール・ジョーンズの弾くオルガンやピアノの存在です。
レッド・ツェッペリンの曲の中で好きなものは、「胸いっぱいの愛を」「サンキュー」「移民の歌」「天国への階段」「ブラック・ドッグ」「時が来たりて」「永遠の詩」「レイン・ソング」などなどです。
こうしてみると、「ファン」と言われてもしかたないくらいお気に入りの曲がありますね。
今にして思うと、最初は「有名なバンドだから」「ロック通の人はみんなツェッペリンを知っているから」という軽い理由でツェッペリンのレコードを買っていたのかもしれません。またその自覚があるから好きなバンドを問われた時に「ツェッペリン」と答えたことがなかったのでしょう。
でも、思い返してみて気づいたことですけれど、やっぱり「ツェッペリンが好き」だからレコードやCDを買い続けていたんでしょうね。