当時流行の三つ物とは?
令和2年4月17日(金)
芭蕉の句は、
「やとりせむ
あかさの杖に
なる日まで」。
元禄元年岐阜己百亭の吟。
巳百というのは、当寺の僧で俳人
でもある。
己百の案内で芭蕉は来岐。
多くの岐阜俳人仲間の出迎えを
受けて、妙照寺の奥書院に旅装を
解く。
その時の挨拶句である。
句意は、
「この家に泊って、あるじの己百の心
をこめたもてなしで、とても居心地が
よい。
このままゆっくりと滞在させて
もらいたいものだ。
その気持は、今、庭に小さい花を
つけている(一年生草木。茎は
約一メートルに達する)が、
秋になって背が高くなり、
杖に用いることが出来るように
なるまで、ゆっくりと世話に
なっていたいものだ。」。
岐阜滞在中、多くの俳人が芭蕉を
招待する。
まず、安川落梧亭に招かれ、
この日名古屋から芭蕉を迎えに
きた山本荷兮(名古屋の俳人、医者)
と、当時流行の三つ物(俳諧の発句と
脇句と第三句をいう)を試みる。
「蔵かげの
かたばみの花
めづらしや」
荷兮
(折りてやトモ)
「ゆきてや
掃かむ庭に
箒木」
落梧
「七夕の
八月はものの
淋しくて」
芭蕉
ついで、中川原新田(岐阜市湊町)の
油屋、賀嶋善右衛門(俳号歩)の水楼
(長良川に臨んだ高殿)で遊ぶ。
主人の求めに応じて楼名を選び、
有名な「十八楼の記」を書く。
(現在、「十八楼」の一階ロビー壁面に、
芭蕉の「十八楼の記」が展示されている。
後程十八楼で。)
境内には、彼岸花や萩の花が満開。
そして、
秋にぐうんと伸び、杖になるという
藜もひょろひょろと伸びていたが、
藜の手入れが今少しかな。
これでは、杖にはならないな?