令和3年11月4日(木)
『笈の小文』の最後の散文、
師匠は「なんと美しい文章であることよ。」
と讃歎する。
冒頭の開幕の文章と響き合って、
冒頭の開幕の文章と響き合って、
きっかりと締めている。
旅の初めにあったのは、骸骨となった
旅の初めにあったのは、骸骨となった
己が姿であったが、
最後にあるのは、
幼い天皇の最期である。
「最初の旅立ちの恐ろしい予感を、
「最初の旅立ちの恐ろしい予感を、
「小文」の終わりの秋に、明石・須磨を
見て、平家滅亡の有様を哀れの涙で飾った
のだ。
ここは大意を述べるに止めて、
ここは大意を述べるに止めて、
芭蕉の不思議に動的な文章は、
皆さんの丁寧な読書にお任せしよう。」
とも・・・・言及されている。
再度、原文を。
「かゝる所の穐なりけりとかや。
此浦の実は秋をむねとするなるべし。
かなしさ、さびしさいはむかたなく、
秋なりせば、
いさゝかの心のはしをもいひ出づべき物を
と思ふぞ、我心匠の拙きをしらぬに似たり。
淡路島てにとるやうに見えて、
すま・あかしの海右左にわかる。
呉・楚東南の詠もかゝる所にや。
物しれる人の見侍らば、
さまざまの境にもおもひなぞらふるべし。
又た、後の方に山隔てゝ、
又た、後の方に山隔てゝ、
田井の畑といふ所、
松風・村雨のふるさとゝいへり。
尾上つゞき、丹波路へかよふ道あり。
鉢伏のぞき・逆落など、おそろしき名
のみ残りて、
鐘懸け松より見下に
一ノ谷内裏やしき、めの下に見ゆ。
其代のみだれ、其時のさわぎ、
さながら心にうかび、
俤につどひて、
二位のあま君、皇子を抱奉り、
女院の御裳に御足もたれ、
船やかたにまろび入らせ給ふ御有さま、
内侍・局・女嬬・曹子のたぐひ、
さまざまの御調度もてあつかひ、
琵琶・琴なんど、しとね・ふとんにくるみて
船中に投入、供御はこぼれて、
うろくづの餌となり、
櫛笥はみだれて、
あまの捨草となりつゝ、
千歳のかなしび此浦にとゞまり、
素波の音にさへ愁多く侍るぞや。」
つづく。