令和4年12月7日(水)
金色堂を出ると、
すぐに芭蕉翁像と奥の細道碑がある。
<芭蕉翁像>
<おくのほそ道碑>
「兼て耳驚かしたる二堂
(光堂と経堂のこと)開帳す。
経堂は三将の像をのこし、
経堂は三将の像をのこし、
光堂は三代の棺を納め、
三尊の仏を安置す。
七宝 散うせて、
珠の扉(とぼそ)風にやぶれ、
金の柱霜雪に朽て既頽廃空虚の叢
と成べきを、四面新に囲て、
甍を覆て風雨を凌。
暫時千歳の記念(かたみ)とはなれり」
と、『奥の細道』で記す。
勿論、芭蕉の句は、
「五月雨の
勿論、芭蕉の句は、
「五月雨の
降のこしてや
光堂」。
※五月雨は全てのものを腐らすのだが、
※五月雨は全てのものを腐らすのだが、
ここだけは降らなかったのであろうか。
500年の風雪に耐えた光堂の
何と美しく輝いていることよ。
芭蕉の感動が文章からも伝わってくる。
芭蕉と賢治は、中尊寺では、
芭蕉の感動が文章からも伝わってくる。
芭蕉と賢治は、中尊寺では、
ほんとうに大事にされていることが
伺える。