令和4年12月16日(金)
元禄2年(1689年)5月15日
(新暦7月1日)、
岩出山で一宿した芭蕉は、
「道遠ク、難所有之」
(曽良随行日記)
という理由から、
尾花沢までの旅を、急遽、
小野田経由から鳴子経由に変更する。
このため、
通行手形の用意がないまま
尿前から中山峠越えを目指す
こととなる。
<尿前の関石碑>
「美豆の小島」というのは、
江合川の中にある岩山だそうだが、
名称の響きに誘われて探すことに。
田園と山合の所と化し、
分からずじまいとなる。
<芭蕉翁像>
<芭蕉句碑>
芭蕉の句は、
「蚤虱
馬の尿(ばり)する
「蚤虱
馬の尿(ばり)する
枕もと」 。
なお、「尿前」という名前は、
なお、「尿前」という名前は、
義経一行が平泉に逃避する際、
連れていた幼児が初めておしっこを
した場所というのが由来らしい。
何ともいえない。
が、史実を尊び、納得!