令和3年11月26日(金)
どこまでが事実で、
どこまでが想像なのか?
これもまたよしかな?
師匠の追究!
「私の詠んだ芭蕉の伝記や研究書でも、
「私の詠んだ芭蕉の伝記や研究書でも、
事実を求める本を読むと釈然としなくなり、
面白さが半減する。
そういう読み方ではなくて、
表現や文章の勢いを鑑賞するほうが楽しいし、
それを芭蕉は本意とすると思う。」
と。
山奥へと歩いて行くと、
と。
山奥へと歩いて行くと、
裏見の滝というのに、出合う。
滝の裏側から初夏の景色を見て、
一句。
暫時(しばらく)は
暫時(しばらく)は
滝にこもるや
夏(げ)の初(はじめ)
夏(げ) とは夏の初めに九十日間、
念仏や滝に打たれて修行すること。
実際に籠もったのではないし、
実際に籠もったのではないし、
滝に打たれたのでもないが、
その心意気を覚えたというのである。
長年の私の願い出合った「裏見の滝」も、
芭蕉のお陰でたっぷり愉しむこともできた。
裏見は、今はできないが・・・。